第2話:嗤う女
シェリフが扉を開け放った途端、中から大量のハエが飛び出す。
思わず顔を背け、身を翻した。
牧師も一瞬怯んだが、ランタンの光を掲げて一歩踏み出す。呟くように祈りを唱えながら進む牧師に、ハエたちは激しく羽音をたてながらも避けて飛び去っていく。シェリフもその後に従い、中へと足を踏み入れていく。
廊下、そしてキッチンには、すでに原形をとどめていない、この家の住人だったものが転がっていた。その中には成人よりも小さいものもあった。牧師は目を伏せ、シェリフは怒りに鼻息を荒げる。
ハエが飛び去り、静かになった家に口笛の音が聞こえてくる。それは明るいメロディに関わらず、どこか感情をざわめかせ、不安にさせる不快な曲調だった。
それを耳にした2人は武器を持つ手に力を込める。聞き覚えはある。
魔女が口笛を吹いている。
聞き覚えがある程度ではない。これが聞こえるたびに、村の人間が死んでいった。
口笛は二階から。
階段を上がり、突き当たりの部屋の扉を開くと、白いドレスを着たその女が窓の外を見るように、扉に背を向けた状態でロッキングチェアに揺られている。
2人が部屋へ入ると、女の口笛が止まる。その途端、部屋の扉が勢いよく閉まる。そして、家中からおびただしい唸り声が、体を震わせる。
「恐れてはなりません。取り込まれます!」
牧師の声は、シェリフに向けた言葉というよりは、自分自身に言い聞かせたようだ。
月明かりを背に振り返る女は、うら若く整った顔をしている。が、目がいくのは容姿ではない。
彼女の瞳だ。
澄み切ったように美しい真っ赤な瞳。深紅のそれはまるで宝石のように光を持ち、見る者を魅了する。
「よく来たね。シェリフ、牧師。教授は……残念だね」
薄っすらと笑みを浮かべる女に見惚れそうになるのを堪える。
「ここでぇ、仇はとってやるよぉ!」
「復讐なんてしたって、ウッズ・クリークのみんなの魂は返っては来ないのにねぇ」
「テメーぇが殺したんだろうがぁ!」
他人事のように嘲笑する女に、シェリフは堪えきれず怒鳴り、ついにボーガンの引き金を絞る。
矢は真っ直ぐ女の胸に深く突き刺さり、背後の壁に打ち付けた。
恍惚にも似た吐息を漏らす女の顔からは笑みが消えない。むしろより一層に口角を吊り上げ、邪悪で妖艶な雰囲気を増していく。
銀の矢によって壁に磔になった状態で身を捩る女に、シェリフはすかさず次の矢をつがえて撃つ。今度は肩を抉る。
「なんていい憎しみ、怒り……そして何よりこの痛み」
女の影が濃くなったかと思うと、家全体が激しく揺れる。そして、室温がみるみる下がっていく。窓は凍り付き、急な温度変化に耐え切れずヒビが入り、壁や床も霜が降り、白く染めていく。
「もう、諦めなさい。魔女め。あなたの行いを悔い改める時が来たのです」
女に向かって牧師が十字架を掲げ、祝福の祈りを捧げる。すると先ほどまで笑っていた女の顔が一変。見えない力で壁に押しつけられながら、忌々しそうに顰めて苦しみだし、理解できない言葉を唱え始める。
「さぁ、悔い改めなさい!」
牧師の力強い言葉に負けないように、女の呪詛のような言葉も大きくなる。すると赤い瞳の輝きが一層強さを増した。
「目を見てはいけません。惑わされます」
牧師の言葉に、シェリフはハットのツバを下げて視線を外す。その誘惑の目に何人もの者が命を落としている。
牧師が十字架をさらに強く握り、祈りを唱えると、女を押し付ける力は強まり、壁に亀裂が入る。ただし苦痛に歪める顔は一瞬のことで、次第に笑いへと変わっていく。
「忌々しい人間だ。忌々しい十字架だ」
女が言った瞬間、十字架がいきなり真っ赤に熱を持ち、牧師の手を焼いた。あまりの熱さに思わず手を離し、十字架が床に落ちる。
見えない力による拘束から逃れた女は吐息と共に、体が無数の虫へ変わり、崩れ落ち、正面の牧師へ襲いかかった。
咄嗟のことで動けない牧師をシェリフは突き飛ばし、前に躍り出ると矢を放とうとするが、その前に大量の虫に飲み込まれ、吹き飛ばされた。
勢いあまって扉を突き破り廊下に転がるシェリフを執拗に虫たちが襲う。
無数の足が体を這い、顎が噛みつく。転がりながらも必死に手を振り回して、どかそうとするも次から次へと押し寄せてきた。
咄嗟にポケットから小瓶を取り出すと、蓋を開けて中身を自分に振りかける。
液体のかかった虫たちは白い煙を発しながら床に落ち、他の虫も一斉にシェリフから離れていく。
瓶の中身は聖水が入っていた。
シェリフはポケットから別の小瓶を数本取り出すと、不気味に宙を浮く虫の塊に投げつけるも手ごたえはない。
「シェリフ! 聖油を」
牧師が床を滑らせるように瓶を寄こすのを受け取ると、彼は床でマッチに火をつけると聖油に付ける。
周囲が聖なる光に包まれると同時に女の短い悲鳴が聞こえ、虫たちの影が女の物へと変化する。すかさず、シェルフは転がるボーガンを掴んで引き金を絞る。
銀の筋を残し飛んだ矢は、女の影に突き刺さる。くぐもった悲鳴と共に、女が実体となって落ちる。
新たに矢をつがえる時間はない。ボーガンを捨て、ホルスターに収めたハンティング用の手斧を掴む。
「人間風情が!」
女の怨嗟の籠った地鳴りのような声と共に、家は軋み、床が捲れ、シェリフは圧に耐え切れずに後方へ弾き飛ばされる。
そのまま階段を転がり落ち、1階へ。
体中を打ち付けたが、苦しんでいる暇などない。
すぐに起き上がる。聖油を落とさず掴んでいる自分を褒めたい。
聖油を掲げた彼の手を、誰かが掴んだ。
ギョッとして視線を上げると……
目が合った。
吸い込まれるような真っ赤な瞳だ。銀の矢を胸から生やした女はシェリフの前に立つと、聖油を持った彼の手を掴みながら、顔をのぞき込んでいた。目を背けることができない。完全に身動きが取れずに為す術がなく、魅入っていた。
その視線は急に外れる。
女の頭がぶれた。
2階の廊下から牧師の放ったボーガンの矢が彼女の頭部を貫いていた。
何事もないかのように矢を頭部から引き抜いた女は、怒りを滲ませる体から先端に杭の付いた鎖が飛び出る。それが牧師の肩口に弾丸のように飛び貫いた。避ける間もないことで、牧師の口から小さな悲鳴が漏れる。そしてそのまま、1階まで引きずり落とされた。
痛みに堪えながらも鎖を掴むが、肩口の杭はズルリと抜かれていく。それと同時に、牧師は自身の体から何かが一緒に引きずり出されるような感覚に襲われ、意識が急激に遠のいていく。
完全に杭が引き抜かれる直前、シェリフが手斧で鎖を叩き切った。すると牧師の意識も回復し、彼は肺いっぱいに息を吸い込む。
シェリフは女の胸に生えた矢を引き抜くと、女の赤い目に突き立てる。鼓膜が破裂しそうな絶叫に家の柱が折れ、家全体が軋んだ。
残った片目には憎悪の炎が見て取れた。
女が彼に向かって手をかざし、呪詛を吐くと、彼の体の至る所が裂け、大量の血を噴き出した。痛みとショックで悲鳴も上げられないまま後ろに倒れる。
呼吸を何とか整えた牧師は、その隙に十字架を拾うと、再度女に突きつける。
その様子に女は冷笑を受かべた。十字架は先ほどと同じく真っ赤に熱せられ、手を焼いたが、牧師は離さなかった。
「主は私の羊飼い。私は乏しいことはない」
祈りを唱えて女を圧しつける。その力に少し戸惑いながらも、女は残った瞳で牧師を捉えた。途端に意識が飛びそうになるのを何とか持ち直す。肉の焼ける臭いが充満し、十字架を持つ手が震える。女の視線は真っ直ぐ、牧師を見つめた。
牧師は言葉を発しながら、口の中に異物を感じる。口元を覆っている布をずらして吐き出す。
虫が出てきた。
1匹や2匹ではない。次々と湧いて出てくる。嘔吐しそうになるのを堪えた。吐けば祈りが言えなくなる。そうなれば、さらに酷いことになるだろう……。
ただ、もう限界だ。
かすれる視界の隅で、ゆっくりと立ち上がるシェリフの姿を見た。
彼は手斧を女の頭部に振り下ろす。見つめられていた視線が逸れたことで、牧師への呪縛は解ける。だが女がダメージを受けた様子はない。半分潰れた頭部はすぐに再生し、体は牧師に向いたまま、首だけが異様に曲がりシェリフに向く。
「気色悪ぃんだよ!」
手斧を再度振り上げて、両手で渾身の力を込めて振るう。女の首は斧によってはねられた。
しかし、魔女の首は一瞬で虫の塊へと変わり、体に戻ろうとする。
「主は私を緑の野に伏させ、憩いの汀に伴われる!」
牧師は語気を強めると、女の体は圧され、形を保っていられなくなる。
「効いてる……」
シェリフの口から思わず漏れた。
女からは初めて焦りが見られた。思う様に体を構成できない。
崩れ始めている。
「こんなことが……?」
驚きの声と共に、女は後ずさる。牧師を押し返せないのだ。
しかし、限界なのは牧師も同じだった。
「主は私の魂を……生き返らせ……」
もはや半分意識のない状態だ。十字架を握っている腕の血管が裂け、血が流れる。それでも執念で、口からは言葉が漏れていた。
「御名に……ふさわし……く」
「早く、早く力尽きろ! 早く死ねよ!」
「お前がな」
膝から崩れ落ちる牧師を支え、手からこぼれ落ちる寸前の十字架をシェリフがしっかり掴んだ。熱された鉄に手が焼かれる嫌な音、さらには牧師を同じようなに腕が裂けて血を噴き出す。シェリフは痛みに顔を顰めながら、牧師の言葉を引き継いだ。
「正しい道へと導かれる。たとえ死の陰の谷を歩むとも」
一瞬、意識を失っていた牧師も覚醒。2人の声が同時に女を貫く。
「「私は災いを恐れない!」」
2人の聖なる言葉が、女を完全に押し切った。体は完全に形を失い霧散。無数の虫たちが蠢き合っている。
そして、家が震えるほどの悲鳴を上げながら虫たちは悶えていたが、それは次第に笑い声へと変わり。最後は玄関をぶち破って無数の虫は家から消えた。
静まり返った家の中、しばらくは2人とも荒い呼吸をするだけで口が利けなかった。あれだけ異様だった雰囲気も、戻っており時期特有の暑さを感じられた。
魔女はもういない。
大粒の汗を拭いながら、ようやくシェリフが口を開いた。
「おい、大丈夫・・・・・・な、わきゃないか。虫、ゲロってたしな」
「他人事だと思って・・・・・・」
半分笑いながら心配してくるシェリフに、非難するように言う牧師。
互いに満身創痍で、至る所から血が出ている。特に十字架を掴んでいた手は酷い火傷と裂傷があり、何の感覚もない。
「今ので奴はぁ死んだと思うかぁ?」
「はい・・・・・・と、言いたいですが、残念ながら違うでしょう」
「だよなぁ」
頭を掻きながらシェリフは牧師に手を貸して立ち上がらせ、家から外へと出た。と同時に、家が限界を迎えて崩れ落ちる。
瓦解する家に振り返る2人。
「クソがぁ、逃がしちまったなぁ」
家から視線を上げて綺麗に輝く月を見上げながら、シェリフは悪態をついた。
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