第27話 童貞は貞操の危機にさらされる

 牢獄の中で無気力に壁を見つめていたシャルロット・コルデーは

魔法で鍵を開けて忍び込んできた見知らぬ女に声をかけられ、

飛び上がらんばかりに驚いた。


「ねえ、まだ何も成し遂げていないうちに

 死にたくないなら私についてきて。言う通りにするなら、

 あなたの大好きなご先祖様、コルネイユの作品を

 好きなだけ読ませてあげる」


「あんた誰!? 私が仕留め損ねた、

 あの男にそっくりじゃないか!」


「顔が似てるからって中身まで似てるわけじゃない。

 グズグズしてると牢番が来るよ」

 サン・ジュストの妹、ジャンヌは暗殺の天使、

シャルロット・コルデーを極秘に脱獄させ

自分の手下にした。たっぷり賄賂を

もらっていた牢番はこの女囚が病死したと報告した。



 深い深い暗闇の底で、あばた面にメガネをかけたさえない小男が

長い石段に腰掛けて独り言を呟いていた。


「ここは一体、どこなんだ? わしはまたしても死んでしまったのか?

 ギロチンを壊したらわしの体に害が及ぶなんて納得できないな。

 おや、向こうから誰か来る」

 それは頭頂部がザクロのように割れて、顔中にどす黒く変色した

血がこびりついたギロチーヌであった。

恐ろしくなったマクシミリアンは

死に物狂いで階段を駆け下りた。突然、魔法光線で攻撃され

怒り心頭のギロチンの化身は赤い目玉をかっと見開いて


「裏切り者! 誰のおかげで復活できた

 と思っているのよ! この私に刃を向けた報いとして、

 おまえの魂を喰らい尽くしてやる!」

と絶叫した。

 怒り狂ったギロチーヌに追われて逃げる途中で

階段から足を踏み外したマクシミリアンは

自分の頭が枕から落ちた衝撃で悪い夢が途切れ、

目を覚ましたことに気づいた。ところが一糸まとわぬ姿の

エレオノール・デュプレが覆いかぶさって唇を重ねてきたので

背筋が凍る思いであった。抵抗しようにも、

体全体が麻痺して声も出せず、

指一本動かすこともできない。


「ウフフ、先生はわたしのものよ」


 時は少し遡り、広場のギロチンの上で童貞眼鏡マクシミリアン

サン・ジュストと愛し合っていたのと同じ頃、

デュプレ母娘の間でこんな会話があった。


「ママ、私はどうしてもロベスピエール先生と結婚したいの。

 何とかして振り向いてもらえないかしら?」


「ならば無理やりにでも肉体関係を結んで子供ができたと

 言って結婚を迫ってやりましょう。あの先生は堅物で奥手だから

 女であるあなたの側から攻めるのが一番よ」


 デュプレ母娘は既成事実を作って童貞眼鏡マクシミリアン

手に入れようと企んでいたのだ。


「お願い先生、私を抱いて。初めてが怖いからってそんなに震えないで」

 あわれな童貞眼鏡マクシミリアンが震えているのは

傷ついた体から着ているものをどんどん剝がされて

寒くてたまらなかったからである。


「シャルロット、オーギュスタン……助けてくれ……。クソッ、

 隣はデュプレ夫婦の居室じゃ助けは期待できないか!」


 一向に反応しないソーセージを容赦なく手でこすられ、

余計衰弱していく童貞眼鏡マクシミリアンの耳に

ドアの向こうから天使サン・ジュストの悲鳴が届いた。


「もうやめてくれ! 体をしつこくいじくりまわしてきやがって、

 気色悪いんだよ、ババア! 痛いだけで

 全然……ああああああああ!」

 奔放な天使は放蕩生活を送っていた頃、大分年上の情婦に

飼われていた経験があったものの、デュプレ夫人の自分勝手な

激しい愛撫には我慢ならなかったのだ。


「あーら、悪い子ね。私といけない遊びをしたって先生が

 知ったらどう思うかしらね?」

 若い男が薄着で倒れているのを見てムラムラした中年女は

抵抗されたせいで変なスイッチが入って余計に燃えてしまった。


「ママったら、私のためにあのチンピラ天使がここに

 来れないよう、豊満な肉体で誘惑して足止めしてくれているのね」

 エレオノーレ・デュプレは淫乱な母親の暴走を都合よく

解釈してニコニコしていた。童貞眼鏡マクシミリアン


「こら! わしの天使の体で遊ぶな!」

と心の中で悲鳴をあげた。

 その気持ちが届いたのか、突如電気ショックの効果が切れて

元気になった天使がデュプレ夫人を突き飛ばして

気絶させ、鍵がかかった寝室のドアを

蹴破って突入してきた。


「あんまりです、先生! おれよりその女を選ぶんですか!?」

 裸でベッドを共にする男女を見た天使は涙ながらに叫んだ。


「そうよ、あんたは捨てられたの」


「もうおれはここに来ない!」

 勝ち誇ったように笑うエレオノールの声を背に聞きながら、

天使は涙を見せまいと早朝の街に駆けだした。入れ違いに

天井裏からシャルロットが音もなく飛び降りてきて、

死んだように動かない童貞眼鏡マクシミリアンの上に

またがったエレオノールに電気ショックをかけた。


「あんた、兄さんを愛してるだなんて噓っぱちでしょ!

 自分の思い通りにするために無理やり

 エッチしようとするなんて。

 病人をいじめるなっての」

 シャルロットはラボアジェお手製の魔法薬を籠の中の小鳥に飲ませ、

鳳凰ほうおうに変化させると童貞眼鏡マクシミリアンの頭にのせてやった。

鳳凰が羽ばたいて起こした風が吹いた途端、瀕死の病人は起き上がり、

外に駆け出そうとしたので、シャルロットはあわてて引き留めた。


「兄さん、天使君を追いかけたいのはわかるけど、

 スッポンポンで頭に鳥を乗せて町中を走ったら、

 変質者として捕まるよ!」




「マクシムのバカ! おれも女と浮気してやる!

 ああ、なんか黒髪っていいよな。誠実で賢そうにみえる」

 黒髪の女性とすれ違い、シャルロット・ロベスピエールを

思い出してドキリとする天使。


「そういやマクシムの妹、最近なんか

 急にきれいになったなあ」


 そんなことを思ったのも束の間、移り気な天使は

向こうから歩いてくる赤みがかったブロンドで

ふくよかな体型の女に目を奪われた。


「わあ! おれの好みにどストライク……

 顔にそばかすがあるところまで

 ルイーズ・ジュレにそっくり……

 って、本人じゃねえか!

 地元のブレランクールにいるはずの君が

 どうしてここに!?」

 七年もの間、いつまでも思い続けている

初恋の本命彼女をいまだに旧姓で呼ぶ

未練たらたらな天使なのである。


「はあ? あなたがわざわざ手紙をよこして

 私を呼びつけたんじゃないの? そのくせ何度

 訪ねても留守だし、あの眼鏡と同棲してるのね!」


「何言ってんだ。呼んでないのに勝手に来るのが悪い!

 それにあの偉大な先生をバカにするな!」


 物陰に隠れて様子をうかがっていたジャンヌは兄をあざ笑った。


「就職もしていないうちから村一番の有力者の娘を狙うなんて

 したたかな男ね。ルイーズの父親は彼の本性を見抜いて

 二人の交際や結婚を認めなかったんじゃないかな」


 サン・ジュストが国民公会の議員として出世街道を

歩んでいるという噂を聞くたびにルイーズは彼を捨てて

別な男を選んだことを後悔していた。


「ルイーズ、あんな危ない男はやめろ! 父さんがもっと

 いい相手を見つけてやる!」

 父の説得に根負けしたルイーズは

不確かな未来にかける危険を冒すほど

向こう見ずではなかったので村の名家である

トラン家に嫁いでしまい、社交的な性格で

皆の人気者だったサン・ジュスト(当時18歳)は

失恋のショックで家出したのだ。


「ウフフ。もめてるもめてる。わざわざ手紙を

 偽造したかいがあった。独裁者と兄貴の仲を裂くには

 元カノと復縁させるのが一番手っ取り早いね」


「そんな回りくどいやり方じゃなく、一思いに胸をブスっと

 貫きたいわあ」

 ジャンヌに付き従うシャルロット・コルデーは

ナイフを握りしめて天使の胸のあたりを見つめていたが、

とうとう我慢できなくなり、ターゲットめがけて放り投げた。


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