第38話 炎上
パリに帰還して自宅のドアを開けた瞬間、背中に翼、
頭に角が生えた巨大な犬が勢いよく飛びついてきたので
マクシミリアンは盛大に尻餅をついてしまった。
「ブルン! せっかく逃がしたのにどうして戻ってきたんだ!?
わしと一緒にいても不幸になるだけだぞ!」
口ではそう言いながらも、うれしそうな兄の顔を
見てシャルロットはクスクス笑った。今度の人生でも
再び失脚処刑エンドを迎えるに違いないと悲観した
マクシミリアンは愛犬ブルンを故郷のアラスに
いる友人に譲るため、送り返していた。
次の日、久々に議会に姿を現した
批判や攻撃にさらされ、すっかり意気消沈していた。
側近であるルイ・アントワーヌ・サン・ジュストや
オーギュスタンがパリを離れて地方に行ってしまった
心細さを見抜かれて狙い打ちにされたのである。
弱気な小男は眠れぬ夜に籠の鳥に
悩みを聞かせるのであった。
「なあ、ピーちゃん、ルイ・アントワーヌはわしに捨てられて
恨んでいると思うかい? わしと違って、恋愛体質で
社交的な男だからどうせすぐ立ち直ると思うけど。
彼がいないと心細いし、どうにもやりにくいから、任務を中断させて
首都に呼び戻してしまったが、顔を合わせるのが気まずいなあ」
ベッドの上で物思いにふけりながら、ぼんやりしていた
マクシミリアンは考え事に気を取られて何者かが
音もなく部屋に入ってきたことに気づかなかった。
寝ている自分に覆いかぶさってきた誰かに荒々しい口づけを
されて初めて異変に気づいた時には手遅れだった。
「わしの上に乗っているのは誰だね?」
そう言いながらも童貞は薄々相手の正体に気づいていたので
騒ぎ立てることはしなかった。
「マクシム、おれだよ。パリに着いてすぐに
君に会いにきたんだ」
手紙で一方的に別れ話を出され、やつれきった天使は
マクシミリアンを恨みがましい目で見つめながら、
着ているものを脱がせ、体中にチュッチュと
音を立てて唇を押し当てた。童貞は小さな体をくねらせて
少しの間、されるがままになっていたが、下腹部に
伸びてきた天使の手を払いのけた。
「やめてくれ! 出ていけ! わしはもうおまえとは別れ
……ああん、そんなになめまわさないでぇ!」
間が悪いことに、ちょうどその時ブルンが
夜の飛行散歩から戻ってきた。度重なる浮気への
腹立ちと照れ隠しから少しばかり抵抗してやるつもりで、
体をよじり、ジタバタもがいてみせる飼い主の姿を見て、
「大変だ! ご主人様が男に犯されて助けを求めている!」
と誤解した忠犬ブルンはすごい勢いでサン・ジュストに襲い掛かった。
「ギャアアアア! やめろ! ブルン、わしの
愛する天使を殺さないでくれ!」
「痛い! マクシム、助けてくれ!」
童貞が悲鳴をあげてオロオロしている間にあわれな天使は
大型犬にかまれて全身血まみれになり、
ボロ雑巾のようにズタズタにされていく。
童貞はやむなく目からビームを出してブルンを
攻撃したが魔獣化した大型犬には効かなかった。
「こら! やめないか! 誰か来てくれ!
わしの天使が殺されてしまう! シャルロット、蛇を貸せ!」
蛇は犬を一瞬で締め付けて表に放り出した後で
しっぽで魔法陣を描いて医者を転送してきた。
翌日、事の成り行きを聞いて笑い転げていたダントンと
デムーランは突然訪ねてきた人物の顔を見て驚いた。
「おまえ、怪我したんじゃなかったのか!? さては、
デマで油断したおれたちを殺しにきたのか!?」
デムーランは両腕を広げて怯えるダントンの前に立ちはだかった。
「ダントン先生の敵はおれの敵だ!」
「まあ! 人違いですよ。初めまして。私、例の二人には
恨みがあるので、あなた方に力を貸していただきたいの」
天使によく似た女の顔をまじまじと見つめた後でダントンはこう叫んだ。
「あんた、前に奴を銃撃した奴か?」
「ええ、そうよ。あの男を倒す計画に協力してくれる人が必要なの」
「では今後、絶対にダントン先生を裏切らないと約束しろ」
さんざん迷ったあげく、その晩デムーランはマクシミリアンを
呼び出す手紙を書いたのであった。
「ルイ・アントワーヌ! あの時と同じ顔……」
魔犬にかまれて傷だらけになったサン・ジュストの枕元に
付き添って看病していたマクシミリアンは
恐怖の叫びをあげ、思わず後ずさりした。
目を大きく見開いたまま気を失った恋人(男)の顔が
ギロチン処刑された直後の表情とあまりによく似ていたからだ。
まだ完全に生命が尽きておらず、温かい血が
滴り落ちる首は、アンリ・サンソンの手で
髪をつかまれながら、地べたに這いつくばって
涙に暮れるマクシミリアンの姿を悲しげに
見つめ、とめどなく涙を流し続けていた。
首だけになっていてもう声を発することは
できないのに、唇が何かを言いたそうに
少し動いた。大きく見開いた金色の目の中で、
命のかすかな残り火が一瞬激しく燃え上がって
刹那の輝きを放った後で、たちまち跡形もなく消え去って
どんよりと濁った色に変わる瞬間を
目の当たりにしたマクシミリアンは
余計に絶望を深めたのだった。
「極悪非道な独裁者さんよ、熱愛する魔性の天使君を
失って悲しいかい? 文字通り命がけで
君に尽くしてくれた恋人にお別れのキスでも
してあげたらいかがかね? おまえさんたちが
殺した人々の敵を取るため、最期の瞬間までたっぷり
痛めつけ、苦しませてやるから覚悟しろよ」
処刑者数が激増し、毎日ギロチン処刑を執行させられ、
罪悪感と自己嫌悪に苦しんでいたサンソンは
恐怖政治の親玉をようやく退治できると張り切っていた。
生涯呪われた家業に縛り付けられ神経をすり減らし続ける定めの
四代目死刑執行人である、二メートル近い大男は
破滅した小男の目の前に恋人の首を突き付けながら
苦悩でやつれきった顔を歪めてニヤリと笑った。
復讐が完了される時が刻一刻と近づいていると
思うとうれしくてたまらなかったのだ。
「サンソンめ、ぶっ殺す! 処刑直前のわしに
愛する天使の変わり果てた姿を見せつけた
あげくにわしの顎から包帯までむしりやがって!」
死の間際に感じた激しい苦痛と怒りを思い出した
童貞が物騒な言葉を口走り出したのであわてた
小鳥は籠の中で羽をバタバタさせた。
「大変だ、リリー! 余計なことを思い出した童貞眼鏡が
アンリ・サンソンを処刑する命令を出しかねない。
狂った緑の目が光っている!」
「それは困ったわね。ロベスピエールがサンソンを
ギロチンにかける有名な風刺画を実現させるわけにも
いかないから、少しねんねしてもらいましょ」
興奮状態の童貞は背後から音もなく近づいてきた妹に
電気ショックをかけられ倒れた。
次の日、シャルロットが昏睡状態の二人に魔力を流し込んで
治療していると、窓からふわりと入ってきた
蝶々型の小型魔獣が封筒を落としていった。
「この忙しい時に何の用かな? 兄さんの代わりに内容を
チェックしてもいいよね」
シャルロットが兄に宛てた手紙を開封すると、
魔力に乗せたデムーランの声が流れ始めた。
「愛するマクシムへ。先日君の大好きな天使君が犬にかまれて
永遠にアソコがダメになったと聞いて、君が欲求不満に
悩まされているのではないかと心配だ。もしよかったら
うちに来てベッドの中で抱き合いながら、革命でどんな
国を作りたいのか熱く語りあいましょう。追伸:ダントン先生は
最高権力者の地位を重荷に感じており、近いうちに
マクシムに譲るつもりだそうです」
「何よこれ! 浮気の誘いをするなんて
馬鹿にするにもほどがある。ダントンは
サン・キュロットに恐怖を日常にしろと
脅されることに嫌気がさしたから兄さんに
責任を押し付けて逃げるつもりね。意外と小者なんだから」
うんざりしたシャルロットは代わりに返事を書いた。
デムーランが誘惑に失敗したと知ったダントンは計画を
いよいよ次の段階に進めると決めた。
「マクシム、最高権力者の椅子にふさわしいのは徳高い君だけだ」
久しぶりに公安委員会に姿を現したマクシミリアンが
上座に置かれたその椅子に座った途端、高圧の電流が
体内を駆け巡った。頭から煙がたちのぼり、
肉が焼け焦げる臭いが部屋中に充満した。
すさまじい苦痛に耐えられず、のたうち回る小男。
あまりのおぞましさにその場にいた男たちが
次々と嘔吐したり、バタバタと気絶した。
その光景を見たダントンは野太い声で高笑いしていた。
「がっはっは! どうだね、権力者の椅子の座り心地は?
あんたにはギロチンより苦しい死に方が相応しい」
「許せマクシム。この子の未来を守るためには仕方がないのだ」
デムーランは足元に倒れている小男を見下ろしながら
お腹の膨らみに手をあてて涙をはらはらとこぼしていた。
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