第42話 こんな弟はいらない
「バカヤロー! 独裁者めぇ、地獄に落ちやがれ!」
「よくもダントンをギロチンの生贄にしやがったな!
こうなったのも自業自得だ!」
通りの両側に集まった大勢の群衆たちから罵声を浴びながら、
テルミドールの政変で敗北したロベスピエール派の
23名の男たちを載せたむき出しの荷馬車がコンコルド広場の
ギロチン目指してゆっくりと大通りを進んでいく。なかなか沈まない
太陽の光が悲しみと恐怖に震える罪人たちの無様な姿をさらしていた。
地上で荒れ狂うすさまじい熱狂を三階の窓から眺めていた
シャルロットは一台目に弟のオーギュスタン・ロベスピエール、
二台目に兄のマクシミリアン・ロベスピエールを
見つけてため息をついた。マクシミリアンは銃撃で砕けた顎を
ハンカチで隠しているが、その傍らには傷ついた恋人を守るように
サン・ジュストが寄り添っているのだった。明らかに動揺している
他のメンバーたちと違ってすさまじい罵詈雑言や
嘲笑の声をまるで意に介さず、魔性の天使は膝に
頭を載せて横たわるマクシミリアンと飽きもせず見つめ合っていた。
「ああ、兄さんたら何て弱弱しいのでしょう。
とても昨日まで最高権力者だった
とは思えない。それに比べて天使君は
なんてふてぶてしい態度なの、
ここまで聞こえてくるほどの
民衆の嘲りを平気で無視するなんて
ある意味、大物ね。だけどあれほど残酷で性悪な男が兄さんを
最後まで裏切らなかったのは意外だわ。今この瞬間も
完全に二人の世界に入り込んで……。こっちは罪人の身内として
余生を過ごさなければならないのに。
もしも魔法で時間を巻き戻せるならば……」
その時、不遇な妹の頭の中で見知らぬ女の声がした。
「あなた、相当あの男を恨んでいるようね。
過去に戻ったらあいつらを消してやればいいわ」
「あんた誰?」
その直後、突然 後頭部に走った鋭い痛みでシャルロットは飛び起きた。
「リリー、寝てる場合じゃないぞ、起きろ!」
「よくもつついたな! お仕置きされたいの!?」
「一刻を争う事態だから仕方なかったんだ。
いいかよく聞いてくれ、マクシミリアンがマラー暗殺の容疑を
かけられて逮捕されたぞ。犯罪者の妹である君も無事ではすまされない。
家宅捜索が入る前に早く逃げるんだ!」
小鳥の言葉が終わらないうちにシャルロットは兄を救出すべく
転移魔法で兄の入れられた独房に直行した。異変に気づいた牢番を
魔法光線で気絶させて邪魔がなくなると、鎖で壁にバンザイのポーズで
固定された兄の拘束を解いてやった。
「兄さん、早くここを出ましょう」
すっかり弱気になった小男は妹の手を振り払った。
「ほっといてくれ! 革命がうまくいくには
わしなんていない方がいいんだ。誰も彼もがわしをこんなに
憎んでいるなんて」
ル・バ夫妻と再び戦場に向かう馬車の中でサン・ジュストは
例のノートを見ながら物思いにふけっていた。銃撃で
空いた穴はルイーズ・ジュレとのなれ初めや
彼女が人妻になってからこっそり重ねた
情事をもとにした未完の私小説をつづったページを
破壊していた。
「マクシム、今のおれの心の中にいるのは君だけだよ。
でもそれを伝えるのにもう少しだけ、時間をくれ。
パリの政界で孤軍奮闘している君を置いて行くのは
心残りだが、軍をなんとか立て直さなきゃ」
窓から差し込む月の光が真っ白なページに血染めの文字を
浮かび上がらせた。
「革命は凍てついた……まるで強い酒に酔った時のように
恐怖政治は犯罪への感覚を麻痺させ……あれ?
これはおれの字だ。いつこんなこと書いたんだっけ?」
戸惑っている間に月がかげって
文字は消え、元の白紙に戻って
しまった。魔性の天使は最後の日に
首筋に触れた冷たい刃の感触を
思い出して身震いした。
「不吉な予兆だ。マクシムの身に何かあったに違いない。
ル・バが寝ている今がチャンスだ」
無鉄砲な天使は自分の肩に寄りかかって眠りこけている親友を
そっと押しのけると、走っている馬車から飛び降り、
土手を転がり落ちて行った。
「兄さん、急に弱気になってどうしたの?
外から見えない塀の中に閉じ込められていることが
どんなに危険なことか……」
シャルロットは兄マクシミリアンの手を引いて
立ち上がらせようとしたが無駄だった。
「やましいことがないのに逃げたりしてはダメだ!
わしが正しいことを裁判で証明してみせる!」
頑固なマクシミリアンは脱獄を拒否してその場に座り込んだ。
シャルロットに憑依中のリリーは助手である小鳥に念話でささやいた。
「気絶させてでも兄さんをここから連れ出す。あんたは
前みたいに魔法薬で鳳凰に変身して」
「何でそこまでして脱獄にこだわるの? まだあの法律は
できてないからすぐ処刑されるわけじゃ……」
「わかってないね。この男には敵が多いから病死や
自殺に見せかけて抹殺される可能性がなきにしもあらずでしょ。
貧困対策を行う前に山岳派の首領が死んじゃったら、
未来の本部から責任を問われるのは私なんだからね」
恐怖政治時代、多くの人が処刑されたが牢屋の中で
変死したケースも多かったので、それをうっすら覚えている
者が報復に出る可能性は十分にあった。
「小作農に土地を無償分配したりもしたけど、
あんだけ虐殺しまくったんだから、もしここで
殺されたとしても自業自得じゃん」
迷う心が影響したのか小鳥は薬を飲んだが
なかなか変身できずにいた。ちょうどその時、
床に伸びていた牢番がむくりと起き上がったので
ロベスピエール兄妹はぎょっとした。
「シャル……オーギュスタン、早くあいつをぶちのめすんだ!」
身体拘束された疲労で魔力が
消耗してしまったマクシミリアンは
男装している妹を弟の名前で呼んで攻撃命令を出した。
「フフフ、私をあなたの義弟にしてくれるなら、
見逃してあげますよ。ロッティさんなら兄上を救うために
自分を犠牲にすることもいとわないでしょうから。
男装しても私の目はごまかせませんよ」
「絶対にいや! あんたとは何年も前に別れてるのに
馴れ馴れしく愛称で呼ばないで!」
声を聞いたとたん、男の正体が変装したフーシェであると
気づいたシャルロットは蛇ににらまれた蛙のように
動けなくなってしまった。恐怖心からではなく、
金縛りの術をかけられたためである。フーシェは
情報収集に長け、後にナポレオン政権下で長期間にわたって
警察長官を務めることになる大物であるが、あまりにも
変わり身が早かったので「風見鶏」とあだ名されていた。
「断る! こんな弟はいらない! わしは鳥が大好きだが、
風見鶏だけは嫌いなんだ! 大体、おまえには
もう妻と子がいるではないか! 大事な妹を道具に
されてたまるか!」
マクシミリアンはよろよろと立ち上がると、フーシェを
近づけないため、両腕を広げて妹の前に飛び出した。
術はシャルロット一人にしか効かなかったのだ。
「チッ、また断られちまった。それなら食事に毒を
もって消すしか……」
風見鶏は憎々し気に顔を歪めマクシミリアンを殴ろうとしたが、
回復したシャルロットに飛び蹴りされ、もん絶してしまった。
「さ、今のうちに」
ようやく鳳凰に変身した小鳥を頭にのせた兄とシャルロットは
しっかり手をつないだ。数分後、風見鶏フーシェが我に返った時には
誰もいなくなっていた。前世と同じく振られた男は少しも
めげずにこうつぶやいた。
「ハアハア、ロッティー、やっぱり嫁にほしい。
今の嫁、やさしすぎて物足りないんだよね」
「ルイ・アントワーヌ! どこにいるんだ!?
聞こえているなら返事してくれ!」
後続の馬車から降りたサン・ジュストの秘書は
暗闇に向かって絶叫した。
「うふふ、ピエールったら必死になっておれを探してる。
このままかくれんぼしていようかな」
ちょっと意地悪な気持ちになった
サン・ジュストは自分を探す幼なじみのピエールの
呼びかけに応じず、泥だらけの汚れた服を川で洗濯し、
乾くまで泳ぐことにした。衝動的に飛び降りたので、
着替えの荷物すら置いてきたのだ。
「ヤッホー、水が冷たくて気持ちいい!」
川遊びに夢中になっている天使に怪しい人影が接近していた。
ギラギラした目つきでこちらを見つめている見知らぬ
ゴリラ男にようやく気づいた時にはすでに手遅れだった。
「何だあいつ? おれをなめまわすように見やがって。
早く服を着て逃げなきゃ」
魔性の天使は逃げようとしたが、羽衣を奪われた
天女のごとく、たくましい体つきの毛深い男に服を奪われ
抱きつかれてしまった。欲情した男は
獲物に酒臭い息をかけ、顔をなめまわした。
「離せ、変態! お前一体何者だ!?」
「あーら、お肌すべすべね。若い男っていいわあ。
こんなところで肌をさらすなんて、味見してくれと
言ってるようなものよ?」
変質者に巨根を押し付けられ、あわやという瞬間、
暗闇に一発の銃声がとどろいた。声も出さずに水を赤く染めながら
崩れ落ちた男の死体は流れにのまれてすぐに見えなくなった。
「ルイ・アントワーヌ! 君はどうして無茶をするんだ!?
君のその美しさは男を狂わせるといい加減自覚しなきゃダメじゃないか!
小さい頃、少年好きの変態貴族にさらわれそうに
なったことを忘れたのか!?」
「ああ、忘れてた。たしかルイーズ・ジュレがおれを助けて
くれて……うふふ」
変質者の魔の手から死に物狂いで逃れ、服が破れ体中傷だらけの
みじめな自分を家まで送ってくれた年上の少女に恋心を
抱いたことを思い出して魔性の天使はほおを赤らめた。
「違う! あの館の監禁小屋から君を救い出したのは……」
ピエールは天使の肩をつかんで金色に輝く瞳をのぞきこみながら
言葉を続けようとしたが、突然、稲妻に打たれたような
衝撃を感じてその場に倒れ込んだ。脱獄したその足で
恋人(男)を追いかけてきた最強の童貞マクシミリアン・ロベスピエールが
緑色の目から強力な魔法光線を放ったのである。
「ほう。わしを置いて出発したのは秘書と浮気するためだったのか」
「マクシム! 違うんだ! 今のおれが一番愛しているのは君だって
言ってもわからないなら、体で教えてやる!」
小柄な童貞を膝にのせて抱きかかえながら、天使は
奥まで激しく抜き差しを繰り返した。しまいには二人で川に入ると
水中で交わって何度も絶頂を迎えた。
「ああん、わしをもっといじめてくれ!」
「すばらしい名器だ。愛してるよマクシム、また一緒に死のうね」
あまりの快感に頭がぼうっとしていた童貞は何も聞いていなかった。
「こんなふうに毎晩わしを求めてくれ!
ああ、いっそわしが女だったなら!」
「うう……耳をふさいでもチュッチュする音が聞こえてくる……チクショウ、」
前の人生で天使が処刑された半年後に衰弱して死んだあわれな秘書は
地面に倒れたまま、人魚さながらの片思いに苦しむばかりであった。
童貞は悲嘆に暮れる恋敵を盗み見てひそかに優越感にひたっていた。
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