第2話 タイムリープの理由


「……やっぱり」

 

 十年前だ。

 

 つまり俺は高校二年生。


 美意識の低さ故に部屋に鏡はなかったので洗面所に向かう。高校卒業して間もない頃に出た実家。

 あれから何年も経ったというのに、どこに何があったのかは体が覚えている。


 まあ、当たり前のことだけど。


「若いな。ヒゲも生えてない」


 鏡を見て驚いた。

 本当に高校生のときの姿だ。残念なのは大人のときの俺よりも若干太っていること。

 仕事に追われるあまり体重が落ちたのだ。あれは痩せたというよりはやつれたと言うべきだろうけど。


「何してんの?」


「ん?」


 自分の若返りにテンションが上がり鏡を眺めていると、隣から低い声が聞こえてきた。


「母さん」


「珍しく早起きしてると思ったら鏡見てニヤニヤして」


「あ、いや、何でもない」


 俺は誤魔化す言葉も出てこなくて適当に言って部屋に戻る。


 これだけの証拠があり、頬をつねっても痛いところから考えるに、本当にタイムリープをしてしまったらしい。


 それはいい。

 いや、よくはないけど事実として受け入れよう。


 問題はそこじゃない。


 考えるべきは、のかだ。


 意味なくタイムリープとかする?

 漫画とかでたまに見るけど、皆何かしらの目的や理由があって過去に戻っている。


 その多くは未来に起こった不幸を回避するというものだ。


 俺の場合は……ブラック企業への就職を回避すればいいのか?

 それとも童貞を早々に卒業しろとでも?


 いやいや。

 

 漫画なんだから目的があるのは当たり前で、これは現実なんだからそんなものなくてもおかしくはない。


 どういう理由で、何の目的があってタイムリープをしたのかは分からないが、未来を変える機会を手に入れたのは確かだ。


 ポジティブにいこう。


「行ってきます」


 朝食を済ませて家を出る。

 いつもより早い出発に母さんは驚いていたが、仕事で慣れた早起きの感覚はタイムリープしても残っているらしい。


 十年前の景色を鮮明に覚えているわけではないが、見てみると案外こんなだったなと思い出してくる。

 しかしこの十年前でいろいろと変わった部分も多く懐かしい気持ちになることもあった。


 電車に乗り込み、一時間揺られる。

 今だからこそ思うが、どうしてこんな遠い学校を選んだのだろうか。

 中学生からやり直せていたなら入る高校は変えていただろうな。


 イスに座ってうとうとしているとゾロゾロと通勤だか通学だかのラッシュが起こる。

 座っておいて良かったと思える混雑具合に思わず笑ってしまう。


 携帯電話を取り出し、ネットでいろいろと調べる。この頃は何があっただろうか、なんて気にしてみたが興味はなかった。


「……ん?」


 目の前に立っていた一人の女子生徒。見覚えがある制服だ。あれは俺が通っていた高校のものだな。


 金髪。

 長いまつ毛は多分付けまつ毛だな。

 高校生にしてはしっかりと化粧をしている。もっと素材の味を活かした方がいいと思うけどな。


 大人になれば嫌でも化粧をしないといけなくなるんだから。


「……っ、ん、ふ」


 なんだろうか。

 頬が微妙に赤くなって、息も荒くなっているように見える。

 これまで多くの女性のを見てきたから分かるが、この女は今、性的興奮を覚えている。


 気になるのは、楽しそうでも嬉しそうでもなく、むしろ怯えているように見えることだ。


 俺は少しだけ体を横に倒して彼女の後ろを確認すると、バーコードハゲが印象的な中年オヤジがいかにも痴漢してますよという顔をしていた。


 これは間違いなく触ってますね。


 気が強そうに見えて、こういうときにはハッキリものを言えないんだな。

 そのギャップは萌えるに値する。


 いいでしょう。

 助けてあげましょう。


 俺は携帯電話を取り出してカメラを起動する。スマホに比べると画質の粗いこと。


 パシャリ。


 シャッター音はしっかり鳴るようで、中年オヤジはビクリとしてこちらを見る。


「……お前」


「どうします? 証拠、撮っちゃいましたけど?」


 ぐぬぬ、と表情を歪める中年オヤジ。

 謝ってきたが許すつもりは全くなかった。金髪ギャップ少女の為を思ってのことではない。


 ルールも守れないクソ野郎にはきちんと制裁を与えなければならないという思いである。

 正義感とかではない。


 そんなものは俺の中にはない。


 あるのは嫉妬とか劣等感とか、限りなくマイナスな感情だ。


 駅員に全てを話し、証拠も見せたところで俺の役目は終了だ。きっとあのオヤジは法が裁いてくれることだろう。


「ね、ねえ!」


 声をかけられた。

 何だろうと振り返ると、さっきの金髪ギャップ少女が息を切らせてそこにいた。

 慌てて追いかけてきたようだ。


「なにか?」


「……名前は?」


「名前?」


「あんたの。お礼くらい言わせてよ」


「俺は、佐古太郎。お礼はいいよ。オッサンの絶望した顔が見れただけでお腹いっぱいだから」


 それだけ言い残し、俺は電車に乗り込む。

 あの少女は尤もな理由があるので遅刻しても許されそうなものだが、俺はどうなるか分からない。


 何より、遅刻して教室入ったときの全員の注目が集まる感じが好きじゃない。

 なので、急いで学校へと向かった。


 幸いだったのは、いつもより早く家を出ていたことだ。

 ぎりぎりではあったけど、何とか遅刻は回避することができた。


 教室の前で一度止まる。

 一応、十年振りになる教室。

 変に緊張してしまうのはなんでだろうか。


 いや大丈夫だ。

 友達もロクにいなかったんだから、誰も俺のことなんて気にかけてない。


「……よし」


 パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直す。

 そして、ドアノブに手を掛けようとした、まさにそのときだった。


「入らないの?」


 そんなことを言われる。

 しかも声的に女子だ。


「今入ろうと思ってたと……こ」


 驚いた。


 いや、いることは当たり前なんだけどいざ実際に目の前にすると言葉を失う。


「えっと、確か……そう、佐古くん!」


 絢瀬紗理奈。

 十年前も、十年経っても、変わらず綺麗で可愛いその子は、笑顔でそんなことを言ってくる。


 ああ。

 そういうことか。

 そういうことに違いない。


「……絢瀬、さん」


 

 俺は彼女を、絢瀬紗理奈を救いにきたんだ。

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