第44話:地下を覆う邪気

「誰カ、来ルゾ」

 未だに目前のショックから立ち直れていないが、足音に気付いたマト・アロの声に何とか我に返る。確かに何人かの話し声や足音が近づいてくる。

 慌てて身を隠したところで、広間に作業着姿の男たちが気を失った人間を運んでくる。


「こいつ、目を覚まさねぇな」

「羊飼い様も酔狂なことをする」

「で? どの木箱にするよ?」

「どれでもいいだろ。前に入れた牧師どももなくなってる頃だろ」

 

 2人は呑気に会話をしながら、近くの木箱まで行くと、掴んでいる人物を地面に置き、上部の蓋を開ける。

 男たちは広間にワイルドらが隠れていることに気付いていない。このまま息を殺していれば、やり過ごせるだろうが、運ばれてきた者は見殺しにすることになる。助けに出れば、存在に気付かれて危険な状況に陥るかもしれない。

 ワイルドが考えあぐねていると、男の1人が動きを止める。

「おい、あの木箱、蓋開いてるぞ。閉め忘れたんだな」

 それは先ほどワイルドが中を確認するために開けた木箱。閉め忘れていた。

 こんな簡単なミスを犯すことに、自分でも驚く。男がその木箱まで来たら、位置的にワイルドが隠れているのもバレてしまうだろう。

「出てこないとは思うけど、アブねぇな」

 相方を残して木箱へと近づいてくる。これは覚悟を決めるしかない。その男がどのような存在であっても、この広間の様子を見る限り友好関係を築けそうにはない。むしろ、敵意を向けてくる可能性だってある。

 幸い、動きを見る限り、相手は素人だろう。難なく無力化できる。

 問題は、もう1人だ。

 逃げられて仲間を呼ばれると厄介だが、かといって銃のような音の出る物も使いたくない。

 男の接近に合わせ、飛び掛かる態勢になるワイルドは、視線をダミアンに向ける。すると、彼はそれだけで理解したようで、軽く頷くと、手下のギャングに合図を送っている。

 勝負は一瞬だ。

 獣が獲物に飛び掛かるように。

 近づいてきた男と視線が交差した瞬間、相手が目を見開き、声を上げようと口を開けるよりも先に、掴みかかり地面に引きずり倒す。口を抑え、足で体を固定し、首に腕を回して締め上げた。男はもがき、のたうち回りながら、拘束から逃れようとするが、締め付けはより強くなる。

 男の動きが鈍くなる中、ワイルドは視線をもう1人へ。驚いて硬直した男にギャングが飛び掛かり殴りつける。叫び声を上げない様に押さえ付けられるが、必死に抵抗している。

 男が懐から出した手には黒い物が握られていた。銃だ。


「撃たせるな!」


 ワイルドが指摘するのとほぼ同時に、銃口が火を噴いていた。弾丸はでたらめな所へと飛んで行ったが、大きな銃声は広間に反響し、通路を駆け巡っただろう。

 一般人が銃を持っているなんて……。

 舌打ちしたい気持ちを抑えながらも、ワイルドは昏倒する男を放して立ち上がる。

 今の音はどれくらいの人間が聞いただろうか。

 異常事態が起きたと知られた。

 銃声を聞きつけた者たちが、すぐにでも様子を見に来る。もしくは、敵の侵入だと、なだれ込んでくるかもしれない。

「見てみろよ。この銃」

 ダミアンがワイルドに近づき、男の銃を手渡す。

 ダブルアクションのリボルバー。

 ワイルドを襲い、暴動を扇動していた者たちと同じ武器だ。

 もちろん、断定はできないが、状況から鑑みるに限りなく黒に近いグレーだ。

「終末の羊が、暴動を?」

 頭に浮かんだことが思わず口から出る。ダミアンは肩をすくめ「そこまでは分からない」とジェスチャーだけを送る。


「マーシャル! ちょちょっちょちょっと! こっちに」


 慌てた口調でジェームズが呼んだ方に視線を向けると、そこには男たちの連れてこられた人物をマハが介抱していた。

 その顔には見覚えがある。

 と言うより、よく知っている。


「ルーヴィック!」


 顔色が悪く生気が感じられないが、間違いなくルーヴィック・ブルーだ。

 駆け寄り、呼びかけながら数度、頬を叩くと、彼は呻きながらも目を開ける。

「……何があった?」

「ルーヴィック、そりゃこっちのセリフだぞ」

 呆然と周りを見渡すが、どうにもハッキリしない。頭の中が不明瞭で、何があったのか思い出せない様子だった。「大丈夫か?」との問いには、「これで大丈夫に見えるのか?」と答える姿を見る限り、ひとまずは無事そうで胸を撫で下ろす。

 ルーヴィックは起き上がろうとするが、ふらつき膝を付いてしまう。

「俺は……何してたんだ? ここは、どこだ?」

「思い出すのは後だ。まずはこっから出るぞ」

「こっからって?」

 この地下で何が行われているのか? 終末の羊は何を企んでいるのか? ルーヴィックはなぜここにいるのか? 様々な疑問が浮かぶが、ワイルドはそれらを棚上げして、ここからの脱出を選択する。

 が、もう遅い。

「マーシャル。足音ダ。ソレモ大勢」

 通路の入り口に立つマト・アロが鋭い口調で言った。

 同時に、広間に繋がる全ての通路から、口では説明のつかない生暖かい、禍々しい空気がなだれ込んできた。

 臭いも何もないにも関わらず、何人かがえずいている。

 おどろおどろしい得体の知れない存在を、頭ではなく体が理解し、冷汗が流れてくる。


 皆が確信した、この地下は『魔窟』である、と。


 もはや理解する必要などない、ただ分かるのだ。

 気付けば、全員が武器を手に持っていた。

「ここは……何だってんだ! クソッタレが!」

 ダミアンがぶつけ様もない怒りと苛立ちを吐き出すように毒づく。

 足音はかなり近い。

 作業員のことを考えれば、これから来る者たちも銃を持っている可能性は高い。

 自然と銃を握る手にも力が入る。

 そして、ついに足音の最初の主が姿を現した。


 身なりの汚い男が奇声を張り上げながら、勢いを殺すことなく広間に入ると、そのまま木箱を踏みつけてワイルドたちに飛び掛かってくる。

 銃はないが、手には粗末な刃物。

 ガリガリにやせ細り、口の端に泡を付けながら、まるでエサに飛びつく獣のようだ。見開かれ、血走ったその瞳は青い不気味な輝くを見せ、知性を感じさせない。


 予想外の男の行動、異様な雰囲気によるプレッシャーで、ワイルドは一瞬身構えて硬直するも、相手の刃物が自分に振り下ろされる前に、引き金を引く。

 弾丸を受けた男は後方へと吹き飛んだ。

 今のは、一体……。

 そんなことを考える時間はない。通路からは先ほどの男と同じようなみすぼらしい風体の者たちが、青色に鈍く輝く瞳をギラつかせなだれ込んできている。

 もはや話し合いや説得などの選択肢などない。

 襲い掛かってくる者たちに向け、できうる限りの速さ撃ち続ける。

 広間にはあらゆる音をかき消すほどの銃声が鳴り響き、発砲による煙で周囲の視界を遮っていく。まともに見えない中で、次第に音は銃声から殴ったり、引き裂くような音が。それに伴って、罵声、怒声、そして悲鳴がそこここから聞こえてきた。

 周囲の硝煙が落ち着いてきたころには、広間の制圧はほぼ終わっていた。襲ってきた者たちは床に転がるが、中には不運にも彼らの刃物を受けたり、嚙みつかれ傷ついているギャングも数人いる。

「こいつら、獣か? 俺らを食うぐらいの勢いだったぞ?」

「マーシャル。ここは魔女の巣だよ!」

 床に転がり動かなくなった者の様子を窺うワイルドに、戦闘中は隅で隠れていたジェームズが駆け寄ってくる。

 彼の言葉に、ワイルドは「またそういう話か」とうんざりしたようにため息を吐いた。


「教授先生よ。まぁ、今のことは、そう思いたくなる気持ちも分かるけどよ。こいつは、かなり重症なカルト宗教の事件だ。こいつらだって、人間だろ?」

「彼らの目を見たろ? 魔女の呪縛に囚われた者たちだよ」

「ヤバい薬でもやってたんだろ……」


「マーシャル、危ナイ!」


 ワイルドとジェームズが互いの主張を一歩も引かずに話していると、それに割り込むようにマトが叫び声を上げた。

 その声のおかげで背後からの接近者に体が反応できた。

 振り返ると眼前に刃が振り下ろされる所。首を逸らして避けながら、相手の腕を捻り上げ、そのまま地面に体を押さえ付ける。


「ルーヴィック! テメー、何してんだぁ!」


 ワイルドの一喝。

 彼が押さえ付けた相手は、自分の補佐官・ルーヴィックだった。

 先ほどまで意思疎通できていたが、今の彼は獣のうめき声のような低い声を上げるだけ。関節を押さえ付けているにも関わらず、痛みを感じないかのように物凄い力で振り払おうとしてくる。

 そして何よりも、暴れまわり顔を振り乱す彼の瞳は、不気味に青く輝いている。

 ワイルドは何度も呼びかけるが正気に戻る気配が見られない。まるで何かに憑りつかれているかのようで、どうすればいいか分からない。

 ギャングも加わり数人がかりで押さえ付けているが、その拘束も強引に抜け出そうとしてくる。


「何か、入ってる……」


 一同が固まって動けずにいる中、マハが静かに呟いた。

「何か、こいつの中、入ってる。それが支配してる」

「何を言ってる?」

「憑りついている、とは違うのかい?」

 マハは頷く。

「呪いの塊、入れられた。それと完全に同化する、さっきの連中みたいになる。でも……こいつ、中に入ったばかり。たぶん」

「同化してないなら、まだ取り出せるってことか?」

 ワイルドの質問には、マハは渋い顔をする。

「どうだろう。ただ口に指を入れて吐き出す、わけが違う。ポワカの呪縛、解放は簡単じゃない」

「なるほどね。悪魔祓いと同じような方法でできるのかな」

 ジェームズは腰の道具箱を漁り、十字架や聖水などの入ったアンプルを取り出す。

「マハ。オ前ナラ、デキルダロ?」

 通路の脇で他に襲撃者が来ないか警戒するマト・アロは口を開く。視線が彼女に集まるが、一方のマハは視線を合わそうとしない。

「呪イカラ救ウ術ハ、『コクーン』ノオ前ナラデキル」

「本当かい、マハちゃん! さすがだね。何か必要な物はあるかい?」

「マハ。こいつを助けられるなら、頼む」

 ワイルドとジェームズ、マトは真剣な眼差しで彼女を見る。

 しばらく彼女は無視していたが、次第に居たたまれなくなったのか、チラチラと視線を動かし、ついには折れた。


「わかった。分かったわよ! もし、手遅れでも、文句なしよ」


 乱暴に言うと、彼女は押さえ付けられているルーヴィックの前に立った。

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