第3章:流行り病

第12話:何かが動く音

 アヘン窟の前の通りには、多くの人だかりができていた。

 シェリフや市警察が集まってくる市民を追い払っている中で、ワイルドは煙草を思いっきり吸い込み紫煙を吐き出す。煙は宙に舞い、そしてすぐに靄となって消えていく。いつも被っているハットの下のその顔は険しく、眉間にはシワが寄っていた。

 ワイルドは煙草をもう2、3度吸ってから、苛立ちをぶつけるように地面に投げ捨てる。

「……クソが」

 誰に言うでもない呟きが彼の口から漏れた。

 その視線の先には、シェリフや市警察が作業する姿が映っている。彼らの周囲の地面は赤黒く染まっており、地面に複数の布が敷かれていた。その布は人の形に盛り上がっている。そして、まだ血生ぐさい臭いが残る


 昨晩、アヘン窟の前で老人が奇声を上げ、持っていた刃物で通行人を次々に刺していった。襲われたのはアヘン窟から出てきた客が多く、まともに反応もできなかったのだろう。そのうち何人かの女性は運が悪いことに、必要以上に刺され、地面に転がっている。死体は見るに堪えないものだった。その時、老人は「魔女が」と叫んでいたらしい。

 

 ワイルドは何度目か忘れてしまった深いため息を吐いた。

 視線を下に降ろすと、死体に敷かれる布がもう一枚。

 しゃがみ込んで顔の部分をずらせば、昨晩、食卓に尋ねてきたパベルの顔があった。


 大勢の人を襲った通り魔の正体はパベルだ。


 パベルはさんざん人を襲った後で、自らの喉を掻っ切って死んだ。

「どうして、こんなことを……?」

 決して答えてはくれない問いかけをするワイルドの顔には、後悔と苛立ちが混ざっている。


 なぜ昨日、無理矢理にでも送り届けなかったのか。一人にさせてしまったのか……


 彼が不安定な状態なことは分かり切っていたのに。

 悔やんでも悔やみきれない。

 ワイルドは、パベルの体を調べる。持ち物で特に目ぼしいものは見つからない。それでも、何かないかと探した。シェリフや市警察は、アヘンでラリッた狂人の悲劇として片付けるだろう。しかし、ワイルドは、なぜか納得ができなかった。

 違和感があるのだ。


『魔女の仕業だ!』


 パベルの言葉を思い出させる。決して魔女を信じているわけではない。だが、何らかの陰謀があったのかもしれない。それに巻き込まれていたのかも・・・・・・。


「何やってるんだか」


 眼を皿のようにして『何か』を探している自分に独りごちて笑う。そんなわけがないのだ。アヘン中毒者が幻覚を見て、イカれて暴れた。本当にそれだけの事件なのかもしれない。

 犯人が身内であることに、動揺しているに過ぎない。

『魔女に備えろ』

 不意にワイルドの頭の中に、生前の父親の言葉が思い出された。しかし、その言葉を真に受けることは決してなかった。父親は精神を病んでいたからだ。

 同時に思い出したくない光景までフラッシュバックする。



『お、親父、頼むから、銃を下ろしてくれ!』

『ルスカー。いいからぁ、テメーはぁ、部屋を出てろぉ!』

 噎せ返るような暑い部屋。

 腕の太さの異なる左右の手でリボルバーを握りしめる父親。

 震える銃口の先にいる自分。

『落ち着け。落ち着いてくれ!』

『黙って、言うことを聞けぇ! 失せろぉ』

 銃声……。



 頭を振ってワイルドは過去の悪夢を振り払う。

 少し動悸もした。

 あれから10年以上が立つが、それでも鮮明に思い出すことができる。

 ずっと引っかかっている違和感と共に……。


 魔女の存在を話して死んだ父親、そしてその父と共に魔女と戦ったというパベルも魔女の存在を指摘して死んだ。ただの偶然か・・・・・・自分まで頭がおかしくなりそうだ。


 ため息を吐いて視線を落とした時、パベルの死体の違和感の正体に気付く。


 首の傷が右側にある。


 ワイルドは眉を顰めながら、被害者の女性に近づき傷を確認する。

 刺し傷が左側に集中している。

 ワイルドはパベルの元に戻り、右手を確認する。

 骨と皮だけのやせ細った腕だ。

 機能しているとは思えない。実際、彼もパベルの右手が動いている所を見たことがない。


「おい。どうしたよ?」


 神妙な顔つきのワイルドに、パトリックが近づいてきた。

「やけに考え込んでるが、犯人と顔見知りか?」

「あぁ、昔世話になった牧師様だ」

「牧師? そりゃ、驚きだな。アヘン中毒で自殺が神に仕えた奴の末路とはな……で? 何がそんなに気になるんだ?」

 パトリックの質問に、ワイルドは考え込むように顎を摩る。

「凶器を右手で持ってる」

「ん? そうか。それが?」

「この牧師は、昔から右腕が動かないはずだったんだ」

「ほう? なら誰かが罪を擦り付けて……いや、だが、そりゃありえねぇよ。こいつが人を襲ってる現場を何人も見てる。全員が結託して、こいつを犯人にしようとしてるってか? なんのために?」

「そうだな。確かにおかしな話だ……なら、本当は動いたのか?」

 では、なぜ腕が動かないフリをしていたのか、疑問は残る。

 その時、作業をするシェリフと市警察が少し騒がしい。

 見れば、現場を指揮する市警察の一人が、シェリフに指示を出すが、明らかに嫌な顔をされて拒否されていた。しばらく言い合いは続くが、最終的にはシェリフが折れて作業に戻る。

 市警察はその様子を見送りながら、首を振って、ワイルドらの方へと歩いてきた。


「パトリック、あんたからも言ってくれ。現場で市警察とシェリフが揉めてちゃ、話にならない」


 市警察の紺色の制服に六角帽、胸のバッジを輝かせるその男は、ワイルドと同じぐらいの年齢、ブラウンの短髪に丸い眼鏡をかけている。長身ではないがガッシリとした体躯はスポーツや運動で鍛えられているのが制服の上からでも分かった。

「そりゃ、しゃーねぇわな。市警察様は嫌われてるから」

 困り顔の男に、パトリックは笑って返す。

「テッド、諦めるんだな」

 ワイルドもニヤリと笑みを浮かべて言った。

 そんな2人に市警察のテッドはジト目を向ける。

「大学まで出て、まさか市警察様に入るとはな」

「何度も言うが、シェリフやマーシャルは……ワイルド、気を悪くするなよ……これから規模は縮小されていく。その代わりを警察機関が担っていくんだ」

 テッドの説明にパトリックは「今は、市長の犬だけどな」と嫌そうに舌を出す。

「しかし、どうしてまた今回は市警察が動いてるんだ? 市長がダウナーサイドの人間を気にかけてくれてるとは驚きだな。街が滅ぶんじゃないか?」

 ワイルドはたっぷりと皮肉を効かせて訊ねると、テッドは力なく笑う。

「笑えるな。市警察は街のどこだろうが、事件があれば駆け付ける……と言いたいが、ここのアヘン窟には市長の支援者の息のかかった奴がおしのびで来てるらしい」

「そんなところだろうとは思ったぜ」

「まぁ、今回の事件は被疑者死亡で終わるだろうけどな」

 テッドがパベルに視線を落とす。

 ワイルドも小さく「ああ」と頷くしかない。パベルの腕が動いていようが、いまいが、彼が人々を刺し、そして自らの命をも奪った。法律的にも、教義的にもかなりの罪を犯したことには違いがなかった。


 だが、やはり何かが引っかかる。アヘン中毒者の暴走だけでは、どうしてもワイルドの中で納得できない。何かが欠けている……。大切なピースがない。

 ワイルドの直感がそう言っていた。

 何かとんでもないものが自分たちの知らない所で動いている。そして、パベルの死は、その何かが動いた影響によるものだ、と。


 ワイルドが思案していると、テッドが「そういえば」とおもむろにポケットから何かを取り出したので、強制的に思考は中断した。

「近くにこんな物が落ちていた。今回の件に関係あるかは分からんがな」

 布で作られた袋で、さまざまな物の混じり合った匂いがする。

「香袋か?」

 ワイルドが手に取り鼻を近づけ、顔を顰めた。あまり好きな匂いではない。

「やろうか?」

「いらねぇよ」

「なら、証拠品として署に持ち帰る」

 テッドは再び香袋をポケットにしまう。

「ホントに証拠品なのか?」

「分からんが、近くに落ちてたんだから仕方ないだろ。規則だ」

 テッドは、きっぱりと言い切る。

「おい、見てみろよ」

 パトリックの言葉に2人も視線を向けると、にこやかな顔をした男女の一団が野次馬の中にいた。

「ありゃ『終末の羊』の信徒だな」

 パトリックが吐き捨てるように言う。

「最近、また信者が増えてるみたいだな」

「あぁ、どっかのバカたれ市長のせいで、貧富の差は開くし、よく分からねぇ病気は出てくるしでな。おまけに魚だの鳥だの。不気味な現象も起きたのも勢いづかせる一因だったな」

 パトリックは淡々と説明する。

「それにダウナーイーストで、無償で食料や日用品を配布してるらしい。どこから調達してるかは知らんがな。おかげで奴らを支持する連中も増えてるし、発言に耳を傾ける。俺から言わせりゃ胡散臭いの一言に尽きるがな。だいたい終末論を唱える奴にまともな奴はいねぇよ」

 唾を地面に吐き捨てながらパトリックは言った。ワイルドも彼ほど過激ではないが、おおむね同意見だった。どうにも信用できない。

「市警察は取り締まらないのか?」

 ワイルドの問いにテッドは深くため息を吐く。

「どうにも上から何かを言われてるらしい。今は何もしない様に指示されてる」

「上? 市長か?」

「どうせ、ろくでもないこと企んでるんだろうな」

 

 にこやかな顔を崩さず、ただシェリフや市警察が死体を運んでいく作業を眺める終末の羊の信徒らに、3人は視線を向ける。すると、それに気付いた一団は、表情は変えずにワイルドらに一礼すると、人込みの中へと消えていった。

 しばらくは彼らの消えた方向を見続ける3人だったが、視線を合わせてからそれぞれの作業に戻った。

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