第2章:埋め尽くす黒い翼
第7話:友人を訪ねて
大学教授のジェームズ・クラークは友人のエドワードに会うために列車から駅へと降り立った。
エドワードはニュージョージで医者をしており、ダウナーサイド、その中でも貧しい人たちが集まる西側付近で診療所を開いているらしい。
市外から街の中心部にあるセントラルステーションまで来ると、そこで市内線に乗り換えダウナーサイドへと南下してきた。
真っ白な襟付シャツにはしっかりとアイロンが掛けられており、首には蝶ネクタイ、ベストや上着には毛玉一つ付いていない。そんな紳士然とした彼が、ダウナーサイドの駅に降り立てば、目立たないわけもない。あっという間に身なりの乏しい物売りの子供などに取り囲まれる。
「お兄さん、花を買っておくれよ」
「荷物を持とうか?」
「どこに行きたいの? 道案内してあげる」
四方八方から言葉が投げかけられ、手が出され、掴まれる。
「あ、いや、け結構ですけど……」
そう言っているうちに胸ポケットの財布が取られ、懐中時計が取られ、着替えの入ったかばんもいつの間にか手から無くなっていた。
さんざんもみくしゃにされていると、ジェームズと人々の間に小さい人影が割って入る。
「この人、スコット(エドワード)先生のお客さん! 今すぐ、取った物、返して」
やや片言であるが凛として鋭い口調で、割って入った人影が言う。すると人波は一瞬遠ざかり、若干の舌打ちと共に取られた物が返ってくる。
「あ、ありがとね……」
疲れたように戻ってきた荷物を回収(戻ってこなかった物もあった)しながら、ジェームズはお礼を言った。そして、目を丸くした。
そこには浅黒い肌に黒曜石にように美しい綺麗な黒髪をしたアメリカ・インディアンの少女がいた。
「インディアンが洋服着て、英語話しているの、不思議?」
呆けているジェームズに少女は英語で冷たく言い放つ。
「あぁ、いや。綺麗な英語だったもので、つい」
言いつくろったつもりだったが、大して誤魔化せてはいない。アタフタするジェームズに、少女は相変わらず冷たい視線を送りながら小さなため息を吐く。
「ジェームズ・クラーク教授、ですか? スコット先生、言われて、迎えに来ました」
彼女が本題を切り出してくれてジェームズはホッとしながら、自己紹介をしつつ手を差し伸べる。
「その通り、ジェームズ・クラークだ。さっきは本当に助かったよ……えっと」
「マハ」
彼女は彼の手には反応せずに、短く答えて踵を返す。付いて来いという意味なのだろう。
ジェームズの準備が整うよりも前に、マハは一人で歩き始めるため、慌てて荷物を抱えて後を追った。道も分からない上、また先ほどのような状況になったら今度こそ身ぐるみをはがれてしまうだろう。
「しかし、取られた荷物だが、よく戻ってきたよ」
無言で進むマハに、堪らず話しかけた。先ほどから何度かトライしてみたが今の所は全て無視で返されている。しかし、今回は返答があった。
「この辺りの人、だいたい先生の患者。診療所に、1度は来たことある。多くの人、先生に恩を感じている。その方の客人から、物、盗れない」
誰からも盗ってはいけないだろう。とは思ったが、ここでは自分の知っている理屈は通らないのだと、無理に納得した。同時に自分の友人が多くの人から感謝される存在になっていることに、少なからず誇らしい気持ちになる。
「しかし、マハちゃんが迎えに来たのは驚いたよ。てっきりエドが来ると思ったから」
ジェームズの「ちゃん」という部分に眉を顰めるマハだが、そのことについては何も言うことはなく、淡々と不愛想に答える。
「先生、患者診ていますので、代わりに私、来ました」
「君は、エドとはどういう関係なんだい?」
「私診療所の受付。あとは、雑務」
「なるほどね」
「着く頃には、休憩の時間。ちょうどいい」
そう言うとまた口をつぐんでマハは歩き出す。その後は気まずい沈黙とともに、ジェームズは付いて行った。
辿り着いた診療所は、ダウナーイーストサイドの近くにある小さな一軒家を改築しただけの簡単な造り。簡素な待合室にはまばらだが人種、階級(さすがに上流階級の人はいないだろう)に問わず、怪我をした人や体調の悪そうな人が集まる。
マハはジェームズにしばらく待つように言うと、奥へと入り、そして受付の席に座って本を読み始める。
待合室の人間が全員、いなくなった頃。
奥から痩せた男が現れる。ヨレヨレのシャツに、焦げ茶色のベスト、少し広い額に、丸い眼鏡を掛けた男性。ジェームズと同じくらいの年齢だが、彼に比べて老けて見える。
「待たせて悪かったね。どうにも最近、風邪に似た病気が流行ってて」
彼の顔を見ると明るい笑顔で出迎えた。
「ホントだよ。君が呼んどいて、待たせるとはね」
「ジェームズ、来るのが早いよ」
「エド、それは不躾だな。僕は君の指定した時間通りに来たんだよ」
そうだったか? と首を傾げるエドワードに呆れながらも近づき抱擁した。
「君はいつ見ても若くて羨ましいよ。ジェームズ」
「若さのコツは、働きすぎないことだよ」
「なら、私には無理だな」
2人で笑いあいながら、診療所の二階へと案内された。
そこは居住スペースになっている。
ジェームズは抱えていた鞄を床に置いてから、上着の汚れを払い、椅子に座る。目前のテーブルには乱雑に紙や本が積まれ、恐らくエドワードが食事をしているであろう所だけスペースが空いている。
部屋は掃除もそこそこで、散らかっている印象を受けるが、汚いとは思わない。ただ所々に壊れたままの家具やヒビの入ったままの窓を見る限り、暮らしぶりは裕福ではないようだ。
「生活は結構、厳しいのか?」
「貧乏暇無し、と言うやつさ」
エドワードはキッチンから紅茶のセットを持って現れると、机の上の紙や本を適当な場所へと移動させて、お茶を入れ始める。紅茶の落ち着く香りが部屋に充満した。
「貧しくても、これだけは止められない。厳しい父親だったが、お茶の良さを教えて貰えたことには感謝だね」
エドワードは手慣れた手つきで用意をしながら、小さく笑いながら言った。それにはジェームズも「確かに」と賛同する。わざわざ遠くから来た疲れも、この香りを嗅いだら吹き飛んでしまいそうだ。
「あれだけ、患者が来てたのに・・・・・・お金を取らないのかい?」
「見ただろ? 貧しい人々がほとんどさ。貰えるときに、貰ってる。無理には取れない。大きな病院には行けない人、追い出された人が来るのさ・・・・・・ところで、酷い格好だな」
エドワードはヨレヨレになった友人の服装を見て、苦笑しながら言う。
「あぁ、これかい。いや、酷い目に遭ったよ」
駅を降りてからのことを思い出しながら話し、首を振る。
「どうやら、ニュージョージから熱烈な歓迎を受けたみたいだね」
「まったく、ビックリだよ。気付いたら、全部取られていた」
「君はお金持ちそうだからね。しかし、無事に戻ってきてよかった」
「いやー、マハちゃんのおかげでね。でも、驚いたよ。アメリカ・インディアンの子が受付をしてるなんてね」
「成り行きだよ。あの子も元々は、うちの患者だったんだよ。怪我をしていた所を治療したんだ。なんでも恩に感じたらしくて、手伝ってくれている」
「あの子、ここまで来るのにほとんど話さなかったけど、僕は嫌われてしまったかな?」
「大丈夫じゃないかな。誰にでもそんな感じだから」
それから二人は思い出話に花を咲かせた。いつまでも話せていられそうだったが、エドワードに用事があるため、2杯目を飲み終えたところで帰ることにした。帰ると言っても、取ってあるホテルへだ。
「街を案内でもできればいいんだが、そんな時間が取れなくね」
「いやいや構わないよ。楽しかった。また明日来るよ……ん?」
診療所を出た時、時間の割には暗いことにジェームズは気付いた。
天気でも崩れたのかとも思ったが、すぐに違うと理解する。
近くにいる道行く人たちが、全員空を見上げていた。
2人もつられて見上げる。
そこには、空を覆いつくすほどの鳥が飛んでいた。
「この街ではよく見る光景かい?」
唖然とするジェームズの問いに、エドワードは答えなかったが、彼の顔を見ればそれが日常ではないことは予想がついた。
たくさんの鳥が、同じ方向に飛んでいる。そちらに何かがあるのか、もしくは逃げているのか。どちらにしても、背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
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