第32話:必死の救援

 白熱病罹患者を収容する白熱棟では、まだ意識のハッキリしている罹患者や救援隊のスタッフが怯えた様子で身を縮めて震えていた。

 固く閉ざした扉は強引に押し開けられようと軋んでおり、窓を遮るバリケードが崩されそうになるたびに、悲鳴が聞こえて、すすり泣く声が響く。

 相手の殺意は痛い程、棟の中の者たちに伝わっていた。


 暴徒が中に入ったら、間違いなく殺される、と。


 外では大勢の人間が建物を囲んでいるのだろう。

 口汚く罵る声があれば、外に出れば命だけは助けるとの甘言もある。

「大丈夫です。必ず助けが来ますから」

 リリーは妊婦のケイトの肩に手を置いて語り掛ける。暴徒らの言葉やプレッシャーで呼吸が浅くなり、顔を青くしながらも、懸命に自身のお腹を守る様に手を回していた。

 肩に手を置かれると、体をビクつかせて驚くも、いつもと変わらぬ口調で、落ち着きをはらい、凛としたリリーの声に幾分か緊張が和らぐ。

 しかし、それも一瞬のこと。

 鼓膜が裂けんばかりの爆音と共に、扉が吹き飛んだ。

 爆薬を使用したようで、爆発による衝撃波で扉付近にいた者たちは吹き飛ばされ、砂塵が舞う。

 そして、壊れた入り口から目をギラつかせた暴徒が侵入してきた。


「控えなさい!」


 鋭くも良く通るリリーの一喝に、場は静寂と化し、暴徒らの足も止まる。

「ここは命を救済する場であって、奪う場ではありません。武器を下ろし、立ち去りなさい。あなた方の手は暴力ではなく、愛する者たちを抱きしめるためにあるべきです」

 水を打ったような棟内にリリーの声がこだまし、心地よく耳に入る。

「その愛する者が白熱病で死ぬかもしれねぇだろうが!」

 暴徒の一人が吠えると、同調して「そうだそうだ」や「だから、炎で病魔を浄化しろ!」などとの声も上がる。しかし、リリーは毅然とした態度を崩さない。

「あなた方の不安はもっともです。ここにいる皆が、同じ気持ちでしょう。あなた方と、私たちの違いは、その不安への向かい方だけ。ほんの少しでいいのです。感情に流されずに周囲を見てください。私たちはあなた方が忌むべき、攻撃をすべき『敵』ではない。共に助け合うべき『友』です」

 彼女の言葉に暴徒らの目のギラつきが薄れていく。代わりに戸惑いの色が見えた。自分たちの行いに疑問を持ち始めたのだろう。優しく微笑みを浮かべ、語り掛け、手を差し伸べるリリーは、光り輝いているように一層美しかった。


「騙されるな。惑わされるな! この女は噓つきだ!」


 落ち着きを取り戻しかけた中で、暴徒の一人が叫んだ。

「牧師や神父は同じようなことを言って、結局どうなった? 逃げたんだ! 信仰や愛だけではどうにもならない」

「信仰を捨てては……」

 「なりません」とリリーが言う前に、男は無視して話を続ける。

「白熱病は今も大勢の人間を苦しめ、殺している。今日を乗り切っても、明日は分からない。1秒でも早く浄化しなければ、次に感染して死ぬのはお前かもしれない」

 顔を赤らめ、険しい形相で唾を撒き散らしながら、男は暴徒の一人ひとりに指をさしていく。

「お前かも、


 お前かも、


 お前かもしれない! 


 いや、女房かも、親かも、恋人、子供かもしれない。行動を起こさなければ、何も変わらない。白熱病に罹ったら終わりなんだ。こいつら(白熱病罹患者)がいる限り、病は流行り続けるぞ!」

 男の熱弁、いや狂気にも似た熱に暴徒らの目にも光が戻り始める。

「ここにいる奴らは全員、焼いちまえ」

「なんて恐ろしいことを……」

「守るためには必要な犠牲だ。それに、放っておいても、どうせ死ぬ連中だろ」

 凶悪な笑みを見せる男に、リリーは思わず眉を顰めて半歩後ずさる。

 勢いを取り戻した暴徒は、各々の持つ容器に入れた油などの可燃物を党内に撒き始め、手当たり次第に暴力を振るっていく。悲鳴を上げる者、泣き始める者、逃げようとする者、抵抗しようとして殴り倒される者。

「やめなさい! こんなことは間違っています!」

「うるさい。黙れ」

 止めようと前へ出るリリーを、男は突き飛ばした。

 男は床に倒れるリリーを蔑むように笑いながら松明を持ち、火を付けようと掲げる。

「これで、街は浄化される」

 その時、外から銃声が鳴り響く。

 振り返った男には、外にいた暴徒らの間を縫うように進む黒い影が飛びっかったように見えただろう。

 次の瞬間には、全弾撃ち尽くしたライフルを両手で握ったルーヴィックが、男の横っ面に振り抜いていた。鈍く響く音と共に、男の体は宙を舞う。

 どよめきが起こる棟内で、ルーヴィックはライフルを捨ててリボルバーを引き抜くと、引き金を引き、撃鉄を弾く。凶弾は慌てて逃げようとする暴徒らを襲う。


「保安官補佐様が助けに来たぜ!」


 ルーヴィックは意気揚々と名乗りを上げると、それまで恐怖に震えていた者たちが歓喜に湧く声を上げる。その声は、それまで押さえ付けられていた分、一層大きなものだった。

 その歓声にまんざらでもないルーヴィックの気は緩んでいた。


「クソが!」


 最初に殴りつけた男が大量の血を顔面から流しながらも、松明を拾い上げている。

 ルーヴィックは即座に銃口を向けて引き金を引く……が。

「ん?」

 乾いた音。


 弾切れだ

 

 それを見た男は勝ち誇ったように笑うと、松明を投げた。

 ルーヴィックは弾かれた様に走り、椅子やベッド、人を飛び越え、踏み越え、いろんな物を巻き込みながらも、松明に頭から飛び込んだ。


 音を立てながら転がりまわり、しばらくの沈黙の後。

 松明を掲げたルーヴィックがよろめきながら立ち上がった。

 体をいろんなところにぶつけ、かなり痛そうだが、平気なフリをしている。


「動くな」


 怒気を込めた声は松明を投げた男だった。

 手に持つリボルバーの先にはリリーがいる。

「よせよ。もう終わりだ」

「黙れ、邪魔しやがって。ここが燃えないと、ここを燃やさないとバランスが傾かないじゃないか!」

 顔を悲痛に歪める男は、大声で喚く。

「バランス?」

 ルーヴィックは問うが、男にすでに聞こえていないようだった。支離滅裂で、意味不明なことを口走っている。そして、今にも引き金に掛けた指に力が入りそうだ。少しでも動けば、相手を刺激してしまうだろう。

「いいから、その銃を置けって」

「うるさい、黙れ! お前さえ、邪魔しなけりゃ、うまくいきそうだったのに……いや、この女だ。こいつさえ、いなけりゃこの救援隊すらなかった。この女が悪いんだ」

 血走った眼はすで正気ではない。口の端に泡を立てながら叫ぶ男の指に力が入る。

 ルーヴィックは前へ。

 男の元までたどり着くにはもう手遅れだ。なので、銃とリリーの直線状へと飛びこんだ。


 銃声が鳴り響く。


 床に落ちるルーヴィック。

 口から苦痛の声が漏れたのは男の方だった。


「万死に値する」


 肩から血を流しながら膝を付く男に、冷たい声が背後、建物の入り口から聞こえてきた。

 そこには濃紺の軍服に身を包み、腰にはサーベル。手には未だ硝煙を漂わせるリボルバーを持つ軍人が立っている。

 その彼の背後からは次々と軍人が現れる。


「その御方に銃を向けるなど、万死に値する」


 銃を持つ指揮官らしき軍人は、不愉快そうに吐き捨てると、リボルバーが火を噴いた。

 弾丸は肩を抑えて後ずさっていた男に命中。しかし、1発では収まらず、指揮官は虫でもはらう様に引き金を引き続ける。新たに放たれた4発の弾丸は男の肉体を食い千切っていき、その命をもぎ取っていく。

 地面に倒れる頃には、その目から光は消えていた。


「これより救援隊は、我々、ナイトウォッチの管轄に入った。まだ、暴れるつもりなら、それなりの覚悟を持って向かってこい」

 静まり返った棟内で、指揮官は声を張り上げる。まだ生きている暴徒らは迫力に押され、慌てて手に持っている武器を地面に投げ捨てる。

 上向きに整えた口髭をいじりながら、それを満足げに眺めた指揮官は、まだ地面に突っ伏すルーヴィックは無視してリリーの前で跪く。

「助けが遅れ、申し訳ございませんでした」

 うやうやしく頭を下げる指揮官は、暴徒を相手にしていた時とはまるで別人だ。

 リリーは立ち上がると、いつもの様に笑みを浮かべて頭を下げる。

「いえ、本当に助かりました。えぇっと……」

「スティーブとお呼びください。ナイトウォッチの指揮官を務めております。合衆国連邦政府の命を受け、ホワイトと共に来ました」

「そうでしたか。スティーブさん。そして、ナイトウォッチに皆さん。ありがとうございます」

 お礼を言うリリーに、スティーブ含め軍人らは頭を下げる。

「それに……ブルーさんも。助かりました」

 救世主のお株を奪われて少しいじけた顔をしているルーヴィックに、リリーはニコリと笑って見せる。その笑顔に彼は照れを隠すために顔をそむけた。

「スティーブさん。外の様子はどうでしたでしょうか?」

「まだ暴れている連中もいましたが、我々が来たからには心配はいりません。救援隊はもう大丈夫です」

「では、救援隊の外は?」

 リリーは不安げに訊ねると、スティーブは少し眉を顰め言いにくそうに話した。

「酷い有様でした。暴徒は物奪い、歯向かう者をリンチに。道では真っ黒になった死骸がいくつも」

「真っ黒? 亡骸?」

「レディ・リリー。言いにくいのですが、奴らは白熱病と疑わしい者を家から引きずり出し、焼き殺しているのですよ。それも生きたままね」

 スティーブの言葉にリリーは顔をそむけ、小さく首を振る。棟内にいる者たちも顔を青くしていた。自分たちももう少しで同じような目に合っていたと考えると、震えが遅れてやってくる。

 しかし、もっとも反応したのはルーヴィックだった。

「白熱病の人間を生きたまま焼くだと?」

 弾かれた様に飛び起きると、スティーブに凄い剣幕で詰め寄る。今にも掴みかからんばかりだった。スティーブはそんな彼を一瞥し、興味のないように「ああ、そうだが」と答える。すると、ルーヴィックの顔は真っ青になり「クソ!」と一言残して、周りに目もくれずに走り去った。

 いきなりのことに、皆は彼の背中を見送ることしかできなかった。


☆   ★   ☆


 ルーヴィックは背中から嫌な汗が止めどなく出るのを感じる。不安と恐怖で全身の毛が逆立ってくるような、何かが体の中から這い上がってくるような、そんな違和感がある。

 すでに暴動は治まりかけており、住民らが外に出てき始めているようだ。街中を全力で疾走するルーヴィックを訝しげに見てくる。

 しかし、彼にはその視線に応える余裕などない。

 道のあちこちで、人だったものが真っ黒になって無慈悲に転がっている。それに縋り、涙を流す者の姿もある。

 その光景にルーヴィックは胃がキリキリと痛む。

 

 無事であれ……。


 心の中で叫ぶ。

 呼吸が荒く苦しいのは走っているからだけではない。

 通りを抜け、目的の建物が見えて、足が止まった。

 何人かの人だかりと、蹲っている人影が見える。

 足が動かない。手が震える……。

 どれほどの乱闘、銃撃戦があってもこれほど震えることはなかった。

 重たい足を引きずりながらも近づくと、人だかりがルーヴィックに気付いて道を開けた。

 蹲っているのはニックだった。

「……何してる、ニック」

 何かを抱えている彼に声をかけるが、声がうまく出ない。

「る、ルーヴィック……」

 振り返った彼の顔は見たこともない程、涙でくしゃくしゃだ。

 心臓が氷の手で握りつぶされるように締め付けられる。

「キャシーが、俺の妹が……」


 それ以上言うな。聞きたくない……


 呼吸が浅くなって苦しい。今すぐ踵を返して走り出したかったが、体がまったく言うことを効かない。

 ニックは抱えているものを晒しながら、声を震わせる。

「燃えちまったよぉ……。感染してるって、物みたいに火を点けやがった!」

 もはや元の姿など分からない、真っ黒の炭になったそれは人の形をしている。胎児のように体を丸めた姿勢で、横たわっている。


 俺は何を見せられているんだ?


 理解が追い付かない。自分の見ているはずの景色が頭に入ってこない。

「そんなこと……ありえねぇ」

 ようやく口から絞り出したのがこれだった。

 ニックの嗚咽がやけに遠くから聞こえるような気がする。

「ふざけんな……ふざけるなよ!」

 誰に対して言ったのか、ルーヴィックはとにかく怒鳴った。喉が裂かれんばかりに、声を張り上げる。

「こんな、こんなことがあって言い分けねぇだろうがっ!」

 怒りに身を震わせながら周囲を見渡すルーヴィックの視線に、誰一人目を合わそうとはしない。

 ルーヴィックの絶叫と、ニックの嗚咽がしばらく通りを響き渡った。

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