第45話:地下で引き摺り出されるモノ

 マハは自身の鞄から乾燥した植物や色鮮やかな石、謎の液体の入った瓶を取り出すと、ルーヴィックの前に座る。

「ねぇ、ギャングさん、その煙草、欲しい」

 近くで葉巻に火を点けて一服しようとしているダミアンに声をかける。

「なんだ、吸いてぇのか?」

「精霊、煙草の葉、好む。火のついたままでいいから」

 手を伸ばすマハに、少し渋るがダミアンは咥えていた葉巻を手渡す。

 先端にできた灰を自身の手に落とすと、親指で潰して、自分の額と頬に擦り付ける。そして、同じように暴れるルーヴィックにも同じように灰を付ける。


「かなり暴れるけど、しっかり押さえる」

 深く息を吐き出したマハは、ワイルドらに忠告すると、乾燥した葉に火を点け煙をくゆらせながら、低い声を発し始めた。

 それは独特な音程で何を言っているか分からなかったが、おそらくは彼女ら一族の歌なのだろう。

 歌いながら祈るようなジェスチャーをしたり、石を打ち付けたり、葉っぱを振ったりを繰り返す。それに伴い、ルーヴィックは体を痙攣させて動きを止めたかと思うと、上に乗るワイルドたちの体が宙に浮かぶほどの力で仰け反り、暴れ出す。苦しそうな悲鳴を上げ、見開いた目は白目を剥いている。常軌を逸した光景に、見守る者たちも思わず一歩後ずさるほど。

 大の男が数人がかりで掴んで抑えていても、振りほどかれそうな力だ。その異常な力に体が耐え切れなかったのだろう。

 ゴキッと嫌な音が聞こえ、ルーヴィックの左肩が外れていた。

 しかし、痛みを感じていないのか。相変わらず悲鳴にも似た呻きを上げ、暴れ続ける。

「このままじゃ、こいつの体が壊れちまう」

 ワイルドが食いしばりながらもマハの様子を見ると、彼女もまた額から汗を流していた。目には見えていないが、彼女を撥ね退けようとする力が働いており、見た目ほど余裕などない。常に見えない手で首を絞められたようになっており、喉から変な音をたてながら空気が漏れてくる。

「止めろ、この小娘が! うるさい、うるさい、うるさい!」

 ルーヴィックの目玉がぐるぐると動き、口から声が漏れる。しかし、それは彼が言っているというよりも、喉の奥から出てくるような声だ。聞くに堪えないような汚い言葉でマハを罵り、続いて神を冒涜する言葉も吐いている。

 マハは何度も声がかすれ、えずきながらも歌い続け、赤土でも溶かしたような色の謎の液体をの入った容器を掴む。その蓋を開けると、ルーヴィックの口に突っ込み、無理矢理流し込んだ。

 液体を飲んだ瞬間、一層体を震わせ、ワイルドたちはついに弾き飛ばされる。

 ルーヴィックは地面の上でのたうち回り、喉を搔きむしっていると、その首が大きく膨れて盛り上がる。その膨らみは、徐々に上がっていき。


「出てくるわ!」


 マハが言うのと同時に、ルーヴィックの口から赤土色の液体の塊が勢いよく吐き出される。それはウネウネと動き回り、大きなムカデとなって地面を這う。

「逃がさないで!」

 理解が追い付かずに呼吸することすら忘れて動けずにいたが、マハの鋭い言葉に我に返る。ワイルドはすかさず起き上がり、踏みつぶそうとする。が「直には触れるダメ、呪いが移る」との声に、思わずたたらを踏む。

 素早く逃げるムカデをなかなか捉えることができない。

 ダミアンは銃口をムカデに向けて発砲。地面が弾丸によって抉られる。が、ムカデは何事もなかったかのように動き、ダミアンの方へと進路を変える。

「今、俺の弾、当たったよな?」

 標的を捉えたムカデの動きはさらに加速。木箱を上り、飛び掛かる。

 焦りながら後ずさるダミアンだが、もはやタイミング的に避けられない。

 接触する寸前、横から液体を浴びせられた。


 無味無臭の透明な液体。水だ。

 

 青い顔をしたジェームズが小瓶の中身をかけたようだった。

「何しやがる!」

 顔や髪から水を滴らせるダミアンは声を荒げるが、本人は全く気にした様子はない。そんなことに気を向けている場合ではないからだ。

 水を浴びたムカデは苦しそうに身をくねらせながら地面に落ちて白い煙を上げている。

「聖水が効くなら、マト君の武器も効果があるはずだよ!」

「任セロ!」

 ジェームズの言葉に反応し、マトはトマホークを掲げるとムカデに振り下ろした。

 銃弾でも弾くムカデの体は、簡単に真っ二つに裂かれ、黒い靄を噴き出して消えた。


 刹那、「ギャー」との耳を突くような悲鳴が木霊する。


 驚いてお互いに目を向け合うも、その場にいる誰の声でもない。

 だが、明らかにした。女の声が。

「おい、今のは……」

 誰の声だ? そう口にしようとしたワイルドだったが、異変に気付いて止めた。


 周囲が静かになっている……。


 先ほどまで木箱のネズミが鳴いていたはずだが、一切聞こえてこない。不気味なほどに静寂だ。

 そのことは他の者たちも気付いた様だった。

 ワイルドは木箱へと視線を向けると、


 木箱の隙間から大量の人間の目と目が合った。


 一気に嫌な汗が背中を流れる。

 全ての木箱の隙間から、ギッシリと埋め尽くすほどネズミが広間の人間を見つめている。しかし、なぜかその目は動物のそれではなく、人間のような白目と黒目のあるものだった。

 心臓を掴まれたような恐怖心が全身を駆け巡る。

 広間の空気が凍り付いていき、呼吸が白くなり始めた時、広間の木箱が一斉に破裂し、中から大量のネズミが溢れてきた。

 それは意志を持ったように蠢き、集合すると、あっという間に黒い塊へと変化し、中から女が立ち上がる。長く黒い髪を振り乱し、爛々と青い目を輝かせる少女。

 誰かが言った「エスター」と。その名前は終末の羊の教祖の名であることはワイルドも知っている。が、実際に見るのは初めてだ。そして、マトの「ポワカ」との呟きも聞こえる。


 夢であってくれ……。


 心の底からワイルドは思った。同時に『魔女に備えろ』というパベル牧師と父親の声が聞こえたような気がする。今まで拒絶し続けてきた過去が、形を成して目の前に現れたようだ。


「痛い……私の呪いが人間ごときに弾かれるなんて」


 怒りと屈辱を含んではいるが予想した禍々しさはなく、どこにでもいそうな少女の声だ。だが、眼前の存在が普通の少女であるはずもなく、一層不気味さを増す。

 非現実的な光景に誰一人として口を開けずにいたが、説明をされる必要はない。その圧倒的な存在感に押しつぶされそうなプレッシャー。頭は思考を放棄し、自分たちの中で自然と1つの答えに辿り着く。


 少女は人間ではない。


 そして、今まで遭遇したことがない程の邪悪な存在である、と。

「悪しき存在よ。穢れた魂よ。あるべき地へと還れ!」

 重苦しい沈黙を切り裂くように、叫んだのはジェームズだった。いつもどこか間が抜けて頼りにならない彼のどこにそれほどの勇気と度胸があるのか。その声は凛と張り、清廉で、よく通るものだった。

 手に十字架を掲げ、少女、エスターへと一歩進み出る。

 彼が聖句を唱え始めた途端に、広間を蔓延していた重苦しい空気が少し和らいだように感じられる。そして、エスターの顔にも陰りが見られ呼吸も浅い。

「付け焼刃の素人が!」

 エスターの口から聞いたことのない言葉が漏れる。何を言っているのか分からないのに、ただ聞いただけで寒気がする。彼女の口からどす黒い瘴気が吐き出されているような錯覚すら覚える程、邪悪でおどろおどろしかった。

 エスターの目の光が一層増したと思うと、ジェームズが見えない力をぶつけられたように体をくの字に曲げて吹き飛ぶ。

 再び空気が重くなったが、ジェームズの行動のおかげで幾分か冷静さを取り戻すこともできた。

 ワイルドをはじめ、ダミアン、ギャングらは銃を構えて引き金を引いた。

 弾幕となってエスターを襲うが、彼女は冷ややかな笑みを浮かべて悠々と弾丸の雨を受ける。

 弾丸は彼女の体に触れると、肉体を抉ることなく、そのままどこかへ消えてしまっている。その光景に、より発狂状態になり、ただひたすらに撃つ。


「『頭を撃って死ね』」


 エスターの声が聞こえた途端、ワイルドは冷や水を頭からかぶらされたような寒気に身震いする。ただそれだけ。しかし、幾人のギャングたちは、動きを少し止めた後、躊躇いもなく銃口を自身のこめかみに押し当てると発砲。

 頭がはじけ飛び、糸の切れた人形のように地面に倒れる。

「何やってんだ!」

 手下の突然の奇行に、ダミアンの叫び声が上がる。

「何が起きた?」

「ポワカノ声ハ人ヲ操ル。恐レノ心ノ隙間ニ入リコマレル。心ヲ強ク持テ!」

「あんなもん見せられたんだ。もう挫けそうだよ!」

 マトの言葉にワイルドは悪態吐きながらも、視線はエスターから外さない。一挙手一投足に注意を払い、反撃の機会を狙うその目には、怯えなどは一切ない。


「ん? あぁ、お前、生きていたのか」


 マトの姿を見て嘲笑するエスターが、大きく手を叩くと、壁掛け灯の火が一斉に消える。暗闇に浮かび上がるエスターの青い瞳は、焦り戸惑う者たちを愉快に眺めて、消えた。

「俺たちをいたぶって愉しんでやがるぅ。ムカぁつく奴だぜ」

「マーシャル! 魔女に普通の武器は通用しない! ここは退いた方がいい」

 ジェームズが小瓶の先に火を点けたオイルランプのような物で周囲を照らす。その光は小さくジェームズの周囲だけではあるが温かく照らし、落ち着きを与えてくれる。

「聖油に火を灯したものだよ」

「教授先生の所に集まれ!」

 ワイルドは指示を出しながら、近くのルーヴィックを担ぎジェームズの元へ。

「その聖油はまだあるか?」

「いくつかは」

「他の奴にも渡して火を灯せ。ここから出るぞ」

 オイルランプの明かりが増えると明るさも増した。不思議とエスターの姿は見えないが、忌々し気な視線だけは感じられる。

 マトは取り出した球に火を点け暗闇に投げ捨てると、それから煙が噴出し一帯を覆う。

 苦しそうに噎せる声が聞こえてくる。

「今ノウチニ」

 マトの言葉で、一同は来た道を急いで引き上げた。

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