第29話 噂のカノジョ

 それから一週間が経ってもマクシミリアン・

ロベスピエールは下宿先である

デュプレ家に帰らず、ルイ・アントワーヌ・

サン・ジュストの部屋に泊まり続けていた。


「まもなく危険な夏が来る。異常な権力を手にした公安委員会が

 暴走して史上最悪の恐怖政治が……」

 日当たりのよい窓辺につるされた鳥かごの中で小鳥は

ブルブル体を震わせていた。


「ルイ、前と同じ出来事が起きると決まったわけではないが、

 わしはそろそろ公安委員会に……」

 前世の記憶をゆっくり引き出しながら話し始めた童貞眼鏡マクシミリアン

上目づかいで見つめながら、サン・ジュストは唇に人差し指をあててこう言った。


「シーッ。ねえマクシム、ベッドの中では仕事の話はよそうよぉ」


「だが、我々は革命家なのだぞ。もっと色々話し合いや深い議論を

 ……ああん、そんなに激しく吸わないで! ダメだってば!」

 

「ワオ! すごいテクニック。舌先を駆使して丸め込む気だな。

 仕事一筋の真面目な童貞眼鏡が魔性の天使の誘惑に負けるとは」

 感心しながら見ていた小鳥はドアの影に隠れて二人の

革命家たちの濡れ場をじっと見つめる小さな人を見てクスクス笑った。


「パパ、そのオジサンだあれ? どうしてそんなにばっちい

 ところをペロペロしてるの?」

 天使サン・ジュストに生き写しである幼児はいきなりベッドの前まで

やって来ると、思ったことをずけずけと質問したので

恋人たちは真っ赤になってしまった。


「こら! 勝手に入ってくるんじゃない! ママのところに

 帰りなさい!」

 パパと呼ばれた天使は、法的には他人である

我が子(母は人妻、ルイーズである)をメッとにらみつけた。


「やだ! パパがママと仲直りするまで帰らない!」

 子供は母親に教えられたセリフを口にすると、床に寝ころんで

手足をバタバタさせた。童貞眼鏡マクシミリアンはできるだけ

にこやかな表情を作ろうと努めながらこう自己紹介した。


「坊や、わしはマクシミリアンと言う名で君のパパと愛し合って

 もうすぐつまに……モガッ!」

 同性婚に乗り気でない天使はあわてて恋人(男)の口を

手でふさいだ。


「噓つきメガネ! 男の人とパパが結婚なんてできないよ! べー!」

 性悪な天使二世はアカンベェをしてみせると、ケラケラ笑いながら

ダッシュで逃げ出そうとしたが全裸で寝室から飛び出した

生物学的父親に捕獲された。


「このクソガキ! 待てコラ! マクシムをいじめる奴には

 おしおきだ!」

 お人好しな童貞眼鏡マクシミリアンは、我が子のお尻を

たたこうとする恋人(男)をなだめた。


「カッとするな。今はまだその子の言うことが常識なんだ。

 だがいずれ新しい法律を作るつもりだ」

 それを聞いて動揺した天使が手を離した途端に

子供は近所に住んでいる母親のもとへと逃げ帰ってしまった。


「さあ、さっそく未来を変える法律を作るぞ!」

 勤勉な童貞眼鏡マクシミリアンは机に向かい、意気揚々と草案を練り始めた。


「お疲れ様、コーヒー淹れたよ、あっ、こぼしちゃった!」

 性悪な天使はわざと転んでカップの中身をぶちまけた。

あわれな童貞眼鏡マクシミリアン


「そんなにわしと結婚するのが嫌なのか!」

と絶叫しながら大泣きしたのだった。



 それから数日の間、悩み続けたマクシミリアンは妹のシャルロットと

相談してある場所に向かっていた。


「なあ、わしの力で瞬間移動した方が早いって」


「魔力の浪費は体によくないわ。たまには自分の足で歩きましょう」

 暗殺者たちがのんきにおしゃべりしている二人の後をつけていた。


「独裁者め! 今度こそ仕留めてやる! てめえのせいで

 国がめちゃめちゃになったんだ!」

 ナイフを振り回しながら突撃してきた十五歳の暗殺者、

セシル・ルノーを右手から放った魔力で感電させ、

凶器を魔法で消滅させてしまうとシャルロットは何食わぬ顔で歩き出した。

その上、どこからか銃弾が飛んで来たが、シャルロットのエプロンの

ポケットの中から出てきた大蛇がぺろりと飲み込んでしまった。

マクシミリアンはいつものように考え事に夢中で一連の出来事に気づかなかった。


「兄さん、どこに行くの? そっちに行ったらぶつかるよ。

 ほら、しっかり握ってて」

 手をつないで街中を歩いている男女を見たパリ市民たちは色めきたった。


「まあ、あの堅物のロベスピエール先生が女の人と

 一緒だなんて珍しい。あの方は奥様かしら?」


「あら、まだ独り身だったはずよ。人気のある方だから、

 結婚されたら騒ぎになるでしょう」


「ではきっとあの方が噂の婚約者よ。おきれいな方じゃないの。

 先生に体付きや雰囲気がどことなく似ていてお似合いね」

 妻か彼女だと思われたあげく、エレオノール・

デュプレと間違えられたことを知ったら

シャルロットはさぞかし憤慨したことだろう。


「ごきげんよう、ラボアジェ先生、例のお薬下さいな」


「ああ、男同士で子作りする薬なら、

 先日サン・ジュストさんに渡しましたよ」

 マクシミリアンとシャルロットはラボアジェの言葉に心底驚いた。


「ええっ!? 本当に!?」


「せっかくいらしてくれたのだから妊娠検査薬もどうぞ。

 唾液で手軽に判定できますよ」

 せっかちな妹は呆然としている兄をつついてさっそく検査薬を

使うように促し、結果を見て悲鳴をあげた。


「まあ! なんということでしょう! 私に甥っ子ができるのね!」


「知らぬ間に薬を飲まされてたなんて! わああああ!」

 婚姻外の妊娠が判明した瞬間、出来婚で生まれたことを

恥じている童貞眼鏡マクシミリアンはショックでその場に崩れ落ち、

その日は妹の部屋に泊まった。



「マクシム! これは一体どういうことだ!? 黒髪美女と

 手つなぎデートしてたってデムーランの新聞に

 載ってるじゃないか! 夕べ来なかったのは

 その女と浮気してたからだろう!」

 翌朝、議会に出勤した童貞眼鏡マクシミリアンの前に

怒り狂った天使サン・ジュストが現れ、仁王立ちになった。

こめかみに青筋を立て、怒髪冠を衝く勢いである。


「なんだって? 無断でわしを孕ませた君にそんな根も葉もない

 噂を信じて攻撃する資格はないぞ」


「ルイ! おれを忘れるな!」

 もめている二人の間にアメリカからやっとのことで帰ってきたばかりのル・バが

割り込んだのでさらに混乱はひどくなった。この痴話げんかに

議場は騒然としていた。傍聴席にいる腐女子たちは

キャーキャー言って喜んでいたが、議員たちは冷たい目で

三角関係騒動を見ていた。


「完全にアホになってる。あいつはもはや我々にとって脅威ではない」 

 すっかり油断したテルミドリアンたちは

童貞の無様な様子を見てほくそ笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る