第46話:地下で迫る闇

 通路を逃げると言っても、壁掛け灯は全て消えており、入り組んだ地下道を正確に戻っているとは思えない。どこを進んでいるかは、すぐに分からなくなった。

 完全に迷った。


 背後の通路から、耳をつんざく様な金切り声が反響して聞こえたかと思うと、暗黒が彼らを飲み込む。実際はランプの火は消えていないので、明るいままなのだが、周囲の黒色のトーンが1段階下がったように感じられた。

 するとギャングの1人が持っていたランプに亀裂が入り割れる。

 アッと落ちるランプに合わせて地面に視線を向け、上に戻した時には、そのギャングの足は宙に浮かび、少し震えている。

 そのまま視線を上げると、真ん丸の青い目をしたエスターが天井部分に張り付き、ギャングの顔面に齧りついていた。

 顎が外れたような大口を開けたエスターは、ランプの明かりを嫌がる様に顔を顰めると、口からギャングを落として地鳴りのような叫び声を発する。

 地面に叩きつけられるような衝撃が体を伝わり、手に持っているランプが次々と割れていく。

「クソッタレが!」

 ダミアンは体の底から沸き起こる恐怖を怒りに変えることで自分を奮い立たせ、明かりが減ってぼんやりとしか見えないエスターに銃口を向ける。

 弾丸では殺せないことは頭で理解していても、これ以外に方法がない。

 エスターは素早い動きで、暗闇へと姿を消した。

 そして、姿を探して警戒するが、しばらくすると誰かが消えている。

 そして鈍い音や悲鳴と共に肉塊となっている。

 口から漏れそうになる悲鳴を懸命に噛み殺し、周囲の闇を警戒しながら進む。

 留まれば死ぬしかないからだ。

 ワイルド自身、もはや自分が正常なのか分からなくなってきた。

 また誰かの短い悲鳴が聞こえ、消える。

「おい、ダミアン! 後ろだ!」

 ワイルドが偶然向けた視線の先に、エスターが佇んでいる。

 声を投げかけられたダミアンが振り向くと、大口が迫っている。考えるよりも先に、銃口をその口に突っ込むとリボルバーの弾がなくなるまで撃鉄を弾き続ける。

 撃ち尽くしたが、エスターは倒れる様子もない。口から硝煙を吐きながら、口の中の銃口に歯を立てると、そのまま噛み砕いた。

 思わず後ずさるダミアンに、エスターが口をすぼめて吹く。


 見えなかった。


 彼女の口から発せられた物は、先ほどダミアンの顔のあった場所を通り、背後にいたギャングの頭半分を弾き飛ばす。そして、さらにその背後の壁を抉る。見ればそれは噛み砕いた銃口だった。弾丸のような速度で吐き出した。

 エスターはまた口をすぼめるが、ギャッと短い悲鳴に変わる。

 背中からボウイナイフが生えている。マトが回り込み突き刺していた。

 首だけを180度回転させるとマトに向かって口をすぼめる。彼が横に飛び退くと、今までいた場所に閃光が走る。今度は、先ほど撃った弾丸だろう。

 1発目、2発目、3発目……。


 マトが身を捻り、避ける度にそのスレスレを猛スピードで弾丸が通り過ぎる。そしてついに脇腹に刺すような痛みが襲う。

 小さく声を漏らして体勢を崩すと、エスターが瞬きをする間に距離を詰め、短く囁やかれる。そして気付けば後方に飛ばされていた。

 地面を転がるマトに、思った結果ではなかったのかエスターは舌打ちをして追い打ちをかけようと一歩出るが、銃声と共に頭が揺れる。

 ワイルドがリボルバーの撃鉄を弾きながら駆け寄ると、そのままの勢いでエスターの顔面に飛び蹴りをくらわす。予想外の攻撃だったらしく、エスターは吃驚して目を白黒させる。その隙にダミアンが胴体にタックルを食らわせ、持ち上げるとそのまま壁に叩きつけた。


「は、はぁ?」


 まだ理解しきれないエスターの口から、まぬけな声が漏れる。

「何を……この私に? 男が私に触った? 顔を踏みつけた?」

 見る見る間に顔は苦渋に歪んでいく。両手で顔を掻きむしり、皮膚を引き裂き、鮮血を撒き散らし、顔の皮が捲れあがった状態で睨みつけてくる。

「汚らわしい! この私に、人間の男風情が! 全身の骨を砕いて、生皮を剥ぎ取り、あらゆる痛みを与えながら、生きたままネズミのエサにしてやる!」

 最後の方は絶叫に近く、何を言っているのかは正確には聞き取れなかった。代わりに振動に壁は揺れ、体を打ち付ける衝撃で数歩後ずさる。耳の奥がキーンと耳鳴りを起こしている。


「おい! 奥の梯子、地上に出られるかも!」


 前を進むマハが叫ぶ。

 通路の奥で梯子を発見したからだ。上からは雨の音と水滴が落ちてくる。

 マハが先に上がる。続いてルーヴィックを担いだギャングが。


 意識が背後の梯子に向いた一瞬の隙に、エスターは滑る様に近づいていた。

 軽く足をかけられたダミアンの体が宙に浮いた。そして、体を通じて骨が砕ける音がする。

 エスターの何気ない足払いが彼の足を砕いていた。

 動くことのできない空中にいるダミアンに突き出された手が、彼の胸を打つ。ただ押されただけに見えたが、その衝撃は計り知れず、勢いよく吹き飛んでいく。背後で彼を受け止めて衝撃を緩和したギャングがいなければ、どうなっていたか分からない。

「カァ……足が……」

 肺の空気が全て吐き出され苦しい上に、砕かれた足の痛みもやってくる。

 傷ついたダミアンには興味を失ったのか、エスターの標的はワイルドとマトに。特にワイルドを狙う。

 彼女の執拗な攻撃をギリギリで回避しながら、ワイルドは通路の奥を見る。ダミアンも手下に連れられて梯子を上っている。もう少し時間稼ぎが必要だ。

 攻撃を掻い潜ろうとしたその瞬間、左の肩口が焼けるような痛みが走る。

 エスターの手が肩にかかっていた。爪ごと指が肉に突き刺さっている。痛みに声を漏らす暇も与えられることなく、視界がぶれると背中に衝撃。地面が真下に見える。

 自分が天井に叩きつけられたことに気付いたのは、地面に落ちてからだ。

 全身に走る痛みで体がうまく動かない。

 そんなワイルドを再度掴んで持ち上げる。同時に襲い掛かってくるマトの武器を空いてる手で防いで、声を上げる体制に入った。

 咄嗟に彼らは耳を塞ぐも、それでも意識が飛びそうになる音の衝撃だった。


「どの道、お前は殺さなければいけなんんだ」


 ワイルドに視線を戻したエスターの顔は、すでに元の美しい顔に戻っている。体格では圧倒的にワイルドよりも小柄なエスターは、片手で軽々と持ち上げる。足が地面から浮き、指が突き刺さった肩からは大量の血が流れている。

 何とか腕を払いのけようとするも、鉄でできてるかのようにビクともしない。為す術なくもがくワイルドに、エスターは恍惚の笑みを浮かべて、空いている方の手で彼の顔を掴む。

 指に力を込められると、万力で閉められるような痛みが彼を襲う。ミシミシと頭蓋が軋む音が耳の奥で聞こえた。

 ワイルドの悲鳴に喜悦を感じるエスターの背後の気配があった。起き上がったマトがトマホークを振りかざしている。エスターは鬱陶しそうにワイルドの肩を掴んだ手を放し、振り下ろされるトマホークを受け止めた。

「貴様もワンパターンで、学習能力が……ぇ?」

 腕に走る痛みに、驚きながら視線をワイルドへ。

 先ほどまでビクともしなかったエスターの腕が切り落とされていた。

 ワイルドの手には狩猟用の小さな斧が握られている。

 彼は自身の頭を掴むエスターの手をかなぐり捨てると、斧を両手に持ち直して振りかぶる。

 その刃は弾丸も通用しない彼女の首の皮膚に深く刃がめり込んだ。だが、切断までには至らない。だが、鈍い悲鳴が上げる。これまでのような攻撃的な声ではなく、痛みによるものだ。


「マーシャル、マト君、どいて!」


 通路の奥からジェームズが駆けてくると、持っていたオイルランプをエスターへ。体に当たった瓶は割れ、中身の聖油が溢れて全身を聖なる炎が包み込んだ。

 エスターは絶叫しながらのたうち回る。

 だが、死ぬ気配はない。

「よくも、よくもぉ……!」


 炎の勢いが弱まっていき、憎悪に燃える目を向けた時、そこにはワイルドとマトがそれぞれ、斧を振り抜く姿だった。

 刃がエスターの体を引き裂くと同時に、大量のネズミとなって崩れていく。

 しばらくの静寂。再びエスターが現れる気配がないことに、ようやく安堵のため息を吐いた。

 ワイルドは膝から崩れ落ち、大粒の汗をかきながら荒い呼吸を整える。

 あれは……。


   ☆★☆


 救援隊に戻った一行は、エドワードら医師をたたき起こした。

 大勢の負傷者に驚きながらも、彼らは黙々と治療に当たってくれる。全員の顔は暗く、重たい雰囲気だったためか、詳しい事情を聞くことはしなかった。

「一体、何があったんですか?」

 一通りのことを終えたエドワードがワイルドに訊ねる。

 彼は白い顔をして首を横に振る。自身の負った傷、そして理解できない状態への混乱、恐怖からだった。地下でのことを思い出しながら、何とか言葉を絞り出す。


「あれは……魔女だった」


 今まで認めてこなかった、認めたくなかった存在が間違いなくそこにいた。

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