第66話 後日談
「……」
目を覚ます。
見慣れない天井が視界に入ってきて、俺は数秒思考を停止させる。状況を理解して、俺は慌てて起き上がった。
タイムリープをしたとき、未来が変わったせいで目を覚まして見慣れない天井が見えることが何度かあった。
そのせいで、知らない間にタイムリープしたと錯覚してしまったのだ。
が。
「……痛った」
体中が痛い。
それで一度冷静に慣れた。改めて周りを見渡すと、ここが病室であることが分かった。
「病院?」
確か、絢瀬家でいろいろあって最終的に気を失ったんだよな。最後まで保たなかったから事の顛末を知らないままだ。
そういえば安東のときも最後は意識なくなったんだっけ。ほんと、殴られてしかないな。
病室は一人部屋。中に人はいない。誰か一人くらいいてくれてもいいのではないだろうか。
そんな、一抹の寂しさを覚えたそのとき、病室の扉が開かれた。
「あら、目を覚ましたの。タイミング悪いわね」
安心する顔がやって来た。
「……なんで奏が? お見舞いに来てくれるだけの好感度持っててくれたんだ」
「……一応友達だとは思ってるわよ。まあ、今回は紗理奈が用事で家に戻らなきゃいけないって理由で呼ばれたんだけどね」
じゃあ自発的ではないんじゃん。
「うちの家族は?」
「さあ」
そりゃそうか。
しかし、息子が入院したというのに顔を出すこともしないとは思えないが。
タイミング的に合わなかっただけか。時間的に普通に仕事行ってるだろうし。
大人に夏休みはないもんな。
「何があったのかはだいたい紗理奈から聞いたけど」
「どうなったの?」
「それは紗理奈の口から聞けば? さっき連絡があったからもうちょいしたら来るだろうし」
「……そっか」
奏はベッドの隣にある椅子に座り、置いてあったリンゴの皮を剥き始めた。
「あんたから電話があったときは驚いたわよ」
視線はリンゴに落としたまま、彼女はそう話し始める。
「理由も話さずに警察に通報してくれとか言うんだもん。さすがに私も戸惑ったわ」
「……ごめん。時間がなくて」
それでも、信じて言うとおりにしてくれたことには感謝しかない。俺は奏が通報してくれたと信じて時間を稼いでいたわけなので、あのままずっと警察が来なければ終わっていた。
「後で紗理奈から事情を聞いたのと、今のあんたの惨状を見れば、切羽詰まってたのは想像つくわ」
「あ、はは」
笑うしかない。
「海のときといい散々ね」
奏は肩をすくめて笑った。
しかし、その後すぐにすっと真面目な表情に変わる。
「でも、そのおかげで紗理奈は助かったのよね。ほんと、不思議なやつ……」
結果的に言えば俺はそのどちらの件においてもロクなことはできていない。
俺一人では何もできなかった。
でも、それでもいいんだ。
絢瀬さんを助けることができた。それだけで俺の目的は達成されたんだ。
「一応、感謝しとくわね」
そう言って、奏は小さく笑った。
もしもあのとき、俺が何もできないでいたら今頃絢瀬さんは命を投げ捨てていたのかもしれない。
それは次第に俺や奏の耳にも届く。そうなれば、こうして笑うことなんてできなかったんだ。
「……何事もなくてよかった。俺からしたらそれだけだよ。何なら、俺がお礼を言いたいくらいだ」
「なんであんたがお礼を言うのよ」
「……俺を信じてくれた、から?」
言葉にして初めて思うが、恥ずかしいことを言ってしまった。それは奏も思ったらしく、苦い顔をして顔を赤くした。
「な、何言ってんのよ。ばかじゃないの」
奏はその場で立ち上がり、ぱたぱたと手で顔を扇ぐ。
「私もう行くわよ。気が向いたらまた来てあげるわ」
「ありがと」
早口に言った奏はさっさと荷物をまとめて出口の方へと行ってしまう。ドアを開けて出ていこうとしたとき、思い出したように彼女はこちらを振り返った。
「リンゴ、せっかく剥いたんだから食べときなさいよ」
言われて、俺はさっきまで奏がいたところを見る。テーブルには丁寧にうさぎの形に剥かれたリンゴが並んでいた。
可愛いとこあるなあ。
「いただくよ」
奏が出ていって、病室に静けさが戻る。どうしていいのかも分からないので、奏が剥いてくれたリンゴを食べることにした。
手持ち無沙汰だったのか、結構な量のリンゴを剥いていたようで、一気に食べることは困難だった。
満腹感に襲われ始めたとき、病室のドアが開けられた。そちらに視線を移すと、驚いた顔でこちらを見る絢瀬さんがいた。
持っていた袋をその場に落とす、という漫画的なリアクションを俺はこのとき初めて見た。
「佐古くん……」
「絢瀬さん」
袋を拾うことさえ忘れたまま、彼女は俺の方へ駆け寄ってくる。そしてぎゅっと抱き着かれる。
柔らかい感触が俺に幸福感を与えてくる。
涙ながらに何かを言ってくれているが、もはや言葉にはなっていないので聞き取れない。
雰囲気的に謝罪とかお礼とか、そういうのだとは思うけど。
しばらくの間、そのままにしておき、ようやく落ち着いた絢瀬さんは恥ずかしそうに俺から距離を取る。
「ご、ごめんね。取り乱しちゃって」
「いや、別に全然」
ベロベロに酔って暴れまわった翌日のようなテンションだな。
絢瀬さんはドアのところに放置していた袋を取りに行き、改めてベッド横の椅子に腰掛けた。
「……」
「……」
無言の状態が起こってしまう。
これは俺から切り出した方がいいのだろうか。そうだよね、あっちもどうしていいのか分からなくなってるっぽいし。
「聞いていいかな?」
俺が声を出したことで、絢瀬さんはぴくりと肩を揺らす。
「……うん」
「結局、あのあとどうなったのか。さっきまでいた奏に訊いたら、絢瀬さんに訊けって言うんだよ」
「そうだね。これは私の口から言わないといけないことだから」
そう言って、絢瀬さんは小さく笑った。けれど、その瞳はどこか寂しげなようにも見える。
「あのあとのことは多分、予想通りだと思うよ。警察の人が中に入ってきて、リビングの惨状を目の当たりにして、お父さんが連れて行かれた。抵抗はしていたけれど、どうしようもないくらいに証拠が残されていたから」
まあ、そうだよな。
明らかに荒されたリビング。服を剥かれた絢瀬さん。気を失う母親。ボコボコに殴られた俺。
言い逃れは出来なかっただろう。
「お母さんは安静にしてあげたくて、私ができる限りの事情を警察の人にお話した。多分、すぐには出てこれないと思う。その……未成年の女の子に手を出した、みたいなのもあったし」
「なるほどね」
つまり、絢瀬さんは解放されたということになるのか?
「これからはお母さんと二人で暮らしていくことになるかな。私もアルバイトして助けていかないと」
「……そう、だね」
ハッピーエンド、と言っていいのかは分からない。
安東の問題は解決し、父親の手からも助けることができた。これ以上何が起こるというんだ。
でも、あれだな。
未来に帰るのは怖いな。
安東の魔の手から彼女を救って未来に戻ったら死んでいた、というのは結構なトラウマである。
「本当にありがとう」
絢瀬さんは俺に頭を下げた。
これまでに見たことのないくらいに深々としたお辞儀だ。
「海のときも、今回も、佐古くんに助けてもらった。佐古くんがいなかったら私はどうなっていたのか分からない」
「……うん」
「だから、どうやって返していけばいいかな。いつもいつも、守ってもらってばかりだから、私も何かをしてあげたくて」
俺としては別に何か見返りを求めていたわけではない。
何ならば、こうして絢瀬さんといれることが俺にとっての最高のご褒美なんだ。
「俺は本当に自分にできることをしただけで、そもそも過程を見れば何もしてないんだ」
海のときは高峰や奏、中井の力がなければ何もできなかっただろうし、今回だって奏が協力してくれなければ助けられなかったに違いない。
俺がしたことといけば、せいぜい殴られて時間を稼いだだけ。主人公としては格好悪い限りだ。
「だから、何かを返したいなんて思う必要はないんだけど。それでも、納得できないって言うんなら一つだけ……」
「……なに?」
結局のところ。
俺が願っていることはこの一つだけなんだ。
「これから先も、ずっと笑っていてほしい。悲しいことや辛いことがあっても、必ず助けてみせるから。俺は、隣でそれを見ていたい」
「……うん」
絢瀬さんは俺をぎゅっと抱き締めてくれた。顔が彼女の胸に埋まり、至高の感触が俺を襲う。
「これから先もずっと一緒だよ。私も、佐古くんが辛いときはきっと支えてみせるから。悲しいときだって、そばにいるから。だから、隣にいてね」
彼女が隣にいてくれるならば、きっと俺はなんだってできる。
彼女の笑顔を守るためならば、俺はなんだってしてみせる。
自分一人でできないなら、誰かの力を借りてやる。不器用でも不格好でも、それでも必ず助けてみせる。
俺は彼女を抱きしめながら、そう強く決意した。
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