第6話:市長の憂鬱

 ミッドサイドにある市庁舎で、ニュージョージの市長、サイラスは頭を悩ませていた。

 もちろん、次の市長選をどうやって勝つかをだ。

 アッパークラスのビジネスを後押ししたことで、支持者の獲得と同時に、街の発展にも貢献してきた。しかし一方で、増え続ける移民や貧困にあえぐ者たちへの対応は後回しになり、貧富の差が拡大したことも事実だ。

 これは、発展のためには仕方のないこと。

 都市の経済が大きくなれば、おのずと全体も潤ってくる。しかし、末端にまでその恩恵がいくには時間がかかる。そのおかげでダウナークラスからの評判はすこぶる悪いが、アッパークラスからの評価は上々。市長選で影響のある人たちも、市長の政策には上機嫌だ。

 ただ気になるのはアッパークラスの中にも、貧困を是とするサイラスの政策をよく思わない偽善者がいることだ。彼らの発言力を甘く見ることはできない。


 悩みの種だ。


 また、最近では土地不足が深刻だった。労働者はダウナーイーストサイドに溢れるほどいるが、それらを働かせる工場が足りなくなっている。新たに埋め立てにより土地を増やそうとしているが足りない。水面下ではダウナーイーストサイドへの誘致にも動いており、住民を追い出す準備も少しずつ進めていた。これにはかなりの反発も出てくるだろうが、力のない者たちだ。特に問題なく進められるだろう。問題があるとすれば、アッパークラスの人間か、マーシャルのワイルドあたりからの抗議だ。


 サイラスはワイルドの顔を思い浮かべて顔を顰めた。

 街の人間ではないのに、妙に多方面から信頼を得ている。この1年で、サイラスの市政に対して何度も抗議に現れ、邪魔してきた。

 マーシャルはシェリフや市警察とは異なり、裁判所や連邦政府の人間のため、サイラスとしても扱いづらかった。もちろんワイルドもサイラスに意見できる立場ではないが、抗議しに来た時の高圧的な態度などに何度意図せず要求を飲まされたことか。


 だが、それももうすぐ終わる。


 ワイルドはもうすぐ街での仕事を終えて去っていく。目の上のたん瘤がいなくなると思うと、サイラスの気持ちは軽くなる。いなくなってしまえば、抗議されることもない。

 あと少しの辛抱だ。


 思わず口元がほころばしていると、執務室の扉がノックされる。慌てて笑みを消し、応答すると女性が入ってきた。そこには長いブラウンの髪にとび色の瞳、気の強そうな目つきだが、眉目秀麗な女性がいた。

「あぁ、ナタリー。ハンナは?」

「あの子なら、いつもの様に図書館に行きましたよ」

「そうか、本当に本が好きな子だ」

「あなたに似たのですよ」

 微笑むナタリーに、サイラスも笑みがこぼれる。ナタリーは自慢の妻であり、ハンナはかけがえのない娘。特にハンナはようやくできた子供でもあり、目に入れても痛くない。よく溺愛しすぎであるとナタリーから注意されるが、治す気もない。

「それで、また眉間にしわを寄せて、今度はどんなことを悩まれているんですか?」

 ゆっくりとソファに腰を掛けながらナタリーは訊ねる。指摘されてサイラスは自分の眉間をさすりながら、目の前の資料に視線を落とした。

 それは、先ほど報告された物だ。

「イーストリバーに魚の死骸が流れ着いたとか……。しかも、川を覆いつくすほどだそうだ」

「……それは、大変ですね。工場排水が原因でしょうか」

「まだ分かってない。マーシャルらが捜査してるらしい」

「マーシャル……ワイルドさんが?」

 ナタリーは眉を顰める。

「もしも原因が支援者に関係する工場であれば、厄介なことになりますね。いろいろと根回しをしておいた方がいい。市警察を動かして、マーシャルよりも先に聞き込みを済ませてはどうでしょう? 必要なら口止めも。今は工業地帯の拡張の計画もある大事な時期ですから」

 ナタリーの提案に、うんうんと頷くサイラス。

「何かの自然現象ならば良し。些細なことで足元をすくわれないよう、あらゆる可能性を潰しておく必要がありますね」

「しかし、そんなにあからさまにも動けないしな」

「あなた。もっと自信を持ってください。あなたは市長なのです。この街で1番力を持った人なのですから」

「1番は、言いすぎじゃないか?」

「まぁ確かに、表向きでは支援者の方々が1番ですかね」

 からかうような目付きで言うナタリーに、サイラスも笑ってしまう。聡明な彼女はいつだって的確な答えを示してくれる。それに彼女の目に見つめられると不思議と勇気付けられ、自信を持たせてくれる。

「そう言えば、報告によるとダウナーサイドで広まりつつある怪しげな団体が、何やらこの件を持ち出して騒いでいるらしい」

「……終末の羊ですね。さしずめ、お得意の終末論と魚の大量死を結び付けているのでしょう。信じるのは愚か者だけですよ」

「しかし、大きくなりすぎると厄介になりそうだな。今のうちに市警察に言って取り締まるか」

「いえ、まだ手を出すのは止めておきましょう。下手に取り締まれば、逆に彼らを目立たせてしまうかもしれません。それに、彼らはあのエリアの誘致を推し進める時に利用できるかもしれません」

 最後にナタリーは「この街がさらに栄えるために」と付け加えると、薄っすらと笑み浮かべた。

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