第53話:エスターとの戦い

「こういう緊張感って、トイレ行きたくなるよね」

 地下通路を歩くジェームズが、隣のワイルドとマトに声を掛ける。

 これから起こる戦いを思うと、緊張で心臓の音が外にまで聞こえてきそうだ。キョロキョロと不必要に周囲を見渡し、無駄にソワソワしてしまう。

「ここらへんで済ませとくか?」

「いや、さすがに通路では……」

「マーキング代わりだ。縄張りを主張してやれよ」

「ソノ方ガポワカモ寄ッテクルカモナ」

 顔を顰めるジェームズとは対照的に、ワイルドとマトは声を殺しながらも楽し気に笑う。

 地下に降りて最初こそ警戒していた3人だが、何の気配も感じられないことから少しずつ軽口を言い合うようになっていた。

 と言っても、もっぱら冗談に笑うのはワイルドやマトで、ジェームズは張り詰めた空気に気圧されてまったく笑えない。ただ、どっしりとしてくれている2人の存在は今のジェームズにとって支えでもあった。彼らが取り乱したら、恐らく一目散に逃げるだろう。

 しばらくランタンの明かりを頼りに歩き続けると、ようやく見覚えのある場所に出る。


 昨晩、エスターと遭遇した、ネズミの箱の空間だ。


 ただ、木箱は昨晩に全部破裂しているので、今は木箱の残骸があるだけ。

 さすがにワイルドたちもこの部屋に入ると、顔から笑みが消え緊張の色が見える。


 ワイルドは、周囲を油断なく見渡しながらランタンを地面に置き、背負っていたボーガンを手に持つ。そして巻上機を弦に掛けて、弦を引き絞ると銀の矢を装填した。

 一気に周囲の空気の緊張感が増す。気のせいか、空気が重く息苦しくなったように、ジェームズは感じつつ、腰の道具箱から聖水のアンプルを取り出して自分、そして他の2人にも振りかけ、十字架を握りしめる。マトの両手にはすでにトマホークとボウイナイフがある。

「気を付けろ」

 姿は見えないが、部屋を走り回る気配がある。

 それは彼らが中央まで来ることには、囲むように動き回っていた。ランタンの明かりを受けて地面で怪しく光る多くの眼光。やはりそれは、動物のものではなく、人間の瞳のようだ。


「あ、あのネズミだ」

 次第に増えていく地面を這う黒い影に、ジェームズは半歩後ずさる。

「ジェームズ、聖油を」

 道具箱から聖油のアンプルをいくつかワイルドに手渡すと、彼はそのまま聖油を木箱の残骸に振りかけてランタンの火を移す。

 室内がどんどん明るくなるにつて、ようやく全貌が見えてきた。

 ネズミは彼らが思っている以上に集まっていた。

 床だけでなく、壁や天井も埋め尽くしていた。

 炎の聖なる明かりを嫌がる様に蠢く姿は、意思を持った漆黒の闇のよう。


「ワイルド、マサカコノ数ヲ相手ニスル気ハナイヨナ」


 今か今かと飛びかかってきそうなネズミを警戒しながらマトは叫ぶが、返答はない。

 ワイルドは縦横無尽に走るネズミたちを見る。


 3人を睨み付け、牙をむいてはいるが、そばまで来ると避けるように進路を変える。自分たちに敵意はあるが、近づけない・・・・・・。


 ジェームズが先ほど振りかけた聖水、マトのタトゥー、ワイルドのコート。

「聖なる力ってのが効いてるみたいだ」

「なら、これを使ってみよう。レディ・リリーからもらった物だ」

 ジェームズは真鍮と銀でできた容器を取り出す。

「なんだそりゃ?」

「力の込められた塩の結晶らしいよ」

「塩って、料理すんじゃねぇんだぞ!」

 眉を顰めるワイルドを余所に、ジェームズは中身を指で摘まむ。

「邪悪な闇に包まれし地に光を、悪しき気配に覆われし地に息吹きを、清めたまえ。アーメン」

 目を瞑り、祈りを唱えて結晶を地面に落とす。


 地に触れた瞬間、そこから波紋のように清廉な気配が広がった。

 天井や壁のネズミは地に落ち、地面で苦しみ悶えている。

「効イテルゾ!」

 予想以上の効果にマトが驚きの声を上げたが、まだ動いているネズミが狂ったように動き周り、苦しむネズミらと合流、吸収していく。

 そして、それは渦を描くように動き、みるみる間に中央に集約され、真っ黒な邪気が渦を巻いているようで、最後は一気に霧散した。


「エスター!」


 霧散した中央にエスターが憎々しい眼差しで3人を睨んでいた。

「見つけた。今回は確実に殺す。多少、準備をしてきたようだけど、無意味だから」

 彼女は大きく口を開いて息を吸い込む。

 その姿に、即座に3人は蝋で作っておいた耳栓をする。


 直後響き渡る叫び声。


 耳栓をしていてもなお、耳の奥が痛くなるほど。加えて、ビリビリと声が衝撃となり、体を打ちすえる。3人は耐えきれず後方に吹き飛んだ。

「小細工を! 殺してやる。穢らわしい人間め」

 耳栓であまり聞こえてなかったが、おそらくエスターはそういった。


 転がりながらワイルドは、彼女の姿を視認して、ボーガンを構えて引き金を絞る。勢いよく発射される矢は真っ直ぐエスターに向かったが、矢を受ける寸前で体が無数のネズミとなって崩れる。そして、気付いた時には、エスターはワイルドの顔を包むように持ち、青く輝く瞳で覗き込んでいた。

 体の芯から恐怖が沸き起こり意識が飛びかけるが、コートが温かく包み安堵感を与えてくれたことで踏み止まる。

 彼女は大きく口を開くと、中には大量の人の目をしたネズミが見ている。

 早く視線を外せ。そう言い聞かせるが、金縛りで動けない。

 思考が黒く染まっていく。

 その時、横からの強い衝撃に、ワイルドは体勢を崩して倒れる。

 隣に転がっていたジェームズが動けないワイルドを蹴っていた。

 エスターは首をぐるりと回転させ、標的をジェームズに移すと四つん這いで、しかし驚くべき速度で近づく。

「ヤバい、マト君、マト君、マト君!」

 エスターの接近に必死で手足をばたつかせ、後ずさりするジェームズの背後からマトが現れる。

 振り上げるボウイナイフをエスターの頭に振り下ろすと、咄嗟に頭を下げたエスターの頭頂部に深く突き刺さる。

「ギャッ」という短い悲鳴、そして鈍い音が響いた。

 マトがナイフを引き抜くと同時に、ジェームズは道具箱から聖油を振りかける。そこへすかさず、ワイルドが転がっているランタンを投げつけた。

 激しく燃え上がるエスターの悲痛の叫びが響き渡る。

 マトは立ち上がり、炎に包まれ倒れ込むエスターを背後から追い打ちをかけようとしたが、暴れまわる彼女に弾き飛ばされた。

「大丈夫か?」

 すでに立ち上がっていたワイルドはマトに手を貸そうとするも、彼は「大丈夫」と自力で立つ。

「わ、ワイルド君。私に・・・・・・手を」

 腰が抜けて立てないジェームズが、ワイルドの手をつかんでようやく立ち上がった。

「で? 『印』ってのは、どこにあるんだ?」

 ワイルドは誰に言うでもなく吐き捨てる。

 それはジェームズの言う『魔女の印』のこと。

 体の正面はない。首などの見える所にも、背中にもマトが何度もナイフを突き立てているので無いだろう。髪で隠れている頭部か? と思い狙ってみたが違うようだ。

「ホントに、そんなもん。あるんだろうな」

「あるよ! 多分。なきゃ困る!」

 ジェームズは一歩前に出ると、十字架を掲げる。

 すでに炎は治まり、治癒しかけているエスターは、その光景を見た途端に体を仰け反らせる。

 ジェームズが祈りの言葉を強く唱えると、彼女の苦しみの声は一層強くなり、より身をよじる。

「おい! ジェームズ、効いてるぞ!」

 ワイルドの声にも歓喜の色が見える。マトも好機とばかりに一歩踏み出したが。


 エスターは髪の毛を激しく振り乱し、大きく舌を出して、悲鳴を上げる。それは声にならない声で、ジェームズの祈りを押し返し、3人を勢いよく吹き飛ばした。


「ごめん、弾き返されたわ」

「クソ、何度も吹き飛ばしやがって。喜んで損した」

 転がり、地面を這うジェームズとワイルドは苦痛にうめく。

 一方、マトはうまく身を回転させて衝撃を和らげると、身軽な感じで起き上がり、逆にエスターへ飛びかかる。咄嗟に差し出された手を切り捨て、後方に下がるエスターに追い打ちを掛けようとする。が、明らかに動きが鈍った。

 マトが視線を向けた時、エスターは両目や口、さらには至るところからネズミが皮膚などを食い破り、顔を覗かせて、人間のような生気の無い瞳をマトに向けていた。

 身を強張らせる様子に、エスターは口元を大きく歪め笑顔を作ると、呟いた。


「『持ってるナイフで喉をつ……』」


 言い終わらないうちに、銃声が鳴り響き、エスターの頭を激しく揺らした。

 完全に言い終わる前だったが、マトは気付くと自分のナイフを首に押し当てていた。


「恐れは、心に隙を作る」


 その声はワイルドたちが入ってきた通路から聞こえる。

 そこには、スティーブと数名のナイトウォッチが銃を構えて立っていた。

「やはり、マーシャルたちを狙ってくれたか」


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