第9話:ヘイズ兄妹と終末の羊

 ダウナーイーストサイドに立ち並ぶテナントの一つ。

 電気など通っているわけもなく、天井や壁がランプからの煤で汚れた狭い部屋が並んでいる。そんな建物に、人がひしめき合う様にして暮らしていた。

 その一室にニックとキャシー。ヘイズ兄妹の部屋もある。

 保安官補佐のルーヴィックは、今日もサボってその部屋を訪れていた。出されるコーヒーをすすりながら、テーブルを挟んで座るニックの話に耳を傾けた。


「これはいい商売になるぜ」


 楽しげに話すニックに対して、ルーヴィックは浮かない顔をしている。

「商売になるって言ってもな。元締めは、あの『終末の羊』だろ? 怪しくないか?」

「あのなー。お前が、ああいうのを信じてないのは知ってるが、疑いすぎだろ。もしもヤバい団体なら、とっくに捕まってるよ。それに貧しい奴らのために慈善活動もしてる。俺たちが絡む商売も、それ絡みだ。考えてみろよ。人助けができて、顔も売れて、金が手に入る。やるしかねぇだろ」

「話がうますぎるぜ」

「ヤバいと思ったら逃げりゃいいんだよ……頼むよ。兄弟! これはチャンスだぜ。俺たちのチームが力を付けるためのな」

 まだ納得していないルーヴィックに、ニックは小さくため息を吐く。

「外を見てみろよ。移民やクロ(黒人の蔑称)どもで溢れ返ってやがる。奴らのせいで仕事が減って、真っ当なアメリカ人が苦しんでる。許せねぇよ。なんで俺らが、クソ移民どものせいで貧しい目にあわなきゃいけねぇんだ?」

 ニックの言葉には力が籠り始める。

「特にアイルランド人だ。奴ら、ゴミみたいに増えていきやがるし、見ろよ。我が物顔で道を歩いてる。まるで自分らの国とでもいうかのようにな。それもこれも、バッカスの連中がバックにいるからだ」


 バッカスとは、ニュージョージに暗躍するギャングであり、3大ファミリーの1つだ。ボスであるドン・バッカスがアイルランド系移民であり、ダウナーサイドから一代で今の帝国を築いた男だ。そのため、ダウナーサイドに深く根を張っており、アイルランド系移民の世話をよくしていることから、この地区では指示も高い。

 

「俺はいつか、バッカスをこの街から追い出す。この街はアイルランド野郎のための場所じゃねぇ。アメリカ人のための街だ。俺がそれをつくる。今回は、そのための一歩なんだよ。なぁ、やろうぜ。ルーヴィック! お前とならできる気がするんだよ」

 身を乗り出してくるニックに言葉を投げかけたのは、ルーヴィックではなくキッチンで話を聞いていたキャシーだった。

「止めてよ。兄さん。ルーヴィック、困ってるじゃない。また、強引に!」

 怒りながら部屋へと入ってくるキャシーは手を腰に当てて、ニックを見下ろす。

「強引じゃねぇよ。それに危ない仕事でもねぇ」

「そんなの分からないじゃない。兄さんはいつもそう言って、暴力沙汰になってる。ルーヴィックを巻き込まないでよ」

「あのな。キャシー。それは、俺が悪いんじゃないんだよ。相手が約束を破ったりするから、仕方がなくだ。それにルーヴィックの心配なんかする必要ねぇよ。こいつは不死身の男だからな」

 そう言うと、ニックはルーヴィックの肩を抱き寄せる。

「こいつのおかげで何度命拾いしたか。なぁ?」

「俺がいなけりゃ、3回は死んでたな」

「あの銃撃戦はヤバかったよな。敵も味方も構わずに撃ちまくりやがってた。弾丸がどこから飛んでくるかも分からねぇ。そんな中、こいつは平然と真ん中を突っ切ってきやがったんだ。しかも、一発も食らわずに」

「弾が俺を避けてくんだよ!」

「神様の加護を受けてるぜ。あの時思ったね。こいつはマジで不死身だって」

 笑顔で話し合う2人にキャシーは呆れた表情をする。

「そんな簡単に神様を口にしないで。不敬だわ」

「はいはい。だけど、今回の仕事は、終末の羊の手伝いだ。お前だって、あそこの支援に世話になってるだろ?」

「確かに、あそこが無償で食料なんかの物資を配ってくれるのは助かるわよ。役所は何もしてくれないし、最近は特に不景気だしね」

「その世話になってる団体を手伝うんだ。しかも、宗教団体。神様に仕える人間を助けるのは、徳を積むようなことだろ?」

「それは……そうだけど」

 キャシーも言い返せなくなってきた。

「俺はな。世話になった連中を助けたいって気持ちから、今回の仕事を受けた、ってのもあるんだぜ」

「ホントか? 報酬が良いんじゃねぇのか?」

 意地悪な疑いの目を向けながら質問するルーヴィックに、ニックはとぼける様な顔でニヤリと笑いながら「まぁ、ちょっとな」と答える。

 その様子にルーヴィックも笑いながら、首を縦に振った。

「仕方ねぇな。でも、怪しいと思ったらすぐに辞めるからな」

「さすが兄弟だぜ! 他のメンバーにはもう話はしてあるんだ。さっそく、終末の羊の連中と話を付けてくるわ」

 そう言うやいなや、ニックは席から立ち上がると部屋を飛び出て行った。

「ルーヴィック、無理しなくてもいいのよ」

 キャシーはテーブルの空になったマグカップを片付けながら口を開く。

「別に無理はしてねぇよ。俺も儲け話には乗りたいだけだ」

「でも、マーシャルにバレたら、大変なことになるんじゃない?」

「まぁ、いつもみたいにゲンコツ食らって怒られておしまいだろ。ワイルドよりも、テレンスの方がタチが悪いぜ」

 あからさまにテレンスの名前を言う時に顔を顰める。

「それに、あいつにだけ変なマネさせられねぇだろ」

「兄さんは無茶ばかりするから」

 そう言うとキャシーはルーヴィックの手を握る。彼もその手を握り返した。

「あと、俺も金が欲しいしな」

 ペロっと舌を出して見せるルーヴィックに、キャシーは「もう」と小さく笑ってマグカップをキッチンへと運んで行った。

「今日はご飯、食べていく?」

 キッチンからキャシーが声を投げかけてくる。

「いや、アリシアが俺の分も用意してるだろうから、今日は帰るわ」

 立ち上がり帰り支度をするルーヴィックに、「そう」と声だけ返ってくるが、少し寂しそうだった。

 ルーヴィックはキッチンに行くとキャシーに近づいて、頬に軽くキスをした。

「また来るよ」

 そう言って顔を離すと、ニッと歯を見せて笑顔を見せる。

「その笑顔は嫌い。なんでも言うことを聞きたくなるから」

「俺って魅力的な男だから」

「はいはい……それじゃぁ、またね」

 キャシーは笑いながら手を振るのを見て、ルーヴィックはハットを被って部屋を出た。


 外に出ると、すぐに異変に気付いた。

 道行く人々が口を開けて空を見上げている。

「うわ……ヤベーな」

 彼もつられて見上げると、視界一面に鳥がひしめき合っている。

「気持ちわりー」

 率直な感想を口にすると、彼は興味を失ったかのように視線を戻して岐路に着いた。

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