第29話:不穏な空気


 ルーヴィックはベッドでうなされるキャシーの額の汗を拭う。


 キャシーはやはり白熱病だった。


 彼女から症状の告白をされた翌日から急激に熱が上がり始め、ろくに動けなくなるまでに時間はかからなかった。

 ルーヴィックは再三救援隊へ連れて行くことを提案したが、ニックは首を縦には振らなかった。


 「あそこは信用できない」「あそこに入ったら実験の材料にされる」などと言い張る。無理にでも連れて行こうともしたが、ニックの話や噂をキャシーも信じており、どれだけ説得しても無駄だった。今考えれば、熱で正常な判断ができなかったのだと思う。

 そうこうしている間に日にちは経ち、彼女の容体はますます悪化。そして、ついに白熱状態となり、彼女の意識は混濁し、朦朧とすることが多くなる。食事もできない状態だ。

 もう彼女をどこかに動かすことは難しい。


「どうすりゃ、いい? 考えろ、考えろ」


 白熱状態になれば残された時間は少ない。

 そのことはルーヴィックも知っている。どうすることもできないが、何かをしなければという焦りが、ルーヴィックの心を追い詰めていた。

 彼だけでなく、ニックも最近は様子がおかしい。やはり精神的に追い詰められているようで、張りつめた顔をすることが多くなった。人の話も上の空のことが多い。

 ただ、限界に近いのはルーヴィックも同じだ。

 看病でろくに寝ていない目をこすりながら、力なく椅子に腰をかけて自身に問い掛ける。ただ、何度やっても答えが出てこない。


 言われた通りにもっと勉強をしていれば、何か案が出たのかもしれない……。


 何のアイデアも浮かばない自分に悪態を吐きながら、後悔する。


 ワイルドならどうしていたんだろうか……。忌々しいが、テレンスなら?


 有無を言わせることなく、さっさと救援隊に連れていっただろう。

 だが、自分にはそれができなかった。

 だから、他にできることをしなければ。

 白熱病に効果があると言われる事は、眉唾な噂まで全て試したが効果はない。


 キャシーを見ると、いつも首からかけている十字架を握りしめ、浅い呼吸の合間に何度も「神様」と口にしている。それが意識あっての事なのか、無意識に助けを請うているのかは分からない。ルーヴィックもつられて、神頼みに手を組むが、すぐに止めた。


 神様に頼って、助かるのならとっくに祈っている。


 祈れば思考を止めるだけだ。ワイルドがいつも言っている『常に脳みそに汗をかかせろ』と。考える事や行動することを放棄すれば、彼女は助からない。

 ルーヴィックは大きく息を吐き出すと、椅子から立ち上がり外出の準備をする。

「キャシー……」

 聞こえているか分からないが、そばまで近づき、手を握りながら語りかける。

「救援隊に行ってくる。あそこなら少しは楽になる薬があるかも」

 外出してまだ戻ってないニックを待った方がいいかとも考えたが、もうすぐ戻ってくる時刻だ。メモでも残しておけば大丈夫だろうと、ルーヴィックは思った。それよりもいち早く、救援隊から薬を持って帰り、キャシーに飲ませることで頭がいっぱいだった。

 部屋にいてもできることは少ない。

 苦しむキャシーをただ見続けることができなかった。

 彼の呼びかけに、彼女の目が少し開き、小さく頷く。

「すぐに戻ってくるからな。薬を飲めば、楽になるはずだ」

 そんな薬があるかも分からないが、そう言うしかない。

 分かったかどうかは定かではないが、彼女は何度も頷くと、握っている十字架をルーヴィックへ差し出す。

「外、危ないから……気を付けてね……」

「お前の神様だ。受け取れねぇよ。俺には必要ない」

「危ないから……これ……神様が守ってくれるから……」

 焦点の合っていない目で苦しそうに話す彼女は、ルーヴィックが何度断っても十字架を差し出してくる。埒が明かないので、彼は「分かった。すぐに返すから」と言って受け取り首に掛けると、部屋を出て行った。


☆★☆


 ルーヴィックが救援隊に着いた時、敷地の中が妙に騒がしかった。

 門の警備は厳重になっており、補佐官のバッジが無ければ入れてもらえなかっただろう。会話の断片を聞く限り、どこかで暴動が起きているらしい。

 胸騒ぎを抱きながらも、ルーヴィックは薬などを保管する部屋へと向かう。以前、ワイルドと一緒に内部を案内されたため、場所は知っていた。

 素早く部屋へ忍び込み、扉を閉めて一息ついた時、目が合った。


「お前、何してる?」


 予想外のことに思わず飛び上がって驚いてしまう。

 そこには、薬箱の整理の途中だったマハが、不審者を見る冷たい視線をルーヴィックに向けていた。

「確か……マーシャルの補佐官、だったな」

 相変わらず冷たい視線のまま、感情のない声で言う。

「何だよ。インディアン娘か。ビビらせんな!」

 驚いたことの照れもあり、少し棘のある言い方をするルーヴィック。それに彼女には、籠で顔面を殴られた経験もある。わざと嫌がるように呼んだ。

 マハは顔をしかめるが、すぐに視線を棚に戻して整理の続きをする。

「それで、何をしに、来た?」

 視線を向けることなく尋ねてくる。その態度に腹が立ち「お前に関係ないだろ」と言いかけるも、思い直し、咳払いをして誤魔化した。

「あー、白熱病に効く薬はあるか?」

 彼の質問に、短く「ねぇよ」と切り捨てる。

 それは当然のことだ。あれば、こんなことにはなっていないのだから。

 アホな質問をしたと、自分を恥じながらも質問を変えた。

「白熱状態の患者に使ってる薬は、あるか?」

「なんで、そんなの欲しがる?……マーシャル、欲しがってる?」

 ルーヴィックは言葉に詰まる。

 マハの口ぶりでは、ワイルドの頼みなら素直に聞きそうだ。だから嘘であっても「そうだ」と答えたい。一方で、嘘を言った時にワイルドにどんなデメリットがあるかも同時に考える。いろいろと思案した結果、最も愚策である『黙る』という選択肢を選んでしまった。

 当然、マハの訝しんだ表情が一層、深くなったのは言うまでもない。

「お前、まさか、薬売って、金儲け考えてる?」

「そんなことするわけねぇだろ!」

 彼女の憶測に腹が立ったが、恐らくそれが今のルーヴィックに対する評価なのだろう。

 怒りと恥ずかしさ、情けなさで顔を赤くしながら声を荒げる。

「薬がいるんだ! さっさと寄こせよ」

 銃でも抜きそうな勢いだが、マハの顔色は一切変わらない。ただ、ルーヴィックを観察した。

 状況は分からないが、彼の必死さだけは伝わったのだろう。

 面倒そうに大きく一回ため息をついてから、棚へと向かい。一つの包みを取り出した。

「いろんな薬、試してる。でも、解熱効果、見られない。だから、お前、欲しがる薬、渡せない。これ、水に溶かして飲ませる。患者、苦痛和らぐから」

「こんなのがあったのか」

「私、調合した」

「大丈夫なのか?」

「嫌なら返せ」

 不信感をあらわにするルーヴィックに、マハは気分を害して包みを取り上げようとしたが、その前に素早くポケットにしまう。

「今は、効くんなら何でもいい」

「腹立つ言い方。まぁいい。ここの患者にも使ってる、大丈夫だ」

 自分よりも年下のマハが途轍もなく頼りになる存在に見え、自分が小さく思えてくる。思わず彼女に対して頭を下げそうになるが、彼のプライドがそれを留める。

 踵を返して出て行こうとするルーヴィックを、マハは「お礼、今度でいい」と皮肉をたっぷり込めながら呼び止めた。

「それから、誰を助けたいか、知らない。けど、もしホントに助けたいなら、ちゃんとここに連れてきて。素人、どうこうできる問題じゃ、ないから」

 正論を言う彼女に、何も言い返せなかった。

 だから、せめてもの腹いせに、大きく舌打ちをしてから部屋を出ていった。



 もやもやした気分のまま部屋を出て、足早に廊下を歩いていると。

「ルーヴィック! 来てたか。ちょうどいいから、来い!」

 声に振り返ると切羽詰まった雰囲気のワイルドがいる。

 こんなことは滅多にない。

 外で自警団たちが慌てていた事は、かなり大きな騒動らしい。

 嫌な予感に、背中に悪寒が走る。

「何があったんだ?」

 緊張に表情が強張るルーヴィックにワイルドが答える。


「暴動だ。教会が焼かれた!」


 完全な異常事態だ。そんなことはダウナーサイドが封鎖された時ですらなかった。

「どこの教会だよ?」

「ダウナーサイド中のだよ! 街中がパニックだ。ここもすぐに襲撃される。手伝え!」

 目眩でふら付きそうになるのを堪える。

 置いてきたキャシーのことを思い、胃の中に鉛が入れられたような感覚に陥る。

 だが救援隊も守らなければ……。

 目を閉じ、頭の中を補佐官のモードに切り替えるとワイルドの後を追った。

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