第13話:『終末の羊』の羊飼い

 ダウナーサイドの廃れた工場に、『終末の羊』の拠点はあった。

 元は繊維工場だったらしいが、奴隷制度の撤廃でプランテーションを維持できなくなり、綿花の栽培ができずに工場も閉鎖に追い込まれた。そんな場所だ。

 

 ニックとルーヴィックが中へ入ると、日曜日でもないのに多くの人が祈っていた。

 工場内は、機械類が運び出された後で広間のようになっており、いくつもの椅子が並ぶ。奥には簡易ながら1段高いステージが組まれ、壇上に立つ男が教義を、そして外の世界がいかに不平等で乱れているかを話している。さらに奥には祭壇らしき物も見える。十字架こそないが、ここが彼らにとっての教会なのだろう。

 窓や天窓からの光のため、思ったよりも室内は暗くない。

 それでも一歩踏み入れたルーヴィックは、言い知れぬ暗さを感じて、踏み出す足が鈍った。


「気色悪いぜ」


 口から声が漏れるが幸い聞いている者はいなかった。

 壇上の男の話を聞いている者たちは、にこやかな笑みを携え、うんうんと大きく頷いている。それがまるで、操られた人形のようであり、不気味さを感じられた。


 ここ最近の異常現象や流行り病のおかげで『終末の羊』に入信する者が増えた。この団体によるボランティア活動に救われた人や、心の拠り所として救いを求める人など様々な事情を抱えた者たちが集まっている。ただ、生活に困窮する人たちばかりでなく、傾聴者の中にはしっかりとした身なりの者が何人もいた。


「あれがここの教祖様だぜ」


 工場の隅に立って様子を見ているルーヴィックに、隣に立つニックが小さく耳打ちしてきた。

 その途端、場内が一層ざわめく。

 信者の目は憧れと期待で輝き、「エスター様」や「羊飼い様」などの声がそこここから聞こえてくる。その全ての視線、感心を集めた人物が、壇上の真ん中に立っていた。

 その若い女性は、色素が欠落したように真っ白な肌に、美しい黒髪。穴が空いたように黒い大きな目が特徴的であり、飾りのない質素な黒のドレスに身を包む。

 痩せすぎているようにも見えるのに、どこか艶っぽく、その微かに浮かべる口元の笑みに心奪われそうになる。

 エスターと呼ばれる彼女は、終末の羊の教祖のような存在であり、迷える羊(信者)たちを正しい道へと導く『羊飼い』だ。


「皆さん。終末への針はすでに動いております」


 ゆったりと、綺麗な声が場内に響く。さえずるような声だったが、不思議と遠くまで届いた。

「人々の進歩は信仰の目を曇らせました。木を切り倒して街を造り、工場からの煙で空は陰り、排水は川や海を汚しています。緑の大地はどこへ行ったのでしょうか? 青い空は? 海は? どこへ消えてしまったのですか? 一部の人はこう言うでしょう。『より良い世界を作るため』だと。しかし……それは、誰にとってのより良い世界なのでしょうか?」

 エスターが話し始めると場内は水を打ったように静まり返る。一人一人に問いかけるような彼女の話し方は、妙に心の奥底へと響かせ、考えさせられる。それは懐疑的なルーヴィックですらそうなのだから、信者は特にそうなのだろう。


「本当により良い世界になっているのなら、どうして私たちは貧しいのですか? どうして苦しんでいるのですか? 貧富の差は広がり続けているではないですか。私は彼らに言いたい。『ここを見てください。子供が飢える世界のどこがより良い世界なのか』と。間もなく、人々が積み上げてきたものが音を立てて崩れ落ちるでしょう。世界には大きなひずみが生まれています。イーストリバーを埋め尽くした魚の死骸。空を覆いつくす鳥たちの異常。そして……流行り病」

 

 エスターは一旦話を切り、耳を傾ける人々をゆっくりと見渡す。誰一人として声を上げる者はいない。ただ、次の言葉を聞き逃すまいと、食い入る様に彼女を見つめている。

 それは静かながらも異様な熱気があった。気温のせいだけではない。体の内側を熱くする。自分たちの立場を振り返り、彼女の言葉が正しいと強く思えてくる。

「終末の針はすでに動いています」

 視線を一身に受けるエスターは、整った顔に微笑を浮かべ、最初と同じことを繰り返す。

「救われる準備をする必要があります。人として正しい心を取り戻さなければ。共に手を取り合い、助け合い支え合う心です。正しい行いをしましょう。私が導きます。あなたたちを……そして、まだ気づいていない人々に、誰かが手を差し伸べなければ。盲目の羊たちに、この先には崖があると知らせなければ」

 彼女は手を広げる。そのゆっくりとした動作は、それだけで絵になった。

「終末を一緒に乗り越える友たちよ。あなた方が、一人でも多くの羊を救うことを私は期待しています」

 手を胸に持っていき、エスターは軽く頭を下げる。

 それに合わせ、聞き入っていた人々も同じ仕草をして返した。

 エスターが壇上を去って後も、しばらくの間は全員放心状態だった。魂を持っていかれたような、そんな魅力が彼女の声にはあったのだ。



 その後、集会は終わり信者たちが帰り始めた頃合いを見計らい、ニックはルーヴィックを連れて先ほど壇上で話していた男に話しかけた。白髪交じりの紳士然とした年配の男で、遠目からは仕立ての良い服を着ているように見えたが、近くで見るとシワやほつれが目立つ。以前は裕福だったが、没落した家の人間だろうとルーヴィックは予想した。


「パーカーさん。どうも」

 ニックが軽い感じで挨拶すると、男も笑顔で返す。

「よく来てくれたね。ヘイズ君。彼は?」

 隣に立つルーヴィックに視線を向けた。

「こいつは俺の兄弟だ。一緒にやるチームの1人でもあるんだ。今回はここがどんな所か見たいっていうんで、連れてきた」

「そうかい。ベイク・パーカーだ。この団体の運営を任されてる」

 そう言って手を差し伸べるベイクにルーヴィックも手を掴む。

「ルーヴィック・ブルー。取引相手は実際に見ないと気が済まないもんでな」

「至極、当然の考えだ。それで? 君の目から見て、合格かな?」

「至極、救われそうな感じ」

 ルーヴィックの軽口にもベイクは軽く笑って返すだけ。

「信仰はいいよ。心の平穏があるから」

「救われたきゃ教会にでも駆け込むよ」

「そうだね。でも、教会は救ってはくれない。だから、こうして我々が立ち上がるんだ」

「教義だのなんだのは関係ねぇよ」

 ニックが割り込んだことで、ようやく2人のニコやかながらも棘のある会話は止まる。

「俺は金払いさえしっかりとしてくれて、俺をビッグにしてくれるんなら、神でも何でも信じるよ」

 ニックのその言葉にベイクは声を上げて笑った。

「欲張りだな」

「欲を張らなきゃ、ここでは生きていけないだろ?」

「確かにね。それで、前に話していた場所は確保できたのかな?」

「あぁ、問題ない。古い酒場だが、広さ的には申し分ないはずだぜ」

「何の話だ?」

 話に付いていけないルーヴィックが問うと、ニックが思い出したように説明する。

「ジェフの店を手に入れただろ? そこを拠点に使うんだ」

「拠点って?」

 疑問が増えるだけのルーヴィックにベイクが代わって説明した。

「我々は貧しい方々に食料や日用品を配っているのはご存じかな?」

 それはキャシーが教えてくれたので知っている。頷くルーヴィックを見て、説明を続ける。

「これからもっとこの活動は重要になる。あなたは信じないかもしれないが、終末に向けた災厄が迫っているんだ。多くの人を救うことこそ、私たちの役目……ただ、我々だけでは限界もある」

 そこで言葉を切り、ニックへと目をやる。

「より多くのエリアにこの活動を広めるために彼、そしてあなたに協力を仰ぎたいんだ」

「俺らにボランティアを手伝えってのか?」

「スムーズに活動ができるよう、一時的に物資を置く場所の提供と人手の確保だ。配布する量やエリアの規模に応じて、報酬を渡す約束になっている」

「貧しい奴らは助かって、俺たちは金が手に入る。ウィンウィンってやつだろ?」

 ニックは満足げに話しているが、ルーヴィックは納得いかない顔をしている。

「なんで、俺たちなんだ?」

「この話が持ち上がった時に、ヘイズ君が名乗り出てくれたのがきっかけだが……実は、この活動は少し厄介なこともある。ギャングたちとの諍いがたまに起きるんだ。金銭で解決をしているが、同じお金を払うのなら協力してくれる人に払った方がいい。ヘイズ君は地理にも詳しく顔も利く。いざこざをうまく解決してもらいたいんだ」

 団体の人間は一般人だ。ギャングに文句を言われれば、対処のしようもない。だがニックたちのような人間ならば、うまく立ち回ることも可能。なるほど、これでニックがルーヴィックを強引にでも今回の件に関わらせようとした理由が分かった。下手にルーヴィックに手を出せば、ワイルドが出てくる可能性もある。ギャングへのけん制としては十分だ。

 非難するような視線をニックに送るが、彼は「人助け人助け」といつも通りの様子で返してくる。

「いいだろ? 悪いことに使おうとしてるんじゃねぇんだ。マーシャルも怒らねぇよ」

 頼られるのは嬉しいが、ワイルドの力を借りるのは気が引ける。

 とはいえ、今回の話を断る理由は今の所見つからない。それに、すでに乗りかかった船だ。

 文句を言うのを諦める代わりにため息が出た。

「俺らに支払われる金やばら撒く食い物とかはどっから出てくるんだ? 湧いて出るわきゃないよな」

「我々の支援者から。悪いがそれ以上詳しくは言えない」

 きっぱりと言い切るベイクの口調からして、支援者とはアッパークラスの人間なのだろう。立場的なこともあり、名を伏せているのかもしれない。

「なるほどな。で? いつから始めるんだ?」

 観念したルーヴィックにベイクも満足げに頷いた。

「では、お近づきの印にこれを」

 ベイクが布袋を差し出す。甘い匂いがする。

「近頃、精神的に追い込まれ苦しんでいる方が多い。だから、落ち着けるようにこれも配っているんだ」

 ルーヴィックとしては好きな匂いではないが、キャシーが気に入りそうなので受け取った。

「さぁ、詳しい話を奥でしよう。できるだけ早く君らには仕事を始めてもらいたい。よく言うだろ? 善は急げとね」

 ベイクに導かれながらニックとルーヴィックは工場の奥へとは入っていく。彼は言う「災厄は気付かぬうちに忍び寄る影。備えなければならない」と。

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