第60話 真相
俺が知らないで、奏が知っていることがある。
だから奏は安東ではないと言い切った。
「私は安東の否定の理由にあいつの境遇を持ち出したけど、本当のところそんなのは全然関係ないのよ」
「ならなんで?」
「私は原因をおおよそ把握しているから。けれど、そのことをあんたに話すなと紗理奈から言われていた。だから適当な理由で安東のことを否定したの」
絢瀬さんが俺に話すことを拒んだ?
俺が知るとまずい話ということか?
俺は彼氏だったはずなのに、どうして俺には話してくれなかったんだろう。
「自分は彼氏だったのに、とか思ってるでしょ」
「……まあ」
「彼氏だからこそ、言えないこともあるんじゃない?」
「そう、なのかな」
俺にはそれが分からない。
俺は彼女が何を言ってきても受け入れたはずだ。自殺することを選ぶような辛い出来事も一緒に乗り越えようとしたはずだ。
「……知りたい?」
「え?」
「紗理奈はあんたにこのことを知られることをよく思わなかった。だから、このことをもしあんたが知るようなことがあれば、それは紗理奈の墓穴を荒らすことと同意よ。そんなの死者への冒涜だと思わない?」
「……まあ」
「それでも、知りたいと思う?」
知りたい。
どんなことでも受け入れる覚悟はあるから。
でも。
絢瀬さんが望んでいないことを、本当にしてもいいのか。
それが彼女を助ける手がかりになるかもしれない。
そもそも、奏は教えてくれるのか?
そこを試されているのではないか?
分からない。
絢瀬さんのことも、奏のことも抜きにして、自分だけのことを考えて答えを出すならば決まっている。
でも、それでいいのか。
「……知りたいよ。後でどんな罰を受けるとしても、僅かでも真実に辿り着ける可能性があるんなら、俺はそれを知りたい」
「……そう」
そのとき。
奏の瞳がすうっと細くなる。眼光が鋭く光った。
そこに宿るのはどんな感情なのか読み取れない。
怒りか?
呆れか?
悲しみか?
「いいわ。話してあげる」
「……いいの?」
彼女はそれを死者への冒涜とさえ言っていた。
それでも話してくれるのか?
「ええ。一緒に紗理奈に怒られましょう」
奏はぎこちなく笑った。
「ありがとう」
奏は飲み物で喉を潤し、小さく息を吐く。少し考えを整理しているのだろう。
俺は彼女が話し始めるのをただ待った。
「紗理奈が自分の命を絶とうとする前に電話があったの。あの子は最初から涙を流していたわ。何かがあったことくらいはすぐに分かったから、私は直接会って話すことを提案した」
ようやく、奏はゆっくりと話し始める。
「けれど、紗理奈は会おうとはしなかった。今思うと、顔を見せながら話すようなことでもなかったからでしょうね。だから私は電話越しにあの子の話を聞くことにした」
「……」
俺は黙って彼女の話を聞く。
「あんた、夏祭りに行ったそうね」
「ああ、行った」
「その日に大人になったそうじゃない」
これまで真剣な顔つきだった奏が、にんまりと笑いながらからかうように言ってきた。
「……どう反応したらいいんだよ、それ」
ていうか、そんなことまで奏に話したのか。ガールズトークってそんなもんなのかな。
そんなことを話していることがバレるのが嫌だったとか?
いや、そんなことはないか。
「全然関係ないけど、あんたの愚痴とかそういうのじゃなかったわよ。むしろその
「……そうなんだ」
それはそれで恥ずかしいな。
「話はその夏祭りの前日のことだったわ。結局、あんたは紗理奈の家庭の事情のことは知ってるんだっけ?」
「あんまり良くないってことくらいは」
「まあ、そうよね。私もそのときまではその程度しか知らなかった。紗理奈は家庭内の問題を家庭外に持ち出しはしていなかった。だから、よほど注視していないとそんなことには気づかなかったでしょうね」
確かにそうだった。
絢瀬さんはいつも明るくて、元気で前向きで、何か問題を抱えているなんて思いもしなかった。
その笑顔の裏側に底知れない闇があることを、俺達は結局知りもしなかったんだ。
「紗理奈の家は再婚だったそうよ。紗理奈が小さい頃にお父さんが病気で亡くなったんだって」
「そうなんだ」
知らなかった。
部屋の写真に写っていたのは新しい父親の方ってことか。
「一人で紗理奈を育てていたお母さんだったけど、やっぱりいろいろ大変だったんでしょうね。紗理奈が中学生のときに再婚の話が出てきたそうよ。母親の幸せを願う紗理奈は、もちろんその話を否定しなかった」
その結果、こんなことになるなんて知りもせず、か。
まあ、これは結果論でしかないのだから仕方ないんだろうけど。
「最初のうちは平和な生活が続いたそうなんだけど、ある日、父親が突然荒れたみたい。何があったのかは聞いていないけどね。そこからの絢瀬家は地獄だった」
「……」
「父親が暴言、暴力で家庭内を支配していたみたい。紗理奈のお母さんが自分が何でもするから紗理奈には手を出さないでとずっと言い続けていた。紗理奈はお母さんに守られていたのよ」
父親はそれを許していたのか。
だから、絢瀬さんは外では自由に過ごせていた。平然と振る舞っていたその裏ではそんなことが起こっていたが。
「けれど、ちょうど夏休みに入った頃から少しずつ変わっていった。お母さんほどに酷くはなかったけど、学校がないこともあって紗理奈にも手を出し始めた」
「……手を出すって?」
ドクンドクンと心臓の音が激しくなる。
「最初のうちはご飯を作れとか、掃除をしろとか、あくまでもその程度だったみたいよ。それ以外のことはお母さんがしていたんでしょうね」
でも、と奏は続けた。
「お母さんが体調を崩して倒れたらしいの。父親はそんなことお構いなしに要求をしてきたみたいで、それを見かねた紗理奈がついに前に出たの」
これがどういう意味か分かる?
奏はこちらを見ながら、視線でそう問うてきたような気がした。
つまり、それまで母親が担っていた家事以外のことも絢瀬さんがすることになった。
そういうことだろう。
「……それで話は夏祭りの前日に戻るんだけど、その日紗理奈は父親に襲われたそうなの」
「……」
襲われる、とはもちろんそういうこともなんだろう。
「そのとき紗理奈は暴れたりはしなかったみたい。けれど、その代わりに頭を下げて一つだけお願いをしたそうよ」
「お願い?」
「ええ。一日だけ待ってくださいってね」
「……」
夏祭りの日。
様子がおかしかったのはそれが原因か。
彼女らしくない、とずっと思っていた。
もちろん、清楚なように見えて内側には凄まじい性欲があるという可能性だってあったけど、それにしてもあの日の彼女は強引だった。
『……私、初めては好きな人って決めてたの。だから、佐古くんがいい』
あれは、そういう意味だったのか。
「一日待った父親はそのあとに紗理奈に手を出した」
「それっていつだったか分かる?」
「どうかしら。夏祭りの翌日は紗理奈から全力の惚気電話があったから、その日じゃないのかも。それに、いろいろあったのは朝だって言ってたし」
「朝?」
夏祭りの日が八日。
そして、翌日の九日は大丈夫。
となると実際に襲われたのは十日か?
そうであってくれと祈るしかない。
「ええ。体調が回復した紗理奈のお母さんが、自分の代わりを紗理奈が努めていたことを知って、父親に反抗したそうなの。例え、それが紗理奈の申し出だったとしても、許せなかったんでしょうね」
「……」
「反抗的なお母さんを退けて、父親は紗理奈に手を出そうとした。もちろんそれをお母さんが黙って見ているはずはなくて、紗理奈は目の前でお母さんがボロボロになっていく姿を見ていることしかできなかったみたい。それで、お母さんが無抵抗になって、紗理奈は……ってところかしら」
「そんな酷いことあるのかよ」
ふつふつと、こみ上げてくるのは怒りだ。
父親に対してももちろんそうだが、結局彼女の支えになれていない自分にも、人を頼ろうとしなかった絢瀬さんにも苛立ちを覚える。
「そんなことがあって、紗理奈の精神に限界が来たんでしょうね。あの子は全てを諦めた」
「……」
「きっと、自分があんた以外の男に汚されたことを知られたくなかったのよ」
「だとしても、相談してくれれば変えられたかもしれないのに」
「……そうね。今でも思うわよ、もっと出来たことがあったんじゃないかって」
奏は悲しそうに窓の方を向いて遠くを見る。
そうだ。
絢瀬さんが最後に話し相手に選んだのは奏なんだ。もう覚悟を決めていたからこその電話だったんだろうけど、それでもあのときもっとこうしていれば、と思うのも無理はない。
「まあ、もう何を言っても遅いんだけどね」
そう言って、奏は自嘲気味に笑う。
違うんだ。
まだ間に合うかもしれない。
絶対にこんな未来にはさせない。
みんなが悲しむようなことにはさせない。
俺が必ず、彼女を救ってみせる。
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