第5話:ダウナーサイドの兄弟
ニュージョージの南東部。ダウナーイーストサイドは、この街でも1、2を争う治安の悪いエリアだ。ゲットーと呼ばれる狭い集合住宅に、大量の人間が身を寄せ合って生活する。移民で溢れ返り、日雇いの労働者やその日の生活に精一杯な人間の集まる場所だ。自由黒人が集まり暮らすハーレムとは、少し色合いが違う。
さまざまな人種が入り混じったこのエリアは、まさに今のニュージョージを現していると言っても過言ではない。貧しさはあるものの、移民などで膨れ上がる人口による人間の活気が感じられ、一発逆転を夢見て目をギラつかせている人間も少なくない。また、犯罪に手を染める若者も多く、喧嘩や盗みは日常茶飯事だ。それでも、秩序がないわけではなく(一般市民にとっては無いに等しいが)、それぞれの仁義やルールというものがそれぞれのチームにはあり、それに従って動いている。
そんなエリアにある酒場では、日も高いのに大勢の人で賑わっていた。
下品な笑い声に怒号が飛び交う店内の一つのテーブルを囲むように、若者たちが集まる。ワークキャップやキャスケットなどの帽子をかぶり、薄汚れた服装をしている彼らはお世辞にも育ちが良いとは言えない。
その中心にあるテーブルでは4人の男がトランプで賭けをしている。
「おい、ニック。ホントにこれで勝ったら、お前の島をもらっていいのか?」
「あぁ、いいぜ。その代わり、俺らが勝ったら……」
「あぁ、分かってる。ここを自由に使っていいぜ」
クセのある短い金髪のニックは5枚の手札を出す、Jが3枚、7が2枚。先ほどニックに話しかけた大柄な男は、それを見るとニヤリと笑う。彼が出した手札はKが3枚と3が2枚だった。そして、もう一人も手札を見せる。
最後に残ったのは一人だけウェスタンハットを被った青年だった。ニックとは同年代ぐらいで二十歳になるかならないかぐらいだろう。もっとも童顔のためもっと若くも見える。
「ニック。こりゃ、割の合わねぇ賭けだぜ」
青年は煙草を吸って紫煙を吐きながら、ため息交じりに言った。
「俺がこれを出す前なら、まだ交渉の余地はあるんじゃねぇか?」
「おい、ふざけんな。さっさと手札を出せよ。何が交渉だ。そんなもんはとっくに済んでるんだよ!」
痺れを切らした大男が怒鳴るも、青年は動じることなくニックに視線を向ける。ニックもその視線に、肩をすくめて見せる。
それを見て青年は、やれやれと首を横に振りながら手札を出した。
「たかがゲームにしちゃ、賭けるもんがデカすぎたな」
青年の手札は8のカードが3枚だ。
「ニック、約束は約束だ。悪く思うなよ。お前の島は俺たちのもんに……なんだ?」
満足げに大口を開けて笑う大男に、青年がテーブルを叩いて制止する。
「早まるなよ。大将。俺が言いたいのは、たかがゲームで店を取っちまうのはやりすぎだろ、ってことだぜ」
青年がカードをずらすと4枚目にも8が現れた。つまり8が4枚だ。
それを見てニックは青年に抱きつき、それを見ていた半数の若者がワッと歓声を上げる。
対する大男は顔を真っ青にし、すぐに真っ赤にした。
「ふざけんな! フォーカードだと? ありえねぇ。イカサマだろう」
椅子を後ろに倒しながら勢いあまって立ち上がる男の大声で、店内は静まり返っていた。
「落ち着けよ。ジェフ。文句はなしだぜ」
ジェフと呼ばれた大男にニックはせせら笑った。ジェフを含め、周囲にいる者たちも殺気立っているのが分かる。
「イカサマしたに決まってる。こんな都合よく、出るわけがねぇ。身ぐるみ剥いででも証拠をつかんでやるからな!」
唾を吐き散らしながらジェフが懐に手を入れた瞬間。
それよりも先に青年が素早くホルスターからリボルバーを抜いて銃口を向けた。
水を打ったような静寂と緊張が走る。
「俺がイカサマしただと? いい度胸じゃねぇか。いいぜ、好きだけ調べろよ。ただ、何も出なかった時に、お前……どう責任取るつもりだ!」
撃鉄を引き上げる青年の目つきは、猛禽類が獲物を仕留める時のように鋭くなる。明らかの年下の青年の迫力にジェフも思わず息が詰まってしまった。
そこへすかさずニックが割って入る。
「まぁまぁ、止めようぜ。こうならないためにカードにしたんだろ? ジェフ。俺だって今日の今日、引き渡せとは言わねぇよ。また近いうちに来るぜ、そん時に細かいことを決めようや」
そう言うとニックは、取り決めを了承することを示す2人のサイン入りの書類をテーブルから取り上げると立ち上がる。
「行こうぜ」
ニックに肩を叩かれた青年は銃口を下ろすことなく立つと、そのまま2人で店を出た。
「やったな! さすがだぜ。お前を信じてたー!」
店からもだいぶ離れた大通りで、ニックは青年に飛びついて喜びを爆発させた。
「あたりめーだろ! 俺は最後には必ず勝つ男だぜ!」
青年も先ほど店で見せた迫力の欠片もない、笑顔でニックとはしゃいでいる。そんな2人を道行く人々は横目で一瞥しながらも、足早に歩いている。
そんな中、2人に近づいてくる影があった。
「兄さん! 今までどこほっつき歩いてたのよ!」
ニックと同じ金髪で、綺麗な顔つきだが少し瘦せすぎている女性が大股で近づいてくる。
「酒臭い。こんな時間から飲んでたの? またツケで飲んだんじゃないでしょうね。そんなお金、私は払わないからね! 大丈夫だった? 何か変なことに巻き込まれてない?」
ニックへの鋭い言葉とは対照的に、青年への言葉や優しげだ。
「兄貴に対してこの扱いよ」
それを見て、ニックは苦笑しながら首を振る。
「当たり前でしょ。彼は保安官補佐なのよ。もしものことがあれば、ワイルドさんにも迷惑がかかるし」
ニックに対しては怒りが収まらないらしいが、彼は相変わらずの態度だ。
「大丈夫だよ。キャシーは心配しすぎだ。さっきもちょっと飲んでただけだ」
「えぇー。ホントに?」
疑いに目をむけるキャシー。
「ホントだって。ちょっと一杯ひっかけて、カードで遊んだだけだ。ジェフの店でな」
「… …ジェフの店?」
ニックの発言に隣の青年はニヤリと笑いながら聞き返す。それにニックも歯を見せて笑顔になりながら、懐の書類をチラリと取り出す。
「ジェフの店? ……あぁ、俺の店~?」
「「まだ早い、まだ早い、まだ早い!」」
2人は声をハモらせながら笑いあう。状況の分からないキャシーだけがキョトンとしている。
「まぁ、何でもいいけど、危ないことだけはやめてよ」
諦めたようにキャシーはため息を吐いた。
「そんなことよりも、叔父さんが兄さんに会いに来たわよ」
「追い返せよ。どうせ金の無心だろ」
「できないわよ。叔父さんが可哀そうじゃない」
「可愛い妹は、まるで聖母様だぜ」
口を尖らせてからかいながらニックは肩をすくめた。
3人で岐路についていると、ニックがおもむろに口を開く。
「なぁ、もうすぐこの街から出るって本気かよ?」
それは隣を歩く青年に向けた言葉だ。
「まぁ、ワイルドがこの街での仕事も終わるって言ってたからな」
「マーシャルが出て行くからって、一緒にお前も出るこたぁねぇだろ? なぁ兄弟。ここに残って、俺らといようぜ」
「兄さん。やめてよ。困ってるじゃない。保安官補佐なんだから仕方ないわよ」
青年は頭を掻いていると、キャシーがニックを窘める。ただ、彼女の言葉にも先ほどのような鋭さはなく、首に掛けた十字架をいじりながらも青年をチラチラ見る。彼女も本心では兄のニックと同じ気持ちなのだろう。
「お前がキャシーをもらってくれりゃー俺も嬉しいしよぉ。そうなりゃホントの兄弟だ。マーシャルだってダメとは言わないだろ?」
「まぁ、言わねぇだろうな」
「お前が保安官補佐なんて似合わねぇよ」
ニックが肩を組んでくるのを、青年は「うるせーわ」と軽く払おうと身を捩った時、裾からトランプが5枚落ちた。
「何か落ちたわよ」
「おい、兄弟……これって……」
「あ、あれー? どっかのタイミングで紛れ込んだのかー?」
棒読みになりながら青年が落ちたトランプを足で払った。
「はい、証拠隠滅」
「ほらな! これだからいいんだよ。ゼッテー、保安官なんて柄じゃねぇって」
ニックはさらに嬉しそうに笑いながら、青年に抱きついている。
何のトランプかは分からないが、ロクなことではないことは理解できたキャシーは呆れている。
「皆さん! どうして私たちは貧しいのでしょうか? 小さな子供が飢えなければいけないのでしょうか? 我々は何か罪を犯しましたか? 信仰が足りていませんか? ここは苦しみが増える一方です!」
人並みをすり抜け、声が聞こえてくる。
見れば 大通りの片隅で声を張り上げている集団がいた。
「それなのに毎日のように贅を謳歌している人もいます。この不平等はなんでしょうか」
多くの人は怪訝な視線を向けて通り過ぎるが、立ち止まり耳を傾ける人間もちらほらいる。
「ダウナーイーストサイドの人間は必死で祈り、働き、汗を流している。それなのに、搾取している人間はこう言う『豊かになりたければもっと頑張れ』と。これが正しい世界でしょうか? 神は必ずお怒りになる。終末の時が訪れる……」
「『終末の羊』だわ。最近、よく見るわね」
キャシーが集団を見ながら呟く。彼らはダウナーイーストサイドを中心に活動する宗教集団だった。街頭に立って主張している姿をよく見る。現れた当初は全く相手にされなかったが、ここ最近では市民の経済的な不満も相まって耳を傾ける人間も出てきている。
「ただの終末論者だろ」
青年が顔を少し顰めながら言う。胡散臭いと顔に書いてある。
「でも、信者に限らず貧しい人のためにいろいろと慈善活動もしてるらしいわよ」
彼らを擁護するキャシーに青年は「ふーん」と興味なさげに答える。終末の羊の信者はなおも声を上げている。
「今朝、川を埋め尽くす死んだ魚をご覧になりましたか? あれこそが凶兆です!」
「魚ってなんだ?」
彼らの言葉に引っかかった青年がキャシーに尋ねる。
「なんか、イーストリバーを大量の魚の死骸が流れてたんですって。それも川全体を埋め尽くすくらい」
「なんだそりゃ、気持ちわりーな。どっかの工場が毒薬でも撒いたか?」
ニックも想像して顔を顰めているが、原因はまだ分からないらしい。
「その魚の処理と原因を調べるためにマーシャルが捜査してるって……」
「何? ワイルドが動いてるのか?」
マーシャルと言う単語に、青年は反応する。
「シェリフたちと協力して動いてるって、青果屋のおじさんが言ってたかな」
「マジか。ヤッベー、ちょっと行ってくるわ」
青年はポケットから保安官補佐のバッジを取り出して胸に付けると、慌ててイーストリバーに向かって駆けだした。
「ルーヴィック。いってらっしゃい」
「おい、兄弟! それでさっきの俺が言ったのの返答は?」
にこやかに送り出すキャシーと、少し不機嫌になるニックの兄妹を置いて、保安官補佐のルーヴィック・ブルーは軽く片手を上げて走り去っていった。
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