第68話 大丈夫な日


 数秒、さすがに彼女の言葉を理解するのに時間がかかったが、ようやく思考が追いついてくれた。


「……えっと、どうして?」


 そう聞かずにはいられなかった。


「彼氏に家に泊まってほしいって思うことに理由なんかいる?」


 すがりつくような目をしながら、絢瀬さんがそんなことを言う。


「まあ、いらないことはないんじゃないかな」


 理由なんかないときの顔ではないのだ。相手は絢瀬さんなので危険とかはないのは分かっているが、何を考えているのかは気になる。


「……」


 言いづらそうにしていた絢瀬さんだったけど、俺が折れるつもりがないことを察してか溜息をついた。


「お昼にね、奏が面白いよって貸してくれた映画を観てたの」


 ついに語り出す。


「でもその内容が思いの外怖くてね、よくよく調べると普通にホラー映画だったんだ。今日の夜一人かって思うと心細かったの。佐古くん言ってたでしょ、何かあったらいつでも呼んでって」


 そういう意味ではなかったんだけど。


 あと奏の奴、何をしてるんだ。絢瀬さんホラー映画苦手だって知ってるだろうに。


「……だめ?」


 うるうると揺れる瞳を向けられる。

 そんな目をされたら、否、そんな目をされなくても断るつもりはなかった。


 ただ、理由が知りたかっただけなのだ。


「全然。そういうことなら」


 俺が言うと、彼女は安心したように顔を綻ばせた。


 そういうことで俺は家に連絡を入れる。何を訊かれることもなく了承された。


「お風呂、準備できたから先にどうぞ」


「よくよく考えたら着替えとかないんだけど」


 取りに帰るには時間が遅いしな。でも風呂に入らないわけにはいかない。


「新品の男性用下着はあるから大丈夫だよ。それにシャツも……一応あるから」


 それ父親のでは?

 という俺の考えをすぐに察したらしい彼女は慌てて訂正してくる。


「違うの。買っておいた新品が残ってただけで、別にあの人のとかじゃないしいつ佐古くんが来てもいいように買い置きしていたとかでもないから」


 情報が入り混じっていて、もうどれが本当なのか分からない。


「まあいいや。そういうことなら遠慮なく」


 風呂には入りたいしね。

 俺の後に入るのは嫌ではないだろうか、とも思ったけど先に入る方が嫌という可能性もある。

 考え出すときりがないので、絢瀬さんの言うとおりにしよう。


「……」


 彼女の家のシャワーというだけで興奮度がマックスまでぶち上がる。ここでいつも絢瀬さんは体を洗っているのか。


 彼女と二度目の夜。

 初体験は済んでいる。

 親がいない。


 これは二回目もあり得るのではないか?

 絢瀬さんはホラー映画を観て怖いからと言っていたけど、お泊りコースに突入した以上、そういう空気になるもんでしょ。


 そして、二回目を迎えるということはつまり未来へ帰るときがきたということだ。

 ここでの毎日が楽しくて、ついつい後回しにしていたタイムリープ。けれど、いつまでもしないわけにはいかない。


 覚悟を決めて帰るしかないか。


 もし仮に、未来で別の不幸が絢瀬さんを襲っていたとしても何度でも戻ってきてやる。


 気持ち的にはそうなんだけど、でもタイムリープの能力は確実に力を弱めている。

 もしかしたらこれが最後になるのかもしれない。


「……はあ」


 止めよう。

 考えたって仕方ない。

 そもそも、そういうことが起こらない可能性だってあるんだ。ならば普通に二人の時間を楽しむだけだ。


 お風呂を出る。

 用意されていたボクサーパンツを装着し、シャツとゆったりめの短パンを着てリビングへ戻る。


「あ、おかえり」


 リビングでは絢瀬さんが俺のために布団を敷いてくれていた。気になったのは布団が二つ並んでいることだ。


 その理由は確認するまでもない。


「えっと、だめかな?」


「ダメではないけど。わざわざ?」


 自分の部屋にベッドのがあるのに。

 しかしあれか、一人で寝るのが怖いわけだし、それだと俺が泊まる意味ないもんな。


「うん」


 小さく笑う絢瀬さんは僅かに頬を赤く染める。はにかむような表情に俺の心拍数が上がる。


「それじゃあ、私もお風呂入ってくるね」


「あ、うん」


 一人残された俺は布団の上に座ってぼーっとする。女の子のお風呂は中々に長く、俺はスマホを触って時間を潰していた。


 三十分近く経った頃、お風呂から上がった音がしたが、そこからもいろいろすることがあるのか長かった。


「お待たせしました」


 リビングに戻ってきた絢瀬さんは当たり前だけどパジャマ姿だった。

 スウェットとか、着古したシャツとかじゃなくて、ちゃんとしたパジャマだ。


 ボタンは上まで締めてあるものの、もともとゆったりするための服なので鎖骨は普通に見えている。

 体のラインもしっかり浮き出ており、普段ならば見ることのないこともあり、俺の興奮はさらに増す。


 それから二人で少し雑談を交わして、そろそろ寝ようかということになった。


 とくにそういった雰囲気にもならなかったので、そういうことなら別にいいかと、こちらからアクションを起こすこともなかった。


 あんな姿を見れば襲いかかりたくもなる。けれど、タイムリープすることを考えるとついつい躊躇ってしまうのだ。


 電気を消し、二人して布団に入る。


 布団の距離はゼロセンチ。ぴったりとくっつけられているのですぐ隣に絢瀬さんの存在を感じる。


 いつもならまだ起きてる時間なので上手く寝付けないでいると、俺の手に温かいものが絡んできた。


 絢瀬さんの手だ。

 俺は驚き、彼女の方を見た。


「……」


 すると、すぐ近くに彼女の顔があり、俺の方をじっと見つめていた。


 それがどういうことなのか、もちろん分からないはずがない。


 どうやら、これがこの時代で過ごす最後の夜になりそうだ。覚悟はしていたけど、やっぱり怖い。


 しかし、絢瀬さんの気持ちを無視するわけにもいかない。男ならばやるしかない。

 

 となれば、楽しまなければ損である。


 俺達はどちらからでもなく顔を近づけ唇を重ねた。触れるだけの優しいキスを数回。

 そのあと、お互いを求め合うように激しく舌を絡め合った。


 スイッチが入ったことは、とろんとした絢瀬さんの目を見れば分かる。俺がパジャマのボタンに手をかけてもそれを拒むことはしなかった。


 愛撫を重ね、念入りに彼女の体をほぐす。恥ずかしそうに身を捩り、色っぽい声を漏らす。


 今度は自分が、とでも言うように俺のモノへと手を伸ばしてきた絢瀬さんは優しく撫でてくる。

 そして、ごそごそと下半身の方へと移動し、それを咥えてくれた。上手くはない不慣れなものだったが準備をするには十分だった。


「えっと、ゴムは……」


「――ら」


 一応いつ何時何があってもいいように財布には忍ばせてある。それを取りに行こうとした俺の手を取り、彼女は何かを言ったが、声が小さくて聞き取れなかった。


「今、なんて?」


「……今日は、大丈夫な日、だから」


「……」


 その言葉はつまりそういうことだと思うんだけど、まさかエロ漫画でしか見たことないセリフを現実で聞くことになるとは。


 これまでタイムリープをするために何度もセックスを繰り返した。でもそのどれもが避妊具を装着したものである。


 俺は今日、初めて生を知る。


「ほんとにいいの?」


 俺が最後の確認をすると、彼女は無言で頷いた。恥ずかしいのか顔は真っ赤で、俺とは目を合わせようとしてくれない。


 俺は準備の整った彼女に重なる。これまでとは違う、直接的な刺激が俺を襲う。

 なんだ、これ。

 こんなのすぐに終わっちまうぞ。


 そんな考えがある一方、一つ思うことがあった。

 やはり、その瞬間にタイムリープが起こることはなかったのだ。


 予想通り最近起こる頭痛や視界の揺らぎはあったが違うことがあった。

 これまでは体を揺らす度に激しくなっていたその症状が、今回は最初からピークに達していた。


 ゴムがあるかないかで症状が変わるというのか? それとも、別の理由で?

 

 まるで高熱でも出したときのような目眩と頭痛に襲われ、俺は思わず表情を歪める。

 それを絢瀬さんに気づかれてしまった。


「……大丈夫?」


 繋がったまま、絢瀬さんは俺の頬に手を伸ばす。心配そうに俺を見上げる彼女の顔を見て、俺は見栄を張った。


「うん。ごめん」


 最後の夜なんだ。

 こんなところで終われるもんか。


 俺は気を取り直して激しく動く。彼女は漏れ出る感情を抑え切れず喘ぎ声を上げた。

 俺も、彼女も、ボルテージが高まっていく。


 そのとき、俺は違和感に気づいた。


 さっきまであった激しい頭痛や目眩が段々と収まってきているのだ。目の前の彼女への性欲がそれを忘れさせているのだろうか。


 いや。

 自分でも何となく気づいた。


 これまであった、意識の遠のく感覚が一向に現れないのだ。どころか、頭痛や目眩がなくなっていくと同時にそれも失われている。


 もしかして。


 いや、


 まさか。


 そんな考えを抱きながらも、俺達の行為はクライマックスを迎える。我慢の限界を迎えた俺は一度、絢瀬さんから離れようとした。


「……っ」


 しかし、彼女は俺の体を足でホールドし、手を首の方へと回して離れさせてくれない。


「ちょ、絢瀬……」


「キて!」


 頂点へと達した俺は、自分の全てを彼女の中へ放出した。初めての体験に俺も、彼女も言葉を失う。


「……」


「……」


 さっきまで激しい喘ぎ声があった部屋は、激しくなった息を整える声だけが聞こえる静寂に包まれていた。


 やっぱりだ。


 タイムリープが起こらない。

 発生の感覚が段々と遠くなっていくのは感じていた。


 タイムリープが発生するタイミングが遅れているのは、その機会があと僅かであることを示唆しているのだと思った。


 回数を重ねる度にそのタイミングは遅くなっており、俺はその考えが正しいことを確信した。


 こちらへ戻ってくる際に奏と体を重ねたとき、ついに行為の最後までタイムリープが起こることはなかった。


 けれど。


 まさか。


 最後のタイムリープが片道切符だとは思わないだろ。


「……佐古くん?」


「……大丈夫」


 絢瀬さんは俺の顔を自分へと近づけ、無理矢理に唇を重ねてきた。舌を侵入させ、絡ませてくる。


「まだできる?」


 俺を求めるその顔を見て、声を感じて、ぞわぞわと興奮がこみ上げてくる。


 難しいことを考えるのは止めよう。起こらないというのなら、今このときを全力で楽しむんだ。


「もちろん」


 ――。


 ――――。


 ――――――。


 その日を堺に、タイムリープが起こることはなかった。


 つまり、この時間がこれからも続くということなのだ。

 友達がいて、彼女がいて、そんな人達との思い出をこれからは共有することができる。


 その喜びを噛み締めながら、俺は毎日を全力で楽しんだ。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気づけばそんな日々を笑って振り返るような歳になっていて、


 それでも俺は……俺達は、幸せな日々を送っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る