第20話 語られる過去①


 満を持して、その日はやってきた。


 これまで幾度となく風俗には通ったが、ここまで緊張したのは初めてかもしれない。


 初風俗のときでさえ、軽く手が震える程度だったというのに、今はそれに加えて口の乾きも凄いし心臓もバクバクと激しく動いている。


 前回は指名した女の子がたまたま絢瀬さんだったので緊張とかよりは驚きや戸惑いが勝ったけど、今日はそうじゃない。


 絢瀬紗理奈を指名している。


 そりゃ緊張するよ。


 とはいえ、今日は行為自体が目的ではない。

 やるべきことは別にある。

「お待たせしましたー」


 受付を済まし、待合室で待つこと数分。予約していたこともあり、早々に俺の番号が呼ばれた。


 ボーイについて行き店の前まで出ると、そこに女の子が一人立って待っている。


 ブラウンに染められた長い髪。

 タンクトップのインナーにカーディガンを羽織り、下は丈の短いタイトスカート。


 ピンと伸びた背筋、大きな胸、くびれたウエスト、フィットしたスカートの上からでも感じる丸いお尻と程よい肉付きの太もも。

 つまさきから脳天までどこを見てもダメな部分が見当たらない。


 俺の存在に気づいたその女の子はこちらを振り返り、ぺこりと他人行儀な挨拶をしてくる。


 俺も思わず会釈を返してしまう。


 え、初対面?

 と思ってしまうくらいの距離感だ。


 でも間違いなく絢瀬さんだ。

 化粧は最低限で、それでもバッチリ美しいその容姿は見間違えるはずがない。


 ブラウンの髪色はまだ見慣れない。


「あ、あの」


 歩き始めたが無言が続いたので、俺は思わず声をかけてしまう。


「はい?」


「俺のこと……」


 言いかけて止まる。

 これ、俺のこと知らなかったらめちゃくちゃキモい発言だよな。


 タイムリープ前は何度か彼女を指名していたようだけど、そこから未来が変わっているのだとしたらこれが初めてということもあり得るのでは?


 ていうか、そもそも未来改変ってどの程度のレベルで起こるんだろうか。


 今のところ、職場だったり家だったりと大きな部分での変化はない。

 あっても連絡先が増えていたり、まあ職場の人がフレンドリーだったりしたこともあったけど、その程度だ。


 些細な変化こそあれど、致命的というか大きな変化は起こっていない。


 起こっていないだけなのか、それとも起こらないのか。


 タイムリープした先で大学に入れば確実に未来は変わるだろう。そこまでして底辺のままだったらもう泣く。


 でも、そうではない。


 であれば問題は、些細な変化が起こっているこの世界線はタイムリープ前の世界線と同じなのか否かである。


 残念ながら、それを確認する手段が今のところ思いつかないんだけど。


「あ、いや、なんでも」


 というわけで、一度口を閉じる。

 もうちょい考えてから発言した方がいいよな。


 ということで、結局沈黙が続いたままホテルに到着する。いつものように女の子が受付を済ましてくれる。


 いつもならば少し離れたところで待っているのだが、今回は受付の流れを軽く後ろから眺めていた。


 使う機会があるかはともかく、知っていることを一つでも増やすことは大切だろう。

 特別なスキルがない以上、俺が過去に持っていけるのは情報だけなんだ。


「……」


 部屋に入る。

 絢瀬さんは机に荷物を置いて、カバンの中から携帯を取り出しお店に電話をする。

 いつもの流れだ。


 俺はその間にどうしたものかと考えるが、何も思いつかない。

 すげえ浅はかだけど、対面した時点で「あ、佐古くん久しぶり!」みたいな感じになると勝手に思っていた。


 なので、この距離感の想定をしていなかった。

 相変わらずバカ野郎だ。


 ぐるぐると考えていると、電話を終えた絢瀬さんが携帯をカバンに戻す。


 そして、こちらを振り返る。


「久しぶりだね、佐古くん」


 予想外の言葉に俺は一瞬言葉を詰まらせてしまう。


「あ、え、と、俺のこと」


「もちろん覚えてるよ。確かに最近会ってなかったけど。お得意様だもん」


 そう言いながら、絢瀬さんは笑う。

 その笑みが作られたぎこちないものではないことは、何となく雰囲気から察することができた。


 多分だけど、今の彼女は素だ。


「えっと、それじゃあ早速シャワー浴びる?」


「あ、いや」


 いつもの流れなのだろうか。

 最初は少し躊躇っていたけど今では迷いなくシャワー行こうとしてるな。


 お得意様って言ってたし、俺はお得意様なんだな。


「?」


 シャワーに行こうとしない俺を不思議に思ってか、絢瀬さんは首を傾げる。


「今日は、ちょっと話したいことがあって」


「話したいこと?」


 立ち話もあれだし、シャワーには行かないという意思表示もあって俺はベッドに腰掛ける。


 すると、絢瀬さんはナチュラルに俺の隣に腰掛けてきた。

 二の腕も、太ももも触れ合う距離。甘い香水の香りが鼻孔をくすぐる。


 俺の手に自分の手を重ねた絢瀬さんは「なに?」と尋ねてくる。

 知っている人の風俗嬢の距離感はやっぱり戸惑うな。本能的に喜んでしまう男の性が悔しいが。


「あの、もしかしたら嫌な話かもしれなくて……でも、どうしても知りたくて」


 なんて切り出したらいいのか分からない。


 そもそも、考えてみたら絢瀬さんにとっては思い出したくもなくて、考えたくもないことなのかもしれない。


「いいよ。大丈夫。話して?」


 しかし、絢瀬さんはそんな俺の心配をすっ飛ばすように優しく包み込んでくれる。


「ありがとう。それじゃあ、最初に一つだけ確認しとくけど、絢瀬さんは今の自分の状況を良く思ってない?」


 あのとき。

 風俗嬢となった彼女と初めて会った日、絢瀬さんは過去のあらゆることを後悔していた。

 そのときのことを最悪の未来と言っていた。


「……うん」


 悔しそうに表情を曇らせながら、絢瀬さんは小さく言う。


「その原因って、安東なんだよね」


 俺の質問に絢瀬さんは黙って頷いた。


 やはり、その根本的な問題を解決しない限りはこの未来は変わらない。


「そのことについてを教えてほしくて。嫌なことを思い出させることになるかもしれないし、嫌な気持ちになるかもしれない。でも、どうしても知りたくて」


 少しの間、返事のなかった絢瀬さんが「どうして知りたいの?」と尤もな質問をしてくる。


 もちろん、タイムリープのことは言えない。

 でも、適当なことを言って誤魔化せるとも思えないし、そんなことはしたくない。


 だから、俺は本音を話す。

 いろんなことを端折った言葉だから伝わるとは思えないけど、俺の気持ちは全てそこにあるから。


「……君を、助けたいから」


 まっすぐ。


 彼女の目を見て、俺はそう言った。


 驚いたように目を見開いていた絢瀬さんは、暫く俺と見つめ合ってから、ふと視線を逸らす。


 僅かに赤くなった頬が可愛くてたまらなかった。


「分かった」


 そして、彼女は優しく微笑んでくれた。

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