第8話:もう一人の保安官補佐
「結局、工場の捜査は市警察に全権を奪われた形です」
ダウナーサイドからミッドサイドへと続く道すがら、ワイルドの隣を歩くテレンスが不服そうに口を尖らせる。
ワイルドと同じような服装をするテレンスは黒人で、すれ違う人の中には稀有な目を向ける者もいる。様々な人種が集まり、差別意識が薄まった大都市とは言え、未だに黒人への偏見は根深い。
しかし、テレンス本人は、そうした視線に慣れたもので、気にするそぶりも見せない。
彼はワイルドの補佐官であり、先日のイーストリバーを覆いつくした魚の死骸の件で工場への調査を進めていた。が、途中で市警察が介入し、テレンスらは締め出されてしまった。
「絶対に役所の圧力が働いたんですよ。俺らに調べられると不都合があるんです」
市警察と役所、特に市長との癒着は広く知られていることで、市長の指示に従う姿を見て、市民からは市警察ではなく『私』警察などと揶揄されているしまつ。今回も魚の死骸が浮かんだ時には一切動こうとしなかったが、ワイルドらが工業廃水について調べ始めた途端に姿を現した。
「今回の件に関係がなくても、探られたくない腹ってのがあるんだろうな」
ワイルドもテレンスと同意見とばかりに頷く。
「だが、愚痴ばかり言ってもどうにもならん」
「そりゃ、そうですけどね。俺たちだけじゃ、魚の始末だけでもいつまでかかることやら」
工場の調査を妨害され、ワイルドらはひとまず魚の死骸の始末に取り掛かっていた。シェリフや市民の協力を仰ぎながら、河口に詰まる魚を回収し、工業地域の区画拡大のために埋め立てられた場所へ破棄。何が原因で魚が死んだか不明のため、有害物質を恐れて焼却している。
ただ、数が多いため、未だに終わりが見えない。
今日も作業を引き上げてきた所だった。
ゲンンリするテレンスの姿に、ワイルドは低く笑う。
「あの数だからな。世紀は跨ぐだろうな」
「確かに、20世紀はここで祝いそうですね」
「21世紀も、かもしれんぞ」
「それは思ったよりも作業は、早く終わりそうですね」
この先の作業を思い浮かべながら苦笑いをする2人。
「焼却までする必要あるんですか? あれで1つ、作業工程が増えてますよ。と言うか、もう放置でいいんじゃないですか? 海に流れていくのを待てば」
「何に汚染されているか分からんから、とっとと破棄しときたいんだ。放置して腐れば、ガスが出る。それに食おうとする輩もいるからな。腹を壊す程度ならいいが、訳の分からん公害にでもなったらそれこそシャレにならんぞ」
「あの魚を食べれば食費が浮きますからね。体を害してでも、食べ物にありつきたいって人は、ダウナーイーストには大勢います」
自分たちが歩く場所からさほど離れていない区画のことを思い浮かべ、テレンスは首を振る。
「一応、食うなとは言ってあるが……実際はどうだろうな」
「黒人街(ハーレム)でも魚の話で盛り上がってます」
「そっちは任せる。俺よりも、お前の方が親しいからな」
ダウナーイースト同様、アッパーサイドにあるハーレムでも貧しい人は大勢いる。黒人の人権が保障されたと言っても、それは表面的な物で人々の意識はさほど変わっていない。黒人が白人のように社会で活躍することは難しいのだ。だからこそ、ハーレムでは黒人同士が集まり、協力しあっている。
同じ黒人のテレンスは、最初こそ白人(ワイルド)の手下として煙たがられたが、ワイルドが認められる様になるにつれて、テレンスを受け入れてくれる人も増えた。
「まぁ、それは任せてください。でも、あそこはイーストリバーからは少し離れてるんで……あぁ~。見てくださいよ。またネズミが死んでます」
テレンスが指さす方向には、道の隅で丸々太ったネズミが転がっている。
「最近、多いな。犬とかもよく死んでるらしい」
「これも、あの魚のせいなんですかね」
ネズミや犬なら、流れてきた魚の死骸を食べているかもしれない。
「これが人で起こるとマズイな。ダウナーサイドは衛生面も良くないし、狭い空間に人が密集してる。何かの感染病でも出たら、あっという間に広まっちまうぞ」
ネズミの死骸を横目に、ワイルドが舌打ちをする。
「あぁ、確かに風邪みたいな病気が流行ってるらしいですからね」
「風邪だからって侮るなよ。風邪でも人は十分に死ぬ」
「俺たち、やること多くないですか? 役所は何してるんですかね? もっと仕事してほしいですよ!」
次から次へとやることが出てくることにテレンスは頭を掻きながらぼやく。それを見て、ワイルドは小さく笑っている。
「テレンス。お前が怒ったって役所が働いてくれるわけでもないんだ。そんなことに、腹を立てるのはもったいないぞ」
「もったいない?」
「無駄に体力と時間を費やすってこと、疲れるだけだ」
落ち着いたワイルドの様子をしばらく見て、テレンスはため息を漏らす。
「なんでそんな落ち着いてられるんですか? 街がピンチかもしれないんですよ?」
「だからこそだ。親父がよく言ってたよ。『ピンチになった時こそ冷静になれ』ってな。こんな時こそ、自分たちの力で変えられる物と、変えられない物を見極める力が必要だ」
そう言うと歩きながら、ワイルドはポケットから取り出した煙草を咥えて火をつける。そして、一息
吐き出してから「そういえば」と話題を変えた。
「ルーヴィックの奴、最近見ないが、どこ行った?」
彼の言葉に、テレンスは身悶えするような動きをする。
「あぁー! あいつ、ホントに、ホントに何考えてるんだか?」
今日一番の声を上げた。
「あいつ、マジで何とかした方がいいですよ。ワイルドさん。何を言っても無駄ですって」
一言一言に力が込められていた。話ながらボルテージ上がってくるテレンスをなだめるワイルド。
「まぁ、落ち着けって」
「あいつはワイルドさんの顔に泥を塗ってるんですよ。昼から酒を飲み、ギャンブルをして、女に入れあげる。えぇ、もちろん、その分しっかり働いているのなら文句は言いません。でも、働くどころか事務所にすら来てないじゃないですか! 最近じゃ、ダウナーイーストでギャング崩れみたいな連中とよく一緒にいるみたいですよ。確か……名前は……」
「ニックか?」
「そうです。ニック。いい噂は聞かない奴らです。問題ばかり起こしてる。いつかルーヴィックも、道を踏み外しますよ! もちろん直接忠告はしましたよ。でも、あいつは俺の話しなんてまったく聞きませんから、ね!」
本気で怒り、止めどなくルーヴィックへ悪態を吐くテレンスに、ワイルドは笑ってその様子を見ていた。
「何が面白いんですか?」
「いや、あいつのことよく見てるな、と思って」
テレンスの言葉が詰まった。
「ワイルドさんは、あいつに甘すぎますよ」
「そうか? お前もあんまり悪いところばかり見てやるな。人間、どうしてもそういう所ばかりに目がいってしまうもんだ」
「あんな奴に良い所なんてありますかね?」
「あるさ。でなきゃ、保安官補佐にはしてない」
自信を持って答えるワイルドに、テレンスはまだ納得いってないようだった。
「テレンス、お前は人から認められたいか?」
急に口調を和らげ、諭すように話し始める。頷くテレンスを見て続ける。
「人から認めてほしければ、まずはお前が相手を認めるところから始めろ。それは誰に対してもだ」
「認めてますよ。優秀な人に対してはですけど」
「能力の有無は状況やタイミングによって変わる。まずはそいつ自体を認めることだ」
頭に「?」が浮かんでいる。
「口で説明すんのはムズいんだ。まぁ、要するに、ルーヴィックを認めてやれ」
「ワイルドさん。仮に俺があいつを認めても、あいつは俺を認めませんよ」
「かもな、でも自分を認めない奴のことは、自分だって認めようとはしないだろ? まぁ、やってみろって、そうしたら今まで見えなかったことが見えてくる・・・・・・かもしれん」
最後は曖昧にはぐらかした。そこまで聞いても、テレンスはやはり納得できない。しかし、他ならぬワイルドの言葉だ、反論はしなかった。
2人は目的地のテナントに到着する。かなり古く、そして狭い。廊下や階段には、人がたむろっており、見るからに治安がいい場所ではないことが分かる。ただ、それは一般人にとってだ。マーシャルと保安官補佐の2人には関係ない。むしろ、姿を見せると、道が開けたぐらいだ。
慣れた感じで通路を進み一つの扉の前に立ち止まる。
「牧師! パベル牧師……俺だ。ワイルドだ」
ノックをしながら声を上げるも中から反応はない。
「いないな。いつも、この時間はいるんだが」
「またアヘンじゃないですか」
「まさか、きっぱり止めると約束した」
「怪しいもんですよ」
「あぁ見えても、昔は敬虔な牧師様だ」
反応のない部屋の主の話をしながら、ワイルドはノックを数回繰り返す。が、やはり留守の様だった。
諦めて踵を返す。
「ワイルドさん。いつまでパベルさんの面倒を見る気ですか?」
「街を出てくまでには立て直してやりたいんだがな」
「難しいんじゃないですか」
「それでもだ。あの人には昔、世話になった。この街で再会したのも何かの縁だしな」
少し寂しそうに目を伏せるワイルドに、テレンスはそれ以上何も言わない。それは、彼の問題であり、テレンスが必要以上に口を挟む問題ではないからだ。
外に一歩踏み出した瞬間、2人は異変に気付いた。
やけに暗い。
まだ日が高い時間のはずだ。太陽が雲にでも隠れたのかと頭上を見上げ、視線を外せなくなった。テレンスなど、口を開けたまま立ち尽くした。
空を覆いつくすほどの鳥の群れが飛び交っている。それもカラスだ。
漆黒の翼を羽ばたかせ、まるで巨大な生き物のように、忙しなく街の空を蠢いていた。
「魚の次はカラスか……」
テレンスと同様に呆然とするワイルド。
「ホント、何が起きてるんですかね?」
なぜかは分からない。ただ、その光景を見ていたら、鼓動が早くなり、無性に不安になった。
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