第41話 補習
目を覚ますとセミの鳴き声が耳に入ってくる。騒がしいはずなのに、俺はこれを騒音とは思わない。
なぜかと言われると、理由を言語化することはできないけれど。強いて言うなら、何となくってところだ。
このセミの鳴き声とカラッとした暑さが夏の到来を知らせてくる。
夏休み初日、何もなければとりあえず昼まで寝てやりたいところだが、残念なことに今日から補習である。
なので昨日の終業式のあととか、皆が開放感に包まれる中、俺は全くそんな気分になれなかった。
外に出ると日差しがある分、さらに暑い。数歩歩くだけで、汗が皮膚を伝う。
電車に乗り込んだところで、カバンに忍ばせていた扇子で仰いでクールダウンを行う。
夏休みなんだから、せめて開始時間を少し遅くしてもいいだろうに。どうしていつも通りの時間に設定したのだろうか。
「……」
しかし。
本来ならば、こんな気持ちを味わうこともなかったんだよな。
社会人になると夏休みなんてものはそう簡単に取れなくなるし、仕事によってはさらに難しい。
俺が勤めていた会社はブラック企業だったわけで、二連休を取ることさえ厳しかった。
夏休みに補習。
そんな学生的イベントをもう一度味わえるだけでも喜ぶべきことなのか?
いやいや。
そんなことをしている場合ではないのだが。
前回に比べると確実に未来は変わっているはずだ。
それでも油断はできないわけで。
この夏休みを乗り越えることが最大の目標となっている。
未来版絢瀬さんの話によると、夏休みのどこかで家庭の問題が発展し、そこを安東に狙われた。
その家庭の問題が起こる時期が前半なのか後半なのか分からない。
それまでにできる限りのことをする。起こる前に解決するのがベストなのだが、せめて何かあったときに頼ってもらえるところまではいきたい。
俺の好感度は確実に上がっているはずだ。奏も言ってくれていたが、少なくとも低くはない。
周りの男子に比べて高いのではないだろうか。
でも、まだ足りない。
行けるかもじゃダメなんだ。
このターニングポイントを過ぎてしまうと、もう後戻りできない可能性だってある。
なにせ、絢瀬さんはこの夏に安東とセックスしてしまっているのだから。
「あんたも補習?」
考え事をしていると、隣りに座ってきた女子に話しかけられた。最初は俺だと思わなかったけれど、明らかにこっちを向いて言ってるのでさすがに振り向く。
「ああ、うん」
そこにいたのは高峰円香だ。
胸元を、鎖骨はおろか屈めば胸まで見えてしまうくらいまで開き、スカートも可能な限り短くした相変わらずエロいファッション。
言い分的に彼女も補習なのだろう。
ひと目見て俺を補習だと思ったところは腑に落ちないが、こんな時間に制服着てればそう思うのも無理はないか。
「お互い残念だね」
「なんか意外だな。補習とかサボるタイプだと思ってた」
何となく、そういうふうに見えるというのはもしかしなくても失礼な発言だな。
しかし、高峰は気にした様子もなくケタケタと笑う。
「まあ、よく言われるけどね。高いお金払って通ってるんだから、それなりのことはしないとね」
「真面目なんだな」
「……真面目かって言われるとそれはそれで困るけどね。結局、勉強してないから補習なわけだし」
確かにね。
「ていうか、あんたは頭悪そうには見えないから、そっちこそ意外だよ」
「残念なことにお馬鹿なんですよ」
補習はもちろん面倒だけれど、こう知っている顔が次々に現れると少しは憂鬱さもマシになるな。
しばしの間、高峰と話しながら電車に揺られる。学校に到着したときには始業の十分前くらいで、教室に入るとほとんどの生徒が既に着席していた。
といっても、十五人程度。
各クラス数人なので一つの教室に集めて補習を行うらしい。
入ったタイミングで教室内をぐるりと見渡す。ほとんどの生徒の顔はもちろん知らないが、その中に知った顔が幾つか。
中井美帆はやはりサボらずに来ている。憂鬱そうな顔だったが、高峰の顔を見てそれを晴らす。
大関奏はつまらなさそうに頬杖をついてスマホを触っている。
「ちょっと、早く入ってよ」
驚きのあまり、俺は足を止めてしまっていた。中に入れない高峰がうざったそうに言ってきたことで我に返る。
「あ、ごめん」
中に入り、空いている席に向かう。
高峰は中井に呼ばれてそっちへ行ってしまった。
その道中、俺はもう一度ちらとその生徒を見る。
俺が驚いたのは、そこに絢瀬紗理奈がいたからだ。
ここにいるはずのない、いなくてもいい彼女がいたのだからそりゃ驚く。
確かに赤点を取った生徒が参加しなければならないだけで、参加資格はそいつだけではない。
任意で受けることはできる。
でも、如月もそうだったけど、わざわざ貴重な夏休みの時間をこんなものに割くメリットはない。
安東のように、強制参加なのにサボっている奴もいるわけだし。
「……」
彼女を見ていると、目が合った。
絢瀬さんはにこりと笑って小さく手を振ってくれる。俺はどうしていいか分からずぺこりとお辞儀をする。
俺が着席してすぐに先生が入ってくる。始業のチャイムは鳴らないので、そのままゆるく補習は始まった。
補習とは言うが、そこまで厳しいものではないようで、いつもの授業よりもさらに軽いものを行う。
正直言って面倒という感想以外はなかったが、絢瀬さんがいるという事実が少しだけ俺にやる気をもたらしてくれた。
しかし、本当に、どうして彼女がここにいるんだ?
まさか、言ってなかっただけで実は成績悪い子だったのだろうか。なんてことを考えながら、俺は補習を受けるのだった。
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