閑話 鏡野靄と海瀬叶深の休日

 しばし時は遡る。








「靄さん、私とお出かけしない?」


「? 海瀬さんが、私とですか?」


「うん。私、車の運転できるから、好きなところに行けるよ」




 靄と海瀬がちょうど二人だけでいた時、海瀬はそう靄に持ち掛けた。




「いいですけど……どうしてですか?」


「私、友達少ないから仲良くしたいなって思って。災害隊は女性の割合そんなに多くなくて、月装研はそれが特に顕著だし……」


「確かに」




 海瀬の言うことは紛れもない事実だ。


 元々組織の立ち上がりがほとんど男性で、しかも、求人は大っぴらにはできないので隊員が人脈で拾うしかない。そうなると、必然的に割合が偏ることになる。


 それで何か不利益があるのかというとおそらくないが、海瀬みたいに気にしている隊員は多い。




 ところで、海瀬にはもう一つ別の思惑もあるようだった。




「……それに、実は、お出かけの口実が欲しかったり……」


「ああ、そういうことですね」




 気の弱い海瀬のことだ。


 大方休みを取りづらいのだろう、と靄は考えた。




「わかりました。行きましょう」


「わぁ、ありがとう!! 靄ちゃんって呼んでもいい? 私は叶深かなみでいいよ」


「じゃあ、私は叶深かなみさんって呼びます」




 海瀬がニコニコするものだから、靄まで頬が緩む。


 私が友達にならなきゃ、と靄は自分も友達が少ないことを棚上げして決意した。




 靄はまだ高校生で、海瀬はもう成人済みかつ大学を出た社会人のはずだが、二人は性格的に意気投合した。






 ・・・・・






 まず、二人は靄の行きたい場所へ向かった。




 靄が海瀬に連れてきてもらった場所は都心から離れた場所にある病院だった。


 周囲を森に囲まれている辺鄙な場所にあるが、実は災害殲滅隊とも関係がある。




 魔装は精神と深く繋がっており、精神は魔装と独立しているといえども、戦闘を続ける中で精神の摩耗は避けられない。


 それに、ただでさえ危険な仕事であるので、何かの拍子に精神を壊すものも少なくない。




 また、隊員でなくともその家族がショックで入院する場合もある。


 靄の母親もその一人だった。












 靄は病院のエントランスで受付をした後、面会まで海瀬と座って順番を待っていた。




「えっと……靄ちゃんの母親って……」


「叶深さん、遠慮しなくていいです。……私の母親は父親の死をきっかけに精神を崩して、それからずっとここで療養してます。主治医の先生からは『いつか必ず治る』と言われてますが、多分治りません。だって、死んだ父親は帰って来ませんから」


「そんな……」


「第四十支部からここまで来るのは大変なんで、最近は来る回数を減らしてたんですけど、海瀬さんが連れてきてくれるって言うんでお願いしました」


「私でよければいつでも頼って!」




 靄は海瀬の申し出をありがたく思ったが、受けられなかった。




「……ありがとうございます。でも、ダメなんですよ……」








 自分の順番が来た靄はすぐにエントランスから奥に進んだが、それから数分ほどで戻ってきてしまった。




 海瀬はあまり靄が早く帰ってくるものだから驚いて立ち上がったが、彼女の酷く落ち込んだ顔を見て言葉が出なかった。


 そのまま靄は重い足取りで病院を出てしまったので、海瀬は我に返ると急いで彼女を追った。












 沈黙の降りている車の中で、海瀬はまだ靄に声をかけることができないでいた。




 病院で何があったかは想像に難くない。


 数分で面会が終わるはずもないので、面会はできずに終わったのだろう。


 それにしても、靄の落ち込み具合は異常で、海瀬は帰路のどこかで事情を尋ねようとタイミングを伺っていた。




 そうしていると、前方に休憩所が見えてきた。




「靄ちゃん、ちょっと寄っていかない?」


「……どうぞ」




 海瀬はソフトクリームの看板を見つけ、そこで休みがてら靄に話してもらおうと決めた。








「――――それで、『もう来なくていい』って?」


「はい……」




 靄の母親は精神に異常をきたしてはいるが、普段は常人のそれと変わらない。


 問題は靄が関わった時。




 靄という名前、彼女の顔写真や映像、それらを靄の母親が見聞きすれば、たちまち彼女は発狂して取り押さえる羽目になる。


 さらには、彼女の夫、つまりは靄の父親が魔装使いであったからか、どうやら彼女は第六感が鋭敏化しているようで、彼女は靄が近くまで来ただけでも苦しむようになってしまった。




 誰だって十六歳の少女に親と会うな等、言いたいはずもない。


 だが、止めさせなければお互いが苦しむことになる。


 彼女らと長く付き合ってきたベテランの主治医は、今の靄なら受け止められると判断し、彼女に厳しい宣告をしたのだ。




「それで…………どうするの?」


「……止めます。もう会うのは、今日が最後にしようかと」


「……いいの?」


「じゃあ、どうすればいいんですか!?」


「えっ…………ごめんなさい」




 靄の内心は荒れている。


 椅子に座ったってソフトクリームを呑気に食べる気にはならない。


 靄のソフトクリームは春の陽気、あるいは初夏の風に煽られてもう溶けだして、コーンから今にもこぼれ落ちそうになっている。




 靄の感情は爆発寸前だった。








 時が解決してくれることは数多くある。


 人間同士の間のわだかまりもその一つだ。


 そして、両親ともうまともに会えないという筆舌に尽くしがたい感情すらも。




「…………叶深さん、せっかく連れてきてもらったのに、すみませんでした。お休みが台無しですよね」


「いいよ。私がちょっと甘く見過ぎてた。ごめんね、靄ちゃん」




 ソフトクリームは二人の胃袋に収まって、その糖分は多少は二人に元気を戻した。




 静かにしていれば冷静さが戻り、今度は沈黙が気まずくなる。


 海瀬は仄かな罪悪感を感じ、靄はそれに対してさらに罪悪感を覚える。


 罪悪感スパイラルに陥るのを止めたのは二つの通知音だった。




「同時…………なんだ、ヨオスクニか」


「今は昼前ですよ」


「確かに」




 原因はすぐに分かった。


 どうやら、大規模な探知を行って、潜伏中の『偽装』持ち月晶体ルナモルファスの居場所が一気に明らかになったようだ。


 まだ昼の余裕のある間に片づけておきたいのだろう、二人の所まで通知が来たわけだ。




 だが、靄は首を傾げた。




「私、今は任務を受けられないのに……」


「……ん? 受けたいの?」


「もちろん。私の魔装はちょっと特殊で、一部が使えなくても普通に戦えるんです」


「へぇー…………私が受けようか?」


「お願いします!」




 海瀬は靄のやる気に関心しつつ、少し引いた。


 海瀬も大概ワーカホリックだが、決して戦闘狂ではない。休みの時に任務を受ける考えを理解できないことはないが、積極的に賛成もできなかった。




「それより、なんで叶深さんにまで通知が?」


「えっ、その……あの……じ、実は私も……魔装使いだったり……」


「……えっ」




 靄はそのカミングアウトに衝撃を受けた。




「ちょっと、なんで驚くの!?」


「いや、それっぽくはないなって。……魔装は銃型ですよね」


「すごい! なんでわかったの?」


「…………性格」


「酷い!?」




 銃型の人間は大抵今一つ勇気に欠ける。


 司陰然り、海瀬然り。


 もっとも、海瀬は司陰と違って任務は全く受けていない。




 海瀬は思わず反応したが、彼女だって自分の弱さは自覚していた。


 任務を受けていないことで、咲田隊長に会うことはすごく気まずいことになっているが、それでも月装研と第二隊の橋渡し役をしているのは、ひとえに彼女が魔装使いたる心を失っていない証拠だった。












 任務地点は小さな変電所の中。




 電力会社の人がわざわざ待機していて、とても不思議そうな顔をしながらも、彼女らのために中に通してくれた。


 月晶体ルナモルファスはしばしば意味不明な場所に隠れるもので、どこかと思えば変圧機器の陰に潜んでいた。




『偽装』以外に特筆すべき点もない、推定Dランクの月晶体など靄の敵ではない。


 忍び寄ってきたところを【熱供の短剣】一振り、それですぐに月晶体はただの塵となる。




「終わり」


「……すごい」


「これぐらいは何もすごくないです」


「靄ちゃんにとってはね。……私には靄ちゃんが雲の上の人に見えるよ……」




 靄にとっては雑魚のDランク月晶体も、海瀬にとっては違う。


 多くの災害隊員はDランク月晶体との戦闘を命懸けだと考えている。




 慢心は命取り、油断は大敵。


 されど、本当の強者というものは存在する。








「あっ、私が任務受けたら、報酬が私の口座に入っちゃう!?」


「今気づいたんですか……」




 海瀬は変電所を出る前に重大なことに気づいた。


 意図していないとはいえ、給料泥棒はよくない。




「ごめんなさい! 後で振り込んどくから!」


「いいですよ叶深さん」


「でも……」


「私、お金に困ってるわけではないんで。今日、一緒に行ってくれたことへの私からの感謝です」




 靄が少し照れ臭そうにそう言うのを聞いて、海瀬は感極まった。




「わかった! じゃあ、この後のお昼ご飯は私のおごりで!」


「なら、高級なところにしましょうか」


「そうしよう!」


「…………それと、叶深さん。また、一緒にお出かけしましょう」


「もちろん!」




 海瀬の快活な笑みは靄にも笑顔をもたらした。








 この一日で、靄と海瀬は友となった。

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