第63話 絢瀬家へ急げ


 人身事故により電車の運転が一時的に止まっている。復旧の目処は今のところ立っていない。


 これはマズいぞ。

 電車がなければ絢瀬さんのところに行けない。タクシーを使うだけのお金なんて財布の中には入ってないし。


 使えるとすれば自転車くらい。


 一体、どれだけの距離を漕げば到着するんだろう。かかる時間も予想できない。


 しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 動かないと何も変わらないんだ。


 途中で電車の運転が再開すればそこから乗ればいい。今はとにかく少しでも近くまで行くんだ。


 俺は一度家に戻り、ママチャリに跨りペダルを踏む。ロードバイクでもあればもっと速く走れるんだろうが、ないものねだりをしても仕方ない。


 今あるものでこの窮地を突破するしかない。


 俺は全力で自転車を漕いだ。

 朝早くから行動していたのは不幸中の幸いだった。父親がいつアクションを起こすかは分からないけど、事態が発展してから動いてたら確実に間に合わなかった。


「……ぜえ、ぜえ」


 息が切れる。

 毎朝ランニングはしていた。体力もそれなりについたと思っていたけど、まだまだのようだ。


 走ると漕ぐとでは使う筋力も違うのか。体が重たくなってきた。それでも止まるわけにはいかない。


 家を出発してから三十分近く、休むことなく全力で漕ぎ続けていた俺だったが、ついに地面に足をつけてしまう。


「…………っ、はぁ、はぁ」


 切れた息を整える。

 足がプルプルと震えていた。


 絢瀬さんの家の最寄り駅までのナビを設定しているが、まだまだ到着しそうにない。


 住所が分かれば家までの道案内をさせたんだけど、家の場所は知ってても住所は知らないのだ。


 最寄り駅からの行き方は何となく覚えているから迷うことはないだろう。


 そうなると、やはり問題はそこまで辿り着けるかどうかである。


「……よしっ」


 自販機でスポーツドリンクを購入し、それを一気飲みする。よほど喉が乾いていたのか、全て飲み干せてしまった。


 気合いを入れ直し、俺は再びペダルに足を乗せ漕ぎ始める。


 段々と目的地まで近づいてくる。

 ゴールが見えてきたことで、披露していた体も気持ち的に少しだけ楽になる。


 果てしない道のりに絶望していたが、ゴールが見えてくることで体が軽くなる。


 大きく息を吸って、ラストスパートと言わんばかりに俺はペダルを回した。


 家を出発してから、およそ一時間が経過した。俺はようやく絢瀬さんの家の最寄り駅に到着する。

 ぜえぜえと、バスケの試合にフル出場した後のような息切れをしながら一度自転車から降りる。


 さすがにこのままで向かっても何もできそうにない。少しだけでも体力を回復させなければ。


「……」


 俺はポケットから携帯を取り出して画面を確認する。絢瀬さんからの連絡はない。


 まだ何も起こっていないのか、それとも俺に頼るつもりは更々ないのか。

 前者であればいいが、後者の場合なら最悪既に事件は起こっていることになる。


 その光景を想像するとこんなところでゆっくりしていられなかった。

 俺は自転車に跨り、ゆっくりでも絢瀬さんの家に近づこうとした。


 まさにそのときだ。


 着信音が鳴る。

 その音に、俺は一瞬ぞわっと悪寒のようなものを覚えた。


 彼女ができて、調子に乗って絢瀬さんの着信音だけ別に設定をした。その音を耳にする度にドキドキワクワクしていた。


 が。


 今回はそうも思っていられない。


 彼女からの連絡があったということは、最悪の事態が起こった可能性が非常に高い。


 俺は震える手を抑えながら電話に出る。


「もしもし?」


『佐古くん。お願い、助けて』


 涙混じりの声で、俺に助けを求める絢瀬さんの声。

 後ろからは男の怒鳴り声のようなものが聞こえてくる。恐らく父親だろう。


 恐れていた事態がついに起こったのだ。


『このままじゃ、お母さんが……』


「今行くから、待ってて!」


 俺は通話を切らずにそのまま向かおうとしたのだが、男の声が近づいてきて通話を切られてしまう。


 通報されたと勘違いしたのか?


 何にせよ、絢瀬さんに危険が及んでいるのだけは確かだ。

 全力で自転車を漕ぐ。


 しかし。

 まだ考えがまとまっていない。


 こうなったとき、どうすれば絢瀬さんを助けられるか。それはずっと考えていた。


 俺一人の力で何とかしたかったけど、海のときも実感したが俺には何の力もない。


 それでもいい。

 守れるのならば何だっていい。


 格好悪くても、情けなくても、不器用だって構わない。


「……」

 

 到着してからだと遅いだろうから、今のうちに電話をしておこう。


 数回、コールが鳴ったあとに彼女は応じてくれた。


『なに?』


 未来では考えられないような不機嫌な声。

 けれど、不思議とその声色に安心してしまう自分がいる。やっぱりこいつはこうでないと。


「奏……一つ、お願いがある」


『は? なによ、いきなり』


 突然電話がかかってきて、何の説明もなしにこんなこと言われれば誰だって同じリアクションをするだろう。


 けど、悠長に説明している暇はない。絢瀬さんの家はすぐそこのところまで近づいている。


「頼む」


『……なによ?』


 分からないながらも、応じてくれる奏に感謝しながら俺は説明をする。

 説明している間も、説明を終えた後も彼女は終始戸惑いを隠せないでいた。


『それ……何もなかったら私が怒られるんじゃないの?』


「何もないってことは絶対にないし、最悪俺が責任取るから」


 俺が言うと、数秒の沈黙が起こる。そして、諦めたような溜息を漏らした奏が答える。

 

『分かったわよ。あとでちゃんと説明もしなさいよ』


「……ありがとう」


 それだけ言って、通話を切る。

 ポケットに入れて、自転車を止めた。


 ついに絢瀬さんの家の前までやって来た。


 ここを進めばもう後戻りはできない。

 けど躊躇している時間もない。


 俺は一度だけ大きく深呼吸をしてから、絢瀬家の敷地に足を踏み入れる。


「……行くぞ」


 最後の戦いだ。

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