四十六話 今を留めて

「交換生が攫われた?」


「はい。昨夜十時頃、Cランク任務終了後に鏡野小隊に随伴していた交換生が人間の集団によって攫われたそうです。謎の勧誘を断った結果だったと報告されています」


「勧誘……きな臭いわね」




 災害殲滅隊本部第二隊ビル。


 その中の大隊長用の部屋で書類仕事を片づけていた咲田には寝耳に水の報告だった。


 今までに魔装使いが一般人によって危害を加えられたという報告は少なくとも公式にはない。


 それなのに、よりにもよって交換生が攫われた。




「アステ……苗字なし、ね。こちらも匂うけど、【グレイブスピア】、腕の立つほうの人間でしょう。なぜ攫われた? そして、この人間たちは一体……『同化』、あるいは『吸血鬼』? ならヨオスクニで補足できないのも納得できる……」


「隊長、指令室に回しましょうか?」


「いや、私が一度調べて、分析結果を報告しましょう。あなたは職務に戻りなさい」


「了解」




 退出する部下の背中――――耐爆灰色コートは着ていない――――をいつもの釣り目で見送って咲田は考え込む。




『同化』の件は既に解決済みだ。


 城島朱柚へついた『同化』は制御権を完全に朱柚に奪われ、しかも現在は鏡野小隊によって観察保護下にある。彼女に埋め込まれたマイクロチップが彼女の生存を伝える限り、分裂できない『同化』は新たな宿舎は見つけられない。また、『同化』はアメリカ経由でイギリスから直送された正式な荷物で、個体数は一つで間違いがない。


『吸血鬼』の可能性。


『同化』の輸送元のイギリス、アメリカ、どちらでも『吸血鬼』が拡大しているそうだ。血液を媒介に分裂して数を増やす『吸血鬼』なら一体すり抜けただけでも被害が拡大しかねない。増えた『吸血鬼』が今回の事件を起こした可能性は高い。


『寄生』の線もあるが、あれはもはや『同化』の完全下位互換なので可能性はゼロに等しいだろう。そもそも第四十支部管轄での発生確認依頼報告が……。




「……鏡野小隊の元管轄区域。可能性はゼロではない……のでしょうか。それにしても、手がかりが少なくて、うまくいきそうにないですね。交換生の身になにかあれば国際問題にもなります。ここは月晶研の協力を仰ぎましょうか……」




 現在朝七時。


 夜任務から帰って来て咲田は眠気をかみ殺して机に向かっていた。


 視線の先には水色のコート、特注の耐衝撃コートだ。




「仮眠してからでもいいのですが……一度体を動かしたら眠気も醒めるでしょうか」




 咲田は大きく伸びをして立ち上がり、薄着の上にコートを羽織る。


 そうして部屋を出る前に、机の隅に置いてある瓶を掴んで胸元で抱いた。


 瓶の中にはしおれた桜の花びらが二枚封入されている。




 咲田は瓶に向けて語りかけた。




「鏡野隊長、私、行ってきますね。人類を守るため、そしてあなたの家族を守るためです。あなたが散々馬鹿にしていた私の胸も、今は少しは大きくなったんですよ。女性らしさ、ですか。ふふっ、どうせあなたは私には振り向かないでしょうけど。既婚者でなければ夜這いでもなんでもしましたよ、あなたのためなら。一生に一度のお願い、「一生一緒に走ってください」とでも言えばよかったです。…………未練がましいですね、鏡野隊長、それでは、行って参ります」




 バタンと扉の閉じる音。


 机の上の花びらは干からびて、当時の色はもはや窺い知ることはできない。






 ・・・・・






 災害殲滅隊の隊員用の車、つまりは公用車。


 その車内の助手席には水色のコートが、運転席にはそれを脱いだ咲田、後ろの席には司陰と靄が座っていた。




 現在移動中、目的地は国立月晶体研究所。


 鏡野小隊の報告を受けて咲田は二人を連れて『吸血鬼』に対する情報を得に月晶研に向かっていた。




「咲田さん、本当に俺たちがついて行っていいんですか?」


「あなたたちは当事者でしょう。それなら、ある程度知っておかないといけないこともあります。真賀丘さんから情報はもらってないのですか?」




 咲田はしれっと探りを入れた。


 それに靄が答える。




「最近は連絡とってないですよ。『影入銃士』以降Bランク任務も受けてないので、オペレーターとして会うこともなく」


「他には?」


「変わったことといえば第二隊の大隊長によく会うことですね」




 咲田は苦笑した。




「ごめんなさい。最近の事案があなた達と関連がありすぎて無視できないの。城島先生も入院中ですから。働きすぎて眠いくらいです」


「えっと……なんかすみません」


「謝らなくてもいいです。気にかけてるんですよ」




 咲田の行動は城島に命令されたものばかりではない。


 それが咲田の心情の表れだった。












 国立月晶体研究所の藤上研究室。


 他の研究員が居ると話しにくいということで杏西研究員が別室へ通した。




「咲田さん、お久しぶりです。お二人も」


「ええ、久しぶりです。そちらも忙しそうなので、単刀直入に話しましょうか」




 間をおいて藤上も中に入ってくる。


 忙しいはずの彼は元気そうな顔色で、咲田とは正反対だった。




「藤上さん、お久しぶりです」


「こちらこそ。何か用件が?」


「はい。『吸血鬼』に関する情報をもらいたいのです」


「なるほど、ヨオスクニでアクセスできない情報を、と」




 藤上は得心が言ったように手を打って、棚からファイルを一冊取り出して見せた。




「これは僕がイギリスの研究所で今年の四月にもらってきた研究データです。英語で書かれているので僕が読みます。欲しい情報は?」


「そうですね、まず『吸血鬼』の特徴から」


「それはだいたいヨオスクニのデータベースにあるような……。『同化』と同じで元になる月晶体がいます。それが人間に血を通して全身に巡り、脳に入って乗っ取ります。『同化』との違いは分裂能力があって感染することですね。向こうの研究データではあくまでも血液に混ざっているのが本体、とあります。つまり、倒すなら全身を潰せということかな」




 全身を潰す。


 想像して司陰の顔色が悪くなる。


 その一方で、気丈な靄が疑問をぶつける。




「『同化』は意識の乗っ取りがないんですか?」


「感染の有無以外は『吸血鬼』と『同化』は一緒です。城島朱柚に浸食した個体は未公開の自我排除手術が行われた、そうです」




 自我排除手術。


 司陰の顔色がペールブルーになる。




 隣の杏西が事情をすべて知っていた藤上に疑惑の目を向けるが、藤上は一瞬目を向けただけで続けた。








「他には?」


「私から最後に。今の『吸血鬼』拡大状況はどれほどですか?」


「それは昼片に……あれ、咲田さん昼片と喧嘩してました? 彼、旧月装研メンバーだったような」


「いや、私もそんなに命知らずではないです。災害隊の人事権を握っていた人ですもの」




 会話の内容が気になる司陰靄杏西三人だが、静かに耳を傾けていた。




「意外……」


「何がでしょう?」


「いや、鼻の利くあなたにしては珍しいと思って。それより、その情報なら昼片か、あるいは城島さんが知ってますよ」


「ありがとうございます。本当にあなたは顔が利きますね」


「月晶体研究は本業ではないので。それに、彼とは昔からの知り合いなだけ。僕がここにいるのはある意味彼のせいです」












「咲田さん」


「どうかしました?」




 城島が入院中の災害隊用病院を目指す途中の車内。


 そこで司陰は尋ねた。




「昼片さんって誰ですか? 話からして上の人のようでしたけど」


「それも……まあ間違いではないですね。彼は城島司令と共に災害殲滅隊を立ち上げた人物です。あなたのよく知る真賀丘、そして月装研の双木や井倉も彼の推薦で入隊したはずです。さらに言えば、大隊長の指名も彼がしてます、司令部の人選も」


「はあ…………」




 司陰の認識では災害殲滅隊は警察クラスの国家組織である。


 そこにそれだけの影響力があることが想像がつかなかった。




「ちなみに、あなたたちの本部転勤もおそらく彼の意向です。意図は不明ですが」


「えっ」


「第二隊の大隊長である私に話がありませんでしたから。司令の指示でなかったので、それができたのは彼か内閣総理大臣だけです。答えは明らかでしょう?」




 そこまで聞いて靄が顔を乗り出した。




「あの、普通、会ったこともない人間にそこまでしますか? 実は全部大隊長が――――」


「私はしません。第四十支部の穴埋めに笹池小隊長がどれだけ苦労したかあなた達は理解していますか?」


「あ……すみません……」




 笹池を思い出したのだろう、落ち込んだ靄に優しい声音で咲田は語った。




「あなたたちは会ったことがないと思っているんですね、昼片さんに」


「「はい」」


「……そうですか。……これは真賀丘則人から聞いた話ですが、少なくとも押山、あなたに彼は会っているそうですよ。しかも四月、あなたの入隊以降に」

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