第54話:いい男の条件


「ああー! 邪魔な奴が増えた!」

 エスターは発狂して叫びながら地団駄を踏む。

「どうして邪魔ばかりするんだ。なんで死んでくれない。簡単だろ? 死ぬことぐらい! お前ら人間は、大人しく言うことを聞いていればいいんだよ!」

 気を抜けば吹き飛ばされかねないほど、彼女の声は大気を震わせる。

 耳栓をしている上から耳を塞ぐ3人だが、ナイトウォッチは物ともせずに真っすぐエスターを睨みつけながら、ショットガンの銃口を向ける。


「肉塊にしてやれ」


 スティーブが軽く手を振ると、彼女の声に負けないほどのけたたましい銃声。

 同時に、無数の散弾がエスターの肉体を抉っていく。

 痛みよりも、弾丸によって傷つけられる事実に目をむいている。

「聖なる力を込めてある。たっぷり味わえ」

 スティーブがニヤリと笑みを浮かべる。

 無数の散弾によって体のあちこちが弾き飛ばされ、人の形を失いつつあるエスターだが、引きつらせたその顔は次第に卑しい笑みと変貌する。

「人間がどれだけ頑張ろうが、無意味なんだよ」

 静かに呟くエスターの声は、言い様もない不安を植え付けられたような、そんな自信に満ちたものだった。

 すると、彼女の体が大きく膨れ上がると、内側から爆発して大量のネズミや錆びた釘が勢いよく四方に飛び散る。

 ナイトウォッチも爆風に後方に倒れ、釘が体に刺さり、ネズミが肉を齧る。

 部下の悲鳴を聞きながら、スティーブも自身の左腕に刺さった釘を引き抜いてエスターを探すと、すでに息を感じられるほどの距離に顔があった。


 咄嗟に身を翻そうとするが、彼女の瞳に見つめられた途端に指先一つ動かない。

 両肩を抉る様に掴み、エスターは大きく口を開ける。口の中には鋭い歯が無数に並んでおり、その奥は漆黒の闇。身動きの取れないスティーブは、ただ迫りくる死を凝視しかできない。


 そして・・・・・・。

 

 彼女の背後に、ワイルドが回り込んでいた。

 彼は先ほどの爆発を回避しており、周囲を飛び交う釘などが命中することもなかった。

 奇跡だが、それを喜ぶには状況は最悪だ。

 スティーブの頭から齧りつこうとするエスターに、狩猟用の斧を振り上げ襲いかかる。


 しかし、彼女の背中には一面にネズミたちの顔。


 ワイルドの動きは見られていた。

 エスターはスティーブを乱暴に振り回して、ワイルドに投げつける。ろくに回避も受け身も取ることなく正面衝突して、2人は地面を転がる。あまりに勢いに、視界が回り、息ができない。持っていたボーガンも転がっていった。


「これ以上、薄汚れた手で、私に触るなっ!」


 エスターの体から再び大量のネズミが噴き出し、接近を阻む。ネズミの群れは手当たり次第に食い散らかし、逃げ遅れた憐れな者は悲鳴と共に波に飲まれ、ズタズタに引き裂かれた。ところが、ワイルドの周囲はやはり近づけないようで、空間ができている。そのおかげで、ダメージが抜けきらないスティーブも助かった。

 

「死ね、死ね、早く死ねよ! 人間どもがぁー!!」

 もはや正気も理性も感じられない声と共に、今度はエスターの周りにネズミが集まり、吸収され、一塊の巨大な『何か』になった。それをあえて言葉にするなら。


 見上げるほどの大きさの、7つの頭を持つネズミだ。


 異様な巨大ネズミが動けばまるで地震のように地響きがする。

「いよいよ、どう倒せばいいか、分からなくなってきやがったぁ」

 ワイルドは見上げながら不敵に笑う。

「的ガ、デカクナッテクレテ助カルナ」

「あれだけ見える部分が増えたのに、魔女の印なんてどこにもないじゃん!」

 マトとジェームズも合流する。それぞれ傷つき血を流しているが、幸いにも重傷ではない。

「ったく、夢ならぁ最悪の夢だぜぇ。出ぇ鱈目すぎてぇ、ムカついてきた」

「コレハ大砲ガイルナ、ワイルド」

「君ら、よくこんな時に軽口が言えるね。僕はもう漏らしそうだよ」

 巨大ネズミ=エスターを見上げる3人。

「印らしい物は見つけられたかい?」

 ジェームズの問いに、2人は首を振るが。


「口の中だ」


 それは少し離れたスティーブの言葉。

「先ほど見えた。奴の口の中に光る印があった」

 大口を開いて迫られた時に見えたという。


 なるほど、見つからないわけだ。


「狙う場所は分かったな!」

 ワイルドは転がっているボーガンを拾い上げると、巻上機で弦を弾いて弓矢をセット。エスターに向けるが、彼女も大人しくしているわけもない。長い尻尾が周囲を薙ぎ払い、7つある頭部はそれぞれに不快な絶叫を上げ、精神を錯乱させてくる。目眩や吐き気に膝を付きそうになり、衝撃に吹き飛ばされそうにもなる。

 耳栓をしていてもなお、ジンジンと痛みが脳内を反響し、気付けば耳や鼻から血が流れている。

 それはワイルドだけでなく、他の者も同様だった。

 スティーブを始め、ナイトウォッチの生き残りは銃を発砲して応戦するも、強靭な毛皮に弾かれて効果が見られない。

 マトは銃撃を掻い潜りながら、接近して毛を掴むと、手に痛みが走った。毛が針のように鋭い。だが、振り下ろされた刃物は、彼女に深く突き刺さる。

 予想外の痛みに悶えながら、尻尾でマトを薙ぎ払う。彼の体は勢い吹き飛び、数度バウンドして壁に衝突した。

 まだ痛みに声を漏らすネズミの前に、ワイルドが躍り出るとボーガンを構える。

放たれた矢は、ネズミの口の中に吸い込まれた。

 短い悲鳴を上げ、ネズミが暴れ出す。

 体や尻尾が暴れ回り、壁を削り、天井を崩した。ワイルドたちの体は、幸運にも直撃は免れたものの、おもちゃのように壁や地面に激しく打ち付けられた。


 だが、エスターは死なない。苦しんではいるが、死ぬ気配はない。


「あぁ、首が違ったみたい・・・・・・」

「残リ6ツカ? 体ガモツカ?」

 痛みに顔を歪め、忌々しそうに言うジェームズとマト。

 ワイルドは1人起き上がると、広間の中央まで歩いた。

 口の中の血を吐き捨てるとエスターに叫ぶ。


「おい、汚ぇネズミ野郎。どこ見てやがる」


 それは小さい声だったが、広間に響き渡る。エスターはギロリと視線をワイルドに向けた。

「平伏せ、人間がぁ」

 化け物にふさわしい、ざらついた聞きにくい声だ。聞いた者は冷や水を浴びせられたような感覚を受ける。そんな声色だったが、ワイルドは動じない。

 ワイルドは巻上機で弦を弾き、最後の矢をつがえた。

「デケェー声出すんじゃぇねぇよぉ」

 エスターはワイルドに襲い掛かる。

 ボーガンの照準は、近づいてくる真っすぐエスターへ。

 だが、まだ撃たない。

「昔、親父が言ってたよ」

 攻撃を避ける気配もない。

 間近まで迫ったエスターに、ワイルドは牙を剥くように笑う。


「『いい男ってのは、狩りも女も一発で仕留めるもんだ』ってな」


 目前まで迫った巨体に、ワイルドは瞬きせずに見る。6つの頭の口の中が見えるほど近づいた距離になった時、ワイルドはボーガンの矢を放った。

 時が止まったようだった。

 ジェームズもマトも、スティーブ、ナイトウォッチの面々。全員が食い入る様にそれを見つめる。


 矢は1つの頭の口に吸い込まれ、そして中の印の中央を貫いた。

 その瞬間、巨大なネズミは灰と変わり、エスターが後方へと飛んで落ちる。

 地面に落ちた彼女の口からは矢が生えていた。


 悶え、苦しそうに噎せる、嗚咽するエスターは、ノロノロと起き上がる。

 死んでいない。

 ボーガンを投げ捨て、斧を構えるワイルド。

 エスターは嗚咽しながら、矢を引き抜くと、大量に黒い液体を吐き出した。血ではない。もっと黒く、粘りのあるもの。まるでタールだ。

 大量に吐き出されるタールを、信じられない物を見るように、瞬きを繰り返していた。

「あぁ、そんな。あり得ない・・・・・・人間に? 私が? 男にやられるわけないのに・・・・・・」

 絶えず吐き出すタールの合間に、苦しげにエスターは声を漏らす。

「どうしよう……どうしよう、どうしよう」

 まるで年端もいかない少女が、親に叱られることを怯えているような姿は、先ほどの魔女とはかけ離れていた。もはやワイルドたちも視界にも入っていない。

「・・・・・・あぁ、このままじゃ、終われない。やり遂げないと。まだ終わってないのに、まだやり遂げてないのに・・・・・・」

 あたふたするエスターの動きは次第にぎこちなくなっており、体も崩れ始めている。


「こんなんじゃ、ポワカとアナベルに怒られる!」


 絶叫を放つと、力を振り絞るかのように身を震わせた彼女の体から無数のネズミが飛び出して走り去っていく。

 そして残される体。そこには痩せ細った少女が倒れていた。

 相変わらず口からはタールを吐き出している。

 そして、エスターの体は見る見る間に風化し、崩れ、最後は塵になって消える。

 ワイルドらは用心深く、その塵を確認。

エスターは消滅した。


 だが、喜びきれない。


「俺の聞き間違いかもしれんから確認するが」

 しばらくの沈黙の後、ワイルドが呟く。

「この女、最後なんて言った?」

「ポワカ、アナベルニ怒ラレル・・・・・・」

 静かにマトが答える。聞きたくない答えだ。ワイルドも同じように聞こえた。

「エスターは、ポワカではなかった」

「つまりは、魔女は他に2人、存在するということ、だな」 

 あえて口に出さなかった言葉をジェームズとスティーブが代弁する。

 そういうことだ・・・・・・。

 まだ終わりではない。むしろ。

「これからが本番ってこと、か」

 ワイルドは地面にへたり込みながら、ため息交じりに呟いた。

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