第20話:死体工場
開かれた扉を潜るが、先に入った荷車はどこにもない。さらに奥へと進んだようだった。
マトは注意深く周囲を警戒しながら中を見渡した。
内部はかなり暗いが、外からの微かな明かりと夜目の利く彼なら問題はない。入る前に予想した通り、馬車の修理をしていたらしく、工具や木材がまだ壁や棚に見られる。外観だけなら廃墟かとも思ったが、もしかしたら昼間はまだしっかりと機能した工場なのかもしれない。
それでも今は人の気配などない。
隣で同様に室内を見渡すクリストフは「暗くてよく見えねぇな」とボヤいてはいるが、明かりを付けようとはしなかった。
本当に独り言の多い男だと、マトはクリストフを見て思った。
自分が返答していないせいもあるだろうが、それでもよくブツブツと言っている。
成り行き、と言うよりもほぼ強引にポワカを追う旅に付いてくるクリストフと言う男に、マトは少なからず戸惑いを感じていた。最初は自分の命を狙っているのかと警戒したが、それは徒労に終わる。彼は本気でポワカを追い、殺すために一緒に来ていた。
なぜそこまで必死なのかは知らないが、一人で旅をしてきたマトにとって、同じ目的で誰かが一緒にいることは自分が思う以上に安心できた。アメリカ・インディアンを殺してきたクリストフに、特に思う所はない。アメリカ・インディアンと言っても同族ではない。マトにとって、他部族は遠い存在だった。
『名を口にするのも汚らわしい部族』
彼の生まれた少数部族を、周囲はそう呼び、恐れ、嫌った。
理由は簡単だ。
災厄の魔女と呼ばれるポワカを生み出した一族の末裔だから。
白人がこの地に攻めてきた時、マトらの先祖も戦った。しかし、戦いには破れ、多くの部族の血が流れた。そして、その先頭にいたのがポワカだったと伝えられている。
怒りや憎しみが魔女を生み出した。
僅かに残ったポワカの血統は忌み嫌われ、どこの部族にも受け入れられず、流浪の民となった。そして、ポワカを滅ぼすために旅をする。
もちろんマトも例外ではない。
そのため、マトにとっては白人も他部族も大差はない。
ポワカを殺す助けをしてくれるなら、相手が白人でも気にならなかった。たまに会話をしそうになるが、『沈黙の誓い』を立てている。彼が話せるのはたまに会う同族だけだ。でなければ、会話を通して魂が穢れてしまう。ポワカを殺すには清い魂でなければ。
そうマトは考えている。
だからクリストフには悪いが、ポワカを殺すまでは話すつもりはない。
建物は外見よりも奥に広かった。
微かに残る轍の後を追って行くと、突き当りにさきほどの荷車が置かれている。積まれていた死体は見当たらない。どこかへ運んだようだ。脇を見れば、同じような荷車がいくつもある。やはりここが死人運びの拠点なことは間違いない。
「おー。雰囲気あんなー」
クリストフが言うのは、そこに地下へつながる階段を見つけたからだ。
微かに明かりが漏れており、はっきりとは聞き取れないが人の話し声もする。
死体を地下へ運ぶ理由は何か? 怪しさが濃くなっている。階下へ厳しい視線を送るマトは無意識に、隠し持っている鉈の柄に触っていた。隣を見れば、クリストフもホルスターに収めるリボルバーに手を置いている。
今までにない不気味さと手応えに、恐怖と期待が入り混じり、心臓を高鳴らせる。
足音を消しながら階段を降りる2人だが、微かにする靴音、呼吸、高鳴る心音がやけに大きく聞こえ、周囲にも響いているのではないかと思えてしまう。
ここがポワカと関わりがあるかは分からない。もしかしたら、まったく別の関係ないかも。その場合は、面倒事に巻き込まれる前に退散するつもりだ。
地下へ降りるに従い、漂ってくる異臭は強くなり、下に着く頃には顔を歪めてしまうほど。吐き気をもよおす腐敗臭、生臭さ、目が痛くなる刺激臭、汚物の臭い、それらを隠すような甘ったるい香り。そんな複数の臭いが合わり凝縮し、煮詰めたような濃厚な物となって押し寄せてくる。
「こりゃ、当たりか?」
クリストフは腹の底からくる震えを誤魔化すようにあえて明るく話す。
隣のマトも先ほどから背中を虫が這うような悪寒を感じていた。表情こそいつもと変わっていないが、すでにトマホーク、鉈を両手に握っている。
階段を下りきった先には通路があり、一定間隔にランプが掛けられていた。
怪しく浮かび上がる通路の奥からは、何かを叩きつけるような鈍い音と作業音、人の話し声が聞こえてくる。
通路を進むに従い、奥から差し込む明かりや鼻が曲がりそうな臭いが強くなると同時に、寒気がしてきた。体の内側から震えがきて、そして武器を握る手が悴む。それはこの先で待ち構える未知に対する不安からではない。本当に寒くなっている。
通路を渡りきった先を覗き込んだ2人は息を飲んだ。
「これは……」
クリストフはそれ以上、声が出なかった。全身に鳥肌が立ち、嫌悪と吐き気が這い上がってくるのを必死で耐える。
通路の先はさらに1階分低くなった広間で、各所から水が流れ込み集まって、別の場所へと流れていた。おそらくは下水施設の一部だとマトは予想する。汚水の臭いはそのせいだ。
広間には明かりが灯されており、巨大な作業場のように改装されている。中央には巨大な釜がいくつも置かれ、下から熱されることで中身が煮え滾り、もうもうと湯気を挙げていた。吐き気を誘発する異臭の正体だ。しかし、2人の視線を釘付けにしたのは、そこではない。その周囲で何人もの人が淡々と作業をする光景が問題だった。
人間を解体している……。
男も女も、子供も老人も全て裸にされ、血を抜かれ、精肉工場のように吊るされて解体されている。その全員の共通点は肌が異様に白いこと。つまりは白熱病で死んだ者たちだ。
表に出せない白熱病で死んだ者たちを引き取り、ここでバラしていた。
先ほどから聞こえていた鈍い音は、ギロチンのような装置で死体の頭や手足を落としている音だった。胴体だけになった死体を作業者は手慣れた感じに捌き、内臓を取り出して分けていく。家畜を加工しているかと錯覚を起こすほど淡々としており、作業者同士で会話をしている者すらいた。
異様な光景に、隣で青ざめるクリストフも口元を手で覆っている。
解体された肉体は、まるで料理でもするようにそれぞれ煮詰められている大釜へと投げ込まれる。ただ、頭だけは1カ所に集められ、それを荷台に積みこんで2人がいるのとは別の、下水の繋がる道の奥へと消えた。別の場所に運んでいるようだった。
このままさらに中へと侵入するか、それとも一旦退くべきか。2人が考えあぐねていると、黒いローブに身を包んだ女(おそらく体つきなどからそう判断できる)が大釜の元へ歩み寄る。
他の者は作業着を着ている中で、彼女だけ存在感が違う。それは周囲の者たちを見ても分かった。話していた者は口を閉ざし、作業の手を止めて、一礼する。そこには敬愛、いやもっと強い信仰のような色が、彼らの目には宿っている。
明らかに別格だ。女の登場で、寒さが一層増したようにも思える。
2人は体が動かなくなった。手足が小刻み震えている。本能からくる恐怖の震え。こんな経験は初めてのことだった。
視線を外せずにいる2人を余所に、ローブの女は大釜をかき混ぜる。中身がかき回され、ドロッとした粘液の中から人だった部位が溶けた状態で見え隠れしていた。それを女はまるでスープのように少しすくって口を付ける。
首を軽く傾げてから、そばに置いてある壺をいくつか手に取り、味を調えるかのように中身を摘まんで釜へ入れる。再度、味見をして満足がいったのか頷いているのが分かる。
「うげ……あの女は……ポワカなのか?」
吐き気を必死で耐えるクリストフが、小声で確認して来る。あんな女が人間のはずはない。しかし、確信は持てない。マトもポワカに会ったこともないし、見たこともない。ただ、誰であろうが、あの女は人間に害をなす存在であることは理解できる。
武器を握りしめる手に、さらに力が入る。
女は別の大釜でも同じことを繰り返していた。こちらには気付いていないようだ……、と次の瞬間。ぐるりと頭が回って、2人の方角へ顔が振り向く。
フードで顔は見えないが、目が合ったことは直感で理解できた。
いきなりのことで、大きくの体をのけぞって驚く2人のすぐ後ろから声がした。
「お前ら、誰だ?」
背後にローブの女が立っていた……
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