第64話 突入
いざ、絢瀬家に突入だ!
と、意気込みドアの前まで来たところで立ち止まる。このままドアを開けて中に入るか?
でもそれ不法侵入だしな。
そこを指摘されると面倒か?
じゃあインターホン押せば中に入れてくれるのかという話だが、そんな余裕とかもないだろうな。
「……」
突入するか。
不法侵入と言われても、絢瀬さんが弁明してくれるに違いない。そのためにも、彼女の無事を確保しなければ。
俺はドアを開けて中に入る。さすがに玄関で靴は脱いで勝手に家にお邪魔した。
そのときだ。
廊下を進んだ先にある部屋の方から大きな音がした。
人が転けたような、鈍い音だった。俺は恐る恐るそちらの方へと向かう。
躓いて転けただけならそれでいいが、可能性として突き飛ばされたりして尻もちをついたような音とも捉えることができる。
奥にはキッチンのような部屋がある。ここは恐らくリビングだろう。俺はゆっくりと中を覗き込んだ。
そして、息を呑む。
「……」
一人の男が立っていた。
見たことがある。
絢瀬さんの部屋にある写真に写っていた男。筋肉質でガタイのいい男の姿がそこにあった。
父親だ。
その男の前に倒れている女性は母親の方だろう。その人の顔も写真で見たのを覚えている。
絢瀬さんは?
俺がその疑問を浮かべた次の瞬間だ。
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!」
母親が父親に飛びかかった。
が、
体格の差があり、力が及ぶことはなく再び突き飛ばされる。打ち所が悪かったようで、母親はがくりと気を失った。
死んでないよな?
「お母さん!」
絢瀬さんの声だ。
俺はキッチンの方に視線を移すとそこに彼女はいた。服は剥かれ、下着姿になった彼女は涙を流しながら母親に駆け寄る。
「なんでこんなことするの!?」
絢瀬さんは泣きながら威嚇するように声を荒げた。
「その女が邪魔してきたからだ」
ピクリとも表情を動かさず、父親の方は冷たい視線を絢瀬さん達の方に向けた。
その目は、まるでモノでも見るようだ。
「さァ、約束を守れ」
俺はハッとしてスマホを取り出す。少しだけでも現場は抑えておくべきだよな。
録画をしようと思ったが、それだと万が一見られたら厄介だ。ここは録音にして胸に忍ばせておこう。
「……」
絢瀬さんは父親を睨みながらグッと拳を握る。抵抗するつもりか? 体格の差がある上に母親よりも小さい絢瀬さんに勝ち目はない。
しかし。
もちろん、そんなことは彼女も理解しているようだ。ここで父親に抵抗すれば状況が悪化するだけであることを察したのだろう。
絢瀬さんは握っていた拳を解いた。
そして、下着を脱ごうとブラのホックに手をかけた。
さすがにこれ以上はマズいと思い、俺は立ち上がりリビングに突入した。
「ちょっと待て!」
この場を切り抜ける策はまだ完成には組み上がっていない。
けれど、これ以上は隠れていられない。
「は?」
彼女を守ると決めたから。
「……佐古くん」
父親はギロリと迫力ある睨みをこちらに効かせ、絢瀬さんは信じられないものを見るような目でこちらを見てきた。
そりゃ突然現れたら驚くよね。
「なんだ、お前は?」
「……これ以上はさせないぞ」
「誰だと訊いているんだが?」
なんと答えるのがベストなのか、俺は一瞬の間にいろいろと考えた。結局、一番シンプルなものがいいだろうと思い、息を吸う。
「紗理奈さんの彼女だ」
俺が言うと、一瞬だけ驚いた父親は、しかし次の瞬間に大きな声で笑った。
「紗理奈の彼氏か? ということはあれか、助けに来たのか。正義のヒーローにでもなろうというのか?」
冗談でも言うような調子で父親は言う。その様子はまるで陽気なおじさんのようだった。
しかし、一瞬にして表情が切り替わる。
真顔になりこちらを睨むその顔はまるで別人のようだ。睨まれただけで足がすくむ。
安東のときとは比べ物にならない、圧倒的な恐怖だ。
「まあ、見られたからには、ただでは返さないがね。とりあえず口止めはしないと」
指をボキボキと鳴らしながら言う。
俺は絢瀬さんを庇うように彼女の前まで移動した。とりあえずはこれで絢瀬さんと父親の距離は保てる。
きっと、ここで絢瀬さんは襲われたんだ。
それが始まりで、そこから彼女の地獄は続き、最終的に生きることを諦めるに至った。
あんな未来には絶対にさせない。
体を張ってでも止めるぞ。
「死ね!」
父親が腕を振りかぶった。
瞬間。
ぐるりと視界が回った。気づけば俺は壁に叩きつけられていた。
……殴られたことに一瞬気づかなかった。気づいたときには既に殴られていた。
「佐古くん!」
絢瀬さんが叫ぶ。
俺は咄嗟にこっちに来ないように制止を促した。父親の目がこちらに向いているんだ、わざわざ視界に入りにくる必要はない。
なんなら逃げてほしいとこだけど、母親を運ぶのは厳しいだろうし、母親を置いて逃げれる性格ではない。
そもそも絢瀬さんは下着姿だし、母親も恐らく寝間着だ。
数秒経ってから、じんじんと殴られたところに痛みが走る。しっかり顔を殴られたせいで、口の中に血の味が広がった。
「ほら立ちなよ。そのまま倒れていたとしても構いはしないぞ?」
言われて、俺はやっとの思いで立ち上がる。膝がガクガクと笑っている。
安東のパンチの何倍も威力があるな。あいつに殴られたおかげで今回のダメージに耐えれたのかもしれない。
ほんの僅かにだけど痛みに対する耐性ができていた……可能性がある。
もう一発喰らえば、最悪意識が飛ぶぞこいつは。
「……あんた」
仕方ない。
唯一の切り札を使うしかないな。これがダメならどうしようもないから、できれば最後の最後まで取っておきたかったが。
……いや、今が最後の最後か。
「あァ?」
「最近、女子高生と会っただろ」
「……」
父親の顔を見て、一つ思い出したことがある。
あれは、俺が絢瀬さんと夏祭りに行く日だっただろうか。
今から数日前の出来事になる。
街で高峰円香を見かけた。
彼女は知らない男と並んで歩いていた。
あのときは見覚えのあるおじさんという程度の認識だった。知っているおじさんの顔なんて幾らでもあるからだ。
けれど、今ここで確信した。
あの男は絢瀬さんの父親。つまりコイツだ。
絢瀬父と高峰円香との間に、健全な関係があるとは思えない。確実に表沙汰には出来ないことが起こっているはずだ。
「なんの話だ?」
「とぼけるな。実際にこの目で見たんだよ」
あの日、絢瀬さんは少し強引に俺をホテルへと誘った。
それは父親に奪われる前に初めてを俺に捧げたかったからだ。
けれど、未来で奏の話を聞いていた限りでは、この男はそれ以外のことは容赦なくさせていただろう。
夏の補習に来ていた絢瀬さんを呼び戻すほどだ。出掛けることを許すとは思えない。
でも、絢瀬さんは夏祭りに来れた。
多分だけど父親の方も出掛けていたんだ。俺が見かけたあの時間から、夜遅くまで。
ずっと高峰円香と一緒にいたのかは分からないが、少なくとも彼女といたのは紛れもない事実だ。
「あの相手の女子高生、俺の知り合いだって言ったらどうする?」
「……なにィ?」
一瞬だけ、父親の表情が変わった。とはいえ、眉をピクリと動かした程度ですぐに睨みを効かせてきたが。
「連絡先も知ってる。彼女に確認すればあんたのしたことは全て晒されることになる」
俺は自分のスマホを取り出し、メッセージアプリを開いて高峰のトップ画を父親に見せる。
有り難いことに彼女のトップ画は自撮りの画像だった。
「俺が何か一つでも彼女に送れば通報してくれるよう、既に話は通しているんだ」
これは嘘だ。
そうしておければ、とは死ぬほど思っているが。
だが、本当に俺と高峰が繋がっていることを理解した父親の顔に焦りが見えた。
しかし、
やはり、表情が崩れたのは一瞬で父親は不敵な笑みを浮かべる。
「確かに脅すには十分なネタだ。だがね、それは俺が常識のある奴だったらの話だ」
ギヒ、と口角を上げる父。
俺はそれを見て背筋にゾワッと悪寒が走った。
「……どう、いう?」
「喋りたくなくなるようにお前の体に痛みを教え込めばそれで済む。連絡される前に殴ればいいわけだし」
コイツ、ネジが一本外れてるとかのレベルじゃないぞ。何をしてくるか分からない。
「それに、その女の子も逆らうようなことはしないはずだ。彼女と私、どちらが強いかは既に理解しているはずだからね」
考え方的には安東と似たようなもんだが、こっちのがよっぽど恐ろしい。
「……お前、高峰にも何かしたのか?」
「さァね。私はただ、金額に見合った行動を取っただけだよ。しかしあれだ、彼女ももっとしっかり理解しておくべきだった。ああいうことをするという意味をね」
何をされたんだ?
それは分からないが、あの日あいつは何かをされた。その結果、もしかしたらトラウマめいたものを植え付けられていた可能性さえあるということか。
「……仕方ない」
高峰の件で抑えられればそれで済んだんだけど、そうは問屋が卸さないらしい。
やるしかない……。
「あァ?」
「一発殴られたんだ。ダメージ的にも、正当防衛と言えるだろう。それに証明してくれる人もいる」
俺は適当に格闘技の構えを真似ながら言う。もちろん格闘技なんか習ったことはない。
肉弾戦を主とするアニメの真似をしているだけ。
「なんだ、やるのか?」
勝てるとは思っていない。
けれど、ここで終わるわけにもいかない。
「……」
きっと俺は殴られる。
覚悟はしている。
それでも、
俺はまだ、ここで倒れるわけにはいかないのだ。
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