第11話:食卓に訪れる者

 食卓に入ってきたのは老人だった。

 頭はハゲ上がり、病的にやつれている。右手が不自由なようで、ダラリと下がった右側の袖からは他の場所よりもさらにやせ細った腕が見える。目付きも陰険で、目の下のクマが異常に濃い。アヘンの常習者なのは一目で分かる。

 老人は、何とか引き留めようとするアリシアを口汚く罵ってどかすと、肩で息をしながら抱える大きな荷物をワイルドの前のテーブルに置いた。

 それはかなりの重量感があると音から分かる。


「魔女の仕業だ!」


 老人は再度、声を張り上げる。

「す、すみません。ワイルドさん。いきなり入ってこられて」

 不気味な老人に怒鳴られてよほど怖かったのだろう、声は微かに上擦り、手は震えている。

 ワイルドは席から立つと、アリシアの肩を叩きながら安心させて、後は任せるように言うと、彼女はホッとしたような顔になってその場から離れた。

 ルーヴィックとテレンスは、荷物が置かれる寸前に避難させた自分のスープ皿を手に持って食べながら、呆れた様子で老人を見ていた。

 彼らは老人を知っているからだ。

「パベル牧師。いきなりなんだい?」

 ワイルドはできるだけ優しい声で話しかけながら、パベル牧師に近づく。

「ルスカー(ワイルドのこと)、これは魔女の仕業だ。あの時に似てる。最初は些細なことだった。だが、気が付いた時には手遅れだった!」

 あまりの興奮して話すので、口の端に白い泡ができている。

「『これは」って、なんのことだよ?」

 パベルの話しを鼻で笑いながら、ルーヴィックは小声でテレンスに囁いた。が、どうやら聞こえたらしく、パベルは視線をギョロリと向ける。

「何も知らん小僧は黙っとれ! 川を埋め尽くす魚、空を覆う鳥、道に転がるネズミや犬の死骸。そして流行り病。全てが前兆。今度はニュージョージに死を撒くつもりなのだ!」

 あまりの迫力にさすがのルーヴィックも気圧されてしまう。

「落ち着いてくれよ。パベル牧師。それらが全部、何の前兆だって?」

「魔女だと言ってるだろ!」

「前にもあったと?」

「全部が……そうではないが……。でも似ている!」

 歯切れの悪い回答をするパベルは、情緒が定まらない。

「いいから、早く魔女を探し出して殺せ! でないと大変なことになるぞ」

 もう声は絶叫に近い。テーブルに置いた大きな荷物をバンバン叩き、目を血走らせながら怒鳴る姿は明らかに正気ではなかった。あまりの取り乱しように、テレンスが落ち着かせようとするも、邪魔だと殴りかかろうとする始末。

 一旦距離を取り、ワイルドがなだめて椅子に座らせる。

「分かったよ。捜査はしてみるが、魔女なんてどうやって探す?」

「ルスカー、奴らは人に紛れている。外見だけでは見つけられない」

「なら、どうする?」

「我らは初動を誤った。だからあの惨劇を招いた……だから、怪しい奴は全員捕まえて、火にかけれろ! 街が滅びるよりはマシだ」

「本気じゃないだろ?」

 パベルの狂人の発想に、ワイルドの視線が鋭くなる。パベルもその圧力に、さすがに言葉に詰まりしばらくの沈黙が生まれた。

 だがその沈黙は、パベルの冷静さを取り戻す時間になったようで、先ほどまでの勢いは失い、背を丸めて小さくなった。

「パベル牧師。あなたほどのお人が、そんなことを言うとはね。アヘンを続けてるのか?」

「い、いや違う……あー。いや。そうだ。止められていない。私は今、なんてことを言っていたんだろうね。神に仕えた身でありながら、恐ろしいことを。だがダメなんだ。どうしても・・・・・・自分が自分でなくなってしまうようで」

 力なくうなだれ、しくしくと泣き始めるパベルの肩に、ワイルドは優しく手を置く。

「耳を塞いでも聞こえてくる・・・・・・あの時の口笛が聞こえる。アヘンを断つと、すぐ耳元でするんだ。あの魔女の口笛が」

「幻聴だよ。それはもう20年も前のことだ。ここには魔女なんていない」

 言い諭すように話しかけるワイルドの言葉に、パベルは動かない右腕を摩りながらコクコク頷く。

「あの時、私たちは魔女の目を見た。これは呪いかもしれない・・・・・・」

 そこからパベルが落ち着くまでしばらくかかった。

 そして「少し一人で考えて、魔女を探す方法を探したらまた来る」と言い残すと出て行く。帰り際、心配そうに顔をのぞかせたアリシアに、先ほどの無礼を力なく謝罪していた。

「家まで送っていこう」

「いや、大丈夫だ。一人で頭を冷やしながら帰るよ」

 3人はパベルが見えなくなるまで見送る。とても小さい背中だった。

「あれは重症だな」

 食卓へ戻る時にルーヴィックが呟く。

 テレンスも「止めろよ」とは口では言うが、同じ意見だろう。

 ワイルドを見ると苦い顔をしている。

「騒がせてすまなかったな」

「別にワイルドのせいじゃねぇけどさ。元は牧師なんだろ?」

 頭を下げるワイルドに、慌ててルーヴィックははぐらかすように言う。

「あんな姿を見たお前には想像もできないだろうが、昔は敬虔な信徒だった・・・・・・本当に立派な人だったんだ」

 少し悲しそうな目をして答えるワイルドに、ルーヴィックとテレンスは「はぁ、あの人が」と曖昧に返すしかなかった。

「それで、魔女って言うのは?」

 食卓に戻ると、テーブルにはパベルが持ってきた荷物がそのまま置いてある。


「昔、親父が保安官をしていた時、パベル牧師とこいつで魔女を追い払ったらしい」


 そう言いながら荷物を包む布を剥がすと、そこには古びたボーガンと銀製の矢が三本あった。 



☆   ★   ☆



 ダウナーサイドへ続く道。

 ガス灯があるものの間隔が空いているため、大通りと言えども夜はかなり暗い。

 パベルは背を丸くしながら歩いていた。

 先ほどの醜態を思い返しながら、ため息が漏れる。

 足取りは家ではなく自然とアヘン窟へと向かっているのに気づき、情けさなさに顔を顰めた。それでも、今の苦しみや辛い現実を忘れさせてくれる感覚は忘れられない。これが最後と自分に言い聞かせ、何度その約束を反故にしてきたことか。もはやそのことを不甲斐ないと思う気持ちすら薄れてしまった。

 今は一刻も早く、現実を忘れてしまいたい……


 何か音が聞こえる。


 立ち止まり周囲を見渡すが、音が出るような物もなければ、人影もない。気のせいかと踏み出した時だった。耳元で微かに口笛の音色が聞こえた。

 体をビクつかせて耳を塞ぐ。

 心臓が跳ね上がり、外にまで音が聞こえそうなほど高鳴っている。

「お、落ち着け……」

 自分に言い聞かせるように声に出す。

 周囲を見ると、路地の暗闇で何か蠢く。

 呼吸を整えながら、パベルが目を凝らしていると。


「何かに悩まれておりませんか?」


 背後からの声に、思わず飛び上がってしまった。

 振り向くとみすぼらしい格好をした男女が数人立っていた。

 先ほどまではいなかったはずなのに、いつの間に来たのか。

「何かに悩まれておりませんか?」

 いきなりのことでショックから立ち直れないパベルに、男女はにこやかな顔をしながら再度同じことを尋ねる。

「何だと?」

「いえ、思いつめられた顔をしておられましたので」

 男女の中で代表らしき婦人が柔和な顔つきで口を開く。

「何かできることがあればと思いまして」

 笑顔を崩さない集団に、パベルは逆に不気味さを覚える。

「お前さん方に解決できるような悩みじゃない! あっちに行ってくれ」

 険のある言い方をするも、連中の顔つきは変わらない。

「そうおっしゃらず、話してください」

「何なんだ、あんたらは」

「私どもは、終末の羊の信徒です。迷える羊には救いの手を」

「終末……あの、インチキ臭い集団か。うせろ! 汚らわしい」

 牧師であった頃の気持ちがわずかに戻ってきたパベルは、自身が信じて仕えてきた神の名を借りた集団に嫌悪感を露にする。

 今にも殴りかかってきそうな勢いで怒鳴られ、終末の羊の信徒たちは少し怯んでから、ある物を差し出してきた。


 それは香袋だった。

 

「でしたら、せめてこの香袋を。心を鎮め、悩みを和らげてくれる香りがございます」

「そんなもんはいらん。いいから、さっさと立ち去れ!」

「……そうはおっしゃっても、受け取られているではないですか」

 そう言われて初めてパベルは、自分が香袋を掴んでいることに気付いた。

「……は?」


 しかも、右手で。


 この20年間、まったく動かなかった右手が勝手に動いていた。

「どうなってる?」

 状況が理解できず、声が震えていた。


 口笛の音色が聞こえる。


 明るいメロディに関わらず、どこか感情をざわめかせ、不安にさせる不快な曲調の口笛が。

 つま先から這い上がり、全身へと駆け巡る震え。

 歯の根が合わず、うるさく音を立てている。

 終末の羊の信徒らは、声をかけるも耳には入らない。


 限界だ……。


 パベルは人を掻き分け、情けなく悲鳴を漏らしながら逃げ出す。息を切らせ、足をもつれさせながら必死で走る。

 幻聴だと自身に言い聞かせるも音はまだ聞こえてくる。

 気持ちが悪い。

 吐き気がする。


 ありえないことだ。気持ちを強く持たなければ。神よ……。


 神に祈りを捧げるのはいつ以来だろうか。もはや信徒を名乗るには道を逸れすぎてしまったが、それでも神に祈らずにはいられない。

 必死に足を動かしていると、通りの向こうに建物が見える。

 アヘン窟だ。

 アヘンによって得られる感覚を思い浮かべ安堵した時、口笛の音色が一層近くで聞こえた。いや、近くと言うより……すぐ耳元で。

 振り向いてはいけないと直感で理解したものの、反射的に振り向いてしまった。


「年老いたね。牧師」


 甘く妖艶な女の声が聞こえた。後ろからパベルを抱きしめるような形で、顔のすぐ隣に女の顔があった。片目が潰れていたが、見惚れるほど美しい女の横顔。その女がパベルへ顔を向けると・・・・・・


 宝石のような赤い目と目が合った。


 パベルは堪らず絶叫した。

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