第48話 安東の毒牙


 水着を買いに来た。


 俺としては常識の範囲内であれば割と何でもいいので選ぶのにそこまで時間はかからなかった。


「これとかどうかな?」


 俺が悩んでいると、絢瀬さんがそう言ってくれたのでそれにした。

 白に黒の柄が入ったもので、俺としてはもう少し地味なものでもいいと思ったのだけれど、彼女的にはこれでも結構地味なものを選んだとのこと。


「それじゃあ次は奏だね」


「ええ」


「私も新しいの買おうかなー?」


「また成長したの?」


「そういうわけじゃないよ。せっかくだしと思って!」


「どうかしらね。いいわね、胸が大きい人は余裕があって」


 ハッと自嘲気味に奏は笑う。

 絢瀬さんの胸はそれなりに大きい。それと比べて、いや比べなくても奏の胸は小さい。


 小さいことが悪いことだとは思わないけど、貧乳の人間は決まってそれをコンプレックスにしてるよな。

 貧乳はステータスだ。希少価値だ。なんて言葉もあるのに。


「小さいのも可愛いよ」


「大きい人に何を言われても虚しいだけよ」


「可愛いよね、佐古くん!?」


「……俺に振らないで」


 ていうか、俺はこれについて行っていいのか。何となく流れで一応後ろを歩いてはいるけど、今から水着買いに行くんだよな。


 試着とかもするだろうし、男はいない方がいいな。うん。きっとそう。ていうか、ぶっちゃけその空気に耐えられそうにない。


「あの、俺ちょっと他の買い物してくるよ」


「え、どうして? あとで一緒に行くのに」


 本当の理由は言えないな。


「すぐ終わるからぱぱっと済ませたくて。付き合わせるのも悪いし」


「気にしなくていいよ?」


「ちょっと、紗理奈」


 くいっと絢瀬さんの腕を引っ張って耳を寄せた奏はひそひそと声を潜めて何かを伝える。


 それを聞いた絢瀬さんはなるほどという顔をする。奏が俺の考えを察してくれたのだろう。


「えっと、それじゃあ買い物が終わったら連絡するね?」


「うん。よろしく」


 そんなわけで絢瀬さんと奏と別れて俺は一人になった。俺は腕を組んで唸る。


「さて、何しようか」


 買い物なんてないしな。

 適当に時間を潰すとして、どこに行くか。まあ、何でもある場所だから何とでもなるのだが。


 そんな感じで悩んでいると、ふと聞き覚えのある声がした。


「それにしても、上手くいったよな!」


「ああ。美帆は扱いやすくて助かるぜ。圭介もそう思うだろ?」


「……あァ、そだな」


「圭介くんテンション低いじゃん。せっかく念願の絢瀬紗理奈とのお出かけなのに」

 

 男四人組。

 そのうちの一人は安東圭介だ。聞き覚えのある声は、気に入らないがあいつのものだったらしい。


 俺はバレないように咄嗟に物陰に隠れる。


 しかし、気になる会話をしていたな。することもないし、後をつけて話を盗み聞きするか。


 上手くいったよな、と一人の男が言っていた。


 美帆は扱いやすくて助かるぜ、とも別の男が言っていた。


 美帆というのは中井のことで間違いないだろう。


「分かりやすいから、こっちの思惑通りに動いてくれるよな、美帆って」


「あれがアイツのいいとこだろ?」


「確かにー」


 男達は盛り上がる。


 補習終わり、中井がみんなで出掛けるように提案したのは彼女の意思ではないのか?


 いや、でも言い方的に直接こう言えみたいな指示をしたのではなく、そうなるように仕向けた感じか。


 つまり、中井は中井でみんなで出掛けることに賛成したのだろう。

 その提案を彼女がしたあと、絢瀬さんを参加させることこそが奴らの目的だったのか。


 それは何のために?


 そんなの、もちろん決まっている。


「なあ安東。ぶっちゃけどうなのよ、その絢瀬って女は」


「……上手くは行ってねェな。鬱陶しいコバエがちょろちょろしてやがる」


 うざったそうに安東は言う。


「ああ、あの陰キャ男?」


「あと貧乳の女な」


 そんなこと言ったら奏に怒られるぞ。この陰キャ男がチクってやろうか。

 

「でもそいつらのおかげで絢瀬は補習に来たんだろ? 感謝しなきゃじゃん」


 一人の男が笑いながら言うと、安東が口元に不敵な笑みを浮かべる。


「まァ、確かにそうかもな。おかげでこんな絶好の機会を得ることができた」


「上手くいってないのに絶好の機会なのか?」


「上手くいってないから絶好の機会なんだよ。鬱陶しくても所詮コバエはコバエだ」


「どうすんの?」


 男が訊くと、安東はニタリといやらしく笑う。その笑みに、俺は思わずゾクリとしてしまう。


「女なんて生き物は、結局性欲には勝てねェんだよ。好きな男がいようと、快楽を前にすると自制心なんて吹っ飛ぶ」


「うひゃー、ヤリチン様は言うことが違うぜ」


「そのテクニックでこれまで何人の女を堕としてきたんだよ」


 安東め、案の定ヤリチンだったか。

 そしてそれを武器に絢瀬さんを狂わせようとしている。


 俺が絢瀬さんと仲良くなり、ことごとくチャンスを失ったのは確かなのだろう。

 鬱陶しいと言っていたときの顔は嘘をついているものではなかった。少なくとも、安東の計画通りには進まなかったらしい。


 結局、安東は変わらない。

 そのイカれた思考で何人もの女を狂わせてきたし、これからも狂わせていくことだろう。


 他の女は知らない。

 残念ながら、俺は全員を助けられるようなヒーローではないのだ。

 だから、せめて絢瀬さんだけは救いたい。


 そのために、俺には何ができる?


「美帆のことはどう思ってんの? 明らかにお前のこと好きじゃん」


「あァ、アイツはいいヤツ過ぎる」


「そういう女ほど唆るんじゃないの?」


「……まァな。ただ、いつでもイケるだろうから、今すぐにどうこうすることはないんだよ」


「え、じゃあさじゃあさ、海で俺イッちゃってもオッケーな感じ?」


「は、いやいやそれなら俺が」


「ちょっと待てよ、俺も狙ってたんだけど?」


 男三人が好き放題に言う。

 そんな奴らに対して安東は楽しそうに笑いながら言う。


「好きにしろよ。お前らがどンだけ頑張っても俺のテクニックには及ばねェからな」


 中井美帆は本気で安東のことが好きなんだと思う。

 安東のことを話す彼女の顔は、まさしく恋する少女といった感じだったから。


 正直、安東のどこがいいのかは俺には分からない。でも、きっと女の前ではいい格好しているのだろう。

 俺には分からない偽りの魅力があるに違いない。


 でも。

 安東はそんな中井の本気の気持ちを蔑ろにしている。


 それでは彼女が可哀想だ。


 絢瀬さんでなく、他の誰かとくっつけば安東も狂わなかったのではないか、と少しだけ考えた。


 でも、それは無理らしい。

 アイツはすでに狂っている。


 救いようのない野郎だ。


 そんな奴の毒牙が、確実に絢瀬さんに向いている。もう、すぐそこまで迫っている。


 俺が何とかしないと。


 俺が彼女を守るんだ。

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