閑話 かつての心、城島withカミナシ

 十一年前。

 とある居酒屋にて。


「城島教授、今日はありがとうございました!」

「礼はいい。私も久しぶりに息抜きができた。まあなんだ、歳が離れていても私たちは友人だ。これからもよろしく頼むよ」

「はい! お先に失礼します!」

「だいぶ酔っているな。帰り道には気をつけろよ」


 店を発った彼は二度と城島の研究室へ帰って来なかった。



 ・・・・・



 城島安吾はある大学で教授の職についている男だ。


 彼はその専門分野ではそこそこ有名な研究者で、だから三十半ばで既に教授の職を手に入れていた。

 そしてそれ以上に頭が狂っていることで有名で、だから彼の研究室は常に閑散としていた。


 頭が狂っているというのは彼のもう一つの研究。

 彼の主張では、半年前に起きた自殺事件が異次元からの侵略者によってもたらされたものだという。なぜこのようなオカルト話を生粋の研究者たる彼が主張し始めたのかは定かではないが、死亡者は彼にとって弟子であり友でもある関係であったそうだ。




「だめだ、何度試行しても辻褄が合わない。別次元からのエネルギーの流入なしには現場でのエネルギーの系が成り立たない。やはり何かがいるに違いないんだ…………」


 城島はパソコンと手元の資料の間で睨めっこをしながら、もう何度出たか分からないほど見慣れてしまった結論にたどり着いた。

 仮説が間違っているはずだ、と言われて試行錯誤すること一か月。より正確な値で求まる理論値はこの世のものをどうしても逸脱する。


 思考の沼にはまってしまい、それを紛らわせるための筋トレをして、結果家族の所にも帰らず研究を永遠と続けているのが城島安吾という人間だった。




 ノックの音がする。


「誰だ?」


 ノックの主は城島の許可も待たずに中へ入ってきた。


 白い髪が風に流れる。

 ハンドバッグ一つを提げた彼女の風貌に、城島は目を奪われた。


「お久しぶりです、城島先生」

「……? 私は君のことを知らない。……まさか、」

「まさか?」

「さては美人局的なやつだな。私と離婚するために浮気の証拠でも無理矢理作ろうと依頼されたのだろう。もう妻にも見捨てられたか。とうとう私もおしまいだな」


 疲労でネガティブ思考が加速する城島を見て、彼女は面白そうに笑った。

 そして、城島の目の前まで来てしゃがみ、目線を彼に合わせる。


「私の知るあなたはこんなに愉快な人ではないですよ。そうだ、せっかくですから、ちょっとお話ししましょうよ」


 彼女はハンドバッグから缶ビールを三本取り出した。




 城島はすっかり酔っていた。

 睡眠薬でも入れられていないか警戒すべきビールを、彼はもう二本も飲み干した。

 さすがにそれを手渡した彼女も呆れてその様子を見ている。


「……うまいな。私は生まれてこのかた、酒は飲んだことがないのにな」

「あなたが好きそうなのを選んできましたからね。ほら、パーッと酔って楽になってください。男ならイッキで」

「よし、やってやろう!」

「ちょ、ちょっと待った。冗談ぐらいわかるでしょう」


 ご機嫌な城島は彼女を終始翻弄していた。


「――――これは、重症ですね。私は酔っ払いの相手は好きではないのに」

「君は飲まないのか?」

「飲んでも酔えないので。ウイスキー一瓶飲んでも醒めたままです」

「ほう、たいした酒豪だな」

「だから、酒飲みではないんですよ」


 彼女はそう言うと、缶を一本開けてたちまちに飲み干してしまった。


「ほらね、味がしない」






 城島は酔って机に突っ伏したまま彼女に問いかけた。


「そうだ、結局どうしてここに来たんだ? 若者の時間は貴重だろう。こんな場所でつぶしていいものでもない」

「私の時間にそんなに価値はありませんよ。私はね、見た目以上に年寄りですから」

「具体的には?」

「人類の倍以上、とでも」

「それは凄いな」


 城島は思考があやふやで、彼女の言葉を半ば冗談として捉えた。


 彼は自分の机の下を指して言う。


「今日はもう遅い。私は酔って体が重いから、そこの鞄の中の財布から紙幣を何枚か抜いて帰ってくれ」

「おっと、私を帰らせたいならそんな端金はしたがねでは足りませんね。もっと払うものがあるでしょう」

「無茶苦茶を言うな」


 城島の前に書類が差し出される。

 金に関わる書類かと思って見て、城島は目を丸くした。


 声にならない声を振り絞って彼女に問いかける。


「こ、これは、私の論文だ」

「そう、『人類に対する災害、月晶体について』。『魔装』の方も持ってきました。これ、大変だったんですよ。何せネットで検索して出てこないので。入手にかなり手間がかかりました」

「当たり前だ。信用できる人間にしか見せていないからな」

「あら、それは残念。誰か裏切りましたね」


 彼女はさらに水晶球を取り出して見せた。

 内部では液体のような固体のような何かが蠢いている。


 城島はそれに恐る恐る手を伸ばし、その奇妙な様子を凝視した。

 明らかにこの世のものではないもの。

 城島が求めていたものだった。


「これか、私が探していたのはこれなのか」

「そうですよ。だから――――」


 彼女は手の中の球を上に投げ、右手でそれを払うと球は消え去った。

 彼女は唖然とする城島に続けて言う。




「――――共に進みましょう。楽園へ」










『――――次は、――――お出口は左側です』


 電車のアナウンスで目が覚める。

 窓の外は暗い。


(……眠っていたのか)


 城島はどうやら満員電車の中でつり革を持ったまま立って眠っていたらしい。


 不用心だなと、思いつつ横を見れば、同じように不用心そうな女性のスカートの中に、後ろから男性がスマホを差し込んでいた。




「おい」

「っ!」


 男性がシャッターボタンを押すのを待ってから城島は彼の手を掴み上げた。


「なんだよ!」

「は? お前こそなんだ?」

「ヒッ」


 城島は災害殲滅隊という組織の司令官で、国で一番優秀な魔装使いだ。

 屈強な肉体と猛者の雰囲気は、その男性を即座に委縮させた。


 女性も事に気づいて、慌ててスカートを抑えると城島に助けてもらったことにも気づいた。


「あの、ありがとうございます」

「礼はいい。証拠はこいつのスマホの中だ。駅員に突き出せば後はなるようになる」


 城島は感謝を適当に聞き流して、また元の場所でうつらうつらとし始めた。




 女性と降車駅の同じ人に役目を引き継ぎ、城島は一息ついた。


(昨日は痴漢冤罪から助けて、今日は盗撮犯を現行犯逮捕。世も末だな)


 城島は今日も国民の平和のため、任務地へ赴く最中だというのに、守られる側の国民の醜態を目の当たりにして気分が少し悪くなった。

 人間の愚かさなんて今更気にするまでもないが、他人のそれを見るとまるで鏡に映った自己の内面を見ているようで、自己嫌悪が湧いてくる。

 妻子を捨てて彷徨う自分の愚かさを。




(こういう時、彼女ならどうするのだろうか)


 城島は今でもカミナシとの初対面を覚えている。

 彼女は美麗で、愉快で、老獪だった。


(もし死ぬ時が来たら、彼女の手で死にたいな。彼女ならうまくやってくれる)


 城島はビル壁面のガラスが映す太陽に希望を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔装と月の殲滅戦 塩の結晶プロジェクト @saltproject

作家にギフトを贈る

応援ありがとうございます。 番外編SSなどご要望ありましたらお応えします。
カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

サポーター

新しいサポーター

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ