第5章:病と魔女

第23話:白熱病の魔の手

 ダウナーサイドの一角。

 ニックとルーヴィックは、終末の羊から預かった品を確認していた。

 元は酒場だったそこは、今では食料の保管場所として、いくつも箱が積まれている。さすがに生鮮食品はなく、ほとんどが日持ちのする缶詰などだ。

「結構、減ったな」

 箱の様子を見てルーヴィックがニックに話しかける。

「ああ、近いうちにまた補充する必要があるな」

 ニックも荷車を店の奥に片付けながら首肯した。

 2人は、ちょうど今日の作業を終えて戻ってきた所だった。

「いくつか、持ってくか?」

 ニックが箱からいくつか缶詰を手に取って見せるが、ルーヴィックは首を横に振る。

「ここの食いもんには手は出せねぇよ」

「そんな気にすることもねぇと思うけどな」

「腹が減ったら、救援隊に戻るさ。あそこには俺の分もあるはずだしな。ここのを食ったら、その分食えねぇ奴が出てくる」 

「そういうとこ、頑固だよな」

 ニックは鼻で笑うので、ルーヴィックは顔を顰めて「うるせー」と悪態をつく。


 終末の羊から渡される物資をこの店に一旦全部ストックし、それぞれチームのメンバーが手分けしてさまざまな区画に分配している。この一帯は、ニックのチームが仕切っているが、他にも同じようなことをしているチームはいるらしい。

 封鎖後はかなりの物資不足に陥っており、市からの配給はあるものの僅かしかなく、さらに受け取れる者と受け取れない者が出てしまう。まるで、貧乏人は餓死しろとでも言うかのような扱いだ。

 そんな中で無償での食料の配布に、多くの人が毎日列をなしたのは当然のことだろう。

 列に並ぶ人間には、ニック達のような不良たちを毛嫌いしていた者もいるだろう。しかし、今となっては関係ない。その食料がどこからの出資で、どのルートで流れているかなど興味もない。ただ目の前の生活を楽にしたいという気持ちが強い。

 終末の羊は活動に対してかなり寛容で、ほとんど干渉してこない。物資の受け渡しをする倉庫以外では、たまに配布する様子を確認に来る程度で、あとは各チームに任せていた。人材不足でニックらに仕事を任せているのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 信徒らが出しゃばらないため、物資を手渡しているニックらの株は上がる一方だった。

 缶詰を配れば配るほど、人々から感謝された。

 煙たがられることの多かったニックやルーヴィックにとって、「ありがとう」と言われると、つい照れ隠しに口悪く返してしまうが内心ではまんざらでもない。これほどまで喜ばれるのなら、多少危ない橋を渡っても価値があると思った。


「そういえば、マーシャルが襲われたらしいじゃねぇか?」

 ニックは店の鍵を閉めながらルーヴィックに話しかける。

 彼は顔を顰めながらも「ああ」と短く答えた。ワイルドに怪我はなかったらしいが、そんな大事な時に自分がいなかったことに対して負い目を感じているのだ。同時に、そのことを知ったテレンスが、目を剥きながら怒り狂って説教してくる姿が容易に思い浮かんだ。

「誰の差し金かは分からんらしいけどな」

 首を振りながら答えるルーヴィックに、ニックは「きっと移民どもに決まってる。アジア人かアイルランド人か、ドイツ人って線もあるな。さもなきゃ黒人だろう」とぼやいている。

「白熱病だって、あいつらが運んできたのさ。あいつら、俺らの仕事を奪うし、病原菌を撒き散らす害虫だ。住んでる所にさっさと火を付けてやればいいんだ。そう思うだろ?」

 ニックのどす黒い感情にルーヴィックは「ああ」と気のない返事をした。

 ルーヴィックはワイルドのように誰でも分け隔てなくといった考え方よりは、どちらかと言えばニックにような差別寄りだ。

 南北戦争で市民権を得た自由黒人、新天地を求める移民が集まるニュージョージのような都市では、彼らに仕事を奪われて困窮するアメリカ人も多い。『奴らさえいなければ、ちゃんとした仕事に就ける』。つまり飢えて盗みをする子供が減り、体を売る女が減る。

白熱病の原因は、ルーヴィックには分からない。救援隊の医師からは、移民が原因ではないという。ただ最初に死人が出たのはダウナーサイドの中でもさらに貧しい移民区画からだ。つまりは、意図的か偶発的かはさておき、彼らが原因で広まったのだろうと考えられる。

 ただ、仮にそうであったとしても、だ。

 今更彼らを追い出しても広まった病気は治らない。それも分かっている。

 それでも若者たちはこれまで蓄積された不満や不服から、他民族に対して攻撃をしている。そして襲撃を受けた側もその報復をし、死人が出る。相手に対する悪感情が募り、負の連鎖に陥っていた。

 大きな暴動になってないのは、治安を維持するワイルドたちが目を光らせ、時には間に入っているからだろう。

 そうした人種で人を分ける人間をワイルドは最も嫌う。それをルーヴィックは知っている。だから彼は、自分の気持ちはどうあれ、差別的な集まりとは距離を取っていた。


 ワイルドの補佐官だから。


「最近じゃ、そういう奴らが自分らの区画に入ってきたら粛正するグループもあるんだ」

 ニックはそんなルーヴィックの様子などお構いなしに話し続ける。

「それで死人も出てるんだろ?」

「死んだって構うかよ。あいつらのせいで何千人って死んでるんだ。自分の街を綺麗にして悪いかよ。それに、死体は嘆きの火に投げ込めば関係ないしな」

「やけに詳しいな。お前、まさか参加してるのか?」

「してねぇよ。まだな。でも、終末の羊の仕事が落ち着いたら参加しようかと思ってるぜ」

 ニックの行き過ぎた思想には、ついていけない時がある。

「キャシーがまた怒るぜ」

「そうだな。だから黙っとかねぇとな」

 いつもの様に腰に手を当てながら怒るキャシーの姿を想像し、ニックは眉を顰める。いつも粗暴なニックだが、幼い頃から二人で過ごしてきた妹の言葉には弱いのだ。

「最近は特に機嫌が悪いしな」

 テナントの階段を上がりながら、ニックは苦笑する。

「この間なんて、普通に話しかけただけなのに、怒られたんだ」

「なんだそりゃ? 何かしたのか?」

「なんもしてねぇよ。たぶんな」

 2人は揃って部屋の前まで来て、中へ入った。


 ルーヴィック達が部屋に入ると、すぐ異変に気付いた。

 部屋の奥から啜り泣く声がする。

 足早にダイニングへ向かうと、椅子に座ったキャシーが声を殺して泣いていた。

「どうした?」

 驚いて近づく2人に、なおも彼女は泣いている。

「何があったんだ?」

 先ほどよりも少し強く、ルーヴィックは訊ねる。震えるキャシーの手を掴むと、彼女は体をビクつかせて手を引っ込めた。

 明らかに態度がおかしい。

 顔を見合わせる2人に、キャシーはなおもしゃくり上げながら、何かを思い詰めたように俯く。

「…………ぃ」

「ん?」

 消えそうなキャシーの声に耳をそばだてる。

「どうしよう? どうしたらいい?」

「何の話しだ?」

 何について言っているのか分からず、ルーヴィックとニックは困惑する。

「死にたくない。死ぬのが怖い……」

「おい、いきなり何を言い出すんだよ」

 ルーヴィックはキャシーのいきなりの発言に、つい口調が強くなった。

「そうだぞ。キャシー。いきなり、変なこと言うなよ」

 ニックもいつものチャラけた様子はなく、戸惑いを隠せない。

 彼女のうつむく顔をのぞき込むと、ボロボロと涙を流していた。


 本気で言っている。


 彼女はまだ何かを言っていたが、それはあまりにも小さい声で、2人は最初意味が分からない。顔を見合わせたが、次第に何を言ってるかが分かった。


「多分、感染したから……」

 

 ニックは反射的に一歩下がり、ルーヴィックは十字架を握るキャシーの手を掴む。

 短い言葉だが、今、この街でその言葉の意味は一つしかない。

 全身の血の気が引いていく。

「な、に?」

 それが喉から絞り出せたギリギリの単語だった。

 感染? 感染ってなんだ?

 頭がまともに働かない。

 ありえない……いや、ありえなくないことぐらい、ルーヴィックにだって分かる。これだけ白熱病は広まっているのだから、罹患するリスクは誰にでもある。しかし、それでもキャシーが白熱病になるなどありえない。


 あってはいけないことなんだ!


 感情が爆発しそうだった。

 キャシーの嗚咽が酷くなり、余計に何を言ってるかが分かりにくくなった。

「最近、体調が悪くて……手がふるえて、止まらないし・・・・・・このすうじつ、すこし、ねつっぽくて、全然ひかない。わたし、多分、感染してると思うからぁ」

「ちょっと待て、落ち着け。ただの風邪かも知れないだろ?」

 励ますが、キャシーの涙は止まらない。

「黙ってようと思ったんだけど……体調はどんどん悪くなるし。私、どうしたらいいか……。怖いよぉ」

「救援隊で見てもらおう」

 ルーヴィックは優しく提案する。しっかりと見てもらえれば、白熱病かただの風邪かはっきりする。風邪だと分かれば、もう笑い話だ。

 ただ、白熱病だったら……?

 救援隊にいても助かることはないだろう。

 

「ダメだ」


 ニックの声だった。

「救援隊はダメだ。あそこに連れていったら、2度と生きては出られないぞ」

 白熱病の罹患者で人体実験をしている。少しでも怪しければ白熱病と診断され、隔離される。そんな救援隊の噂をニックは信じている。

「それに、キャシーが白熱病と周りにバレてみろ。俺たちもどうなるか分からない。ここで看病しよう。大丈夫。ただの風邪だ。ゆっくり休めばよくなる」

 ニックはぎこちなく笑いながら言う。

 確かに救援隊に行った所で、だ。助かるわけでもなく、白熱病でなかったとしても、救援隊に行っただけで怪しまれることだってある。そうなれば今やっている終末の羊からの仕事も続けられなくなるだろう。ニックにとっては、それだけは避けたいことだった。

「お前、何言ってる。救援隊に行った方が……」

 ルーヴィックが言いかけた時、キャシーが「ここに残る」と呟く。

「なんでだ?」

 イラだちをあらわにして語気を強めるルーヴィック。

「ルーヴィックや兄さんに迷惑かけたくないから」

 それを聞いて、ルーヴィックはもう何を返していいか分からなかった。

「そんなこと、お前・・・・・・そんなこと言ったって」

 動悸がする。それに少し気持ちが悪い。まるで夢を見ているようだ。早く醒めてくれ。

「分かった・・・・・・。一旦、様子を見よう。もしかしたら、ホントに気のせいかも。すぐに熱だって下がるかもしれん」

 それは誰に言ったというよりも自分に言い聞かせていた。

 ルーヴィックは泣き止まないキャシーを優しく抱きしめる。

 途方に暮れるニックを見ながら「大丈夫、大丈夫だ」と何度も口に出した。

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