四十五話 血を零す
暗い部屋の中。
窓はなく、家具もなく、あるのは鉄の扉のみ。
天井には小さな電球、床は傾斜して端は排水口になっている。
駅で鎮圧された男は気づけばここにいた。
彼はそれまで意識を失っていた。
「……ここは?」
「あなたの家ですよ。あるいは墓場」
ハッと声の方を振り返れば扉の前に立つのは灰色のコートを纏った人間。
怯えた様子の男に彼は問いかける。
「正しく答えてください、そうすればあなたは元の家に帰れる。『吸血鬼』、聞き覚えは?」
「…………」
男は震えて黙秘した。
霞は確信し、彼の運命を笑った。
「どうやら聞き覚えがありそうだ。それに、血色の悪さと体温の低さ、あなたは人類に仇為す敵か。それならここがあなたの墓場です」
「違う……」
「何が?」
「違うんだ! 俺はただ誘われて、終わって疲れて眠って、気づいたら……」
「因果関係は問うていません。結局あなたは月の輩になった、処分が妥当です」
霞の冷めた目に男は後ずさるが、必死になって弁明を続ける。
「待ってくれ! 何が気に食わなかった? 謝る!
「んん? 彼らは私に関係ありませんけど。どちらかといえば、あなたが間抜けでしょう。これではせっかくの『偽装』も台無しだ」
「頼む、家に帰らせてくれ。じゃないと殺される……!」
男は縋り付こうと霞に這って近づいた。
そして、彼を支える左手が弾けて血しぶきが舞った。
骨の残骸が床の血だまりに沈む。
「ああ、ギャアァ――――ゴフッ」
「叫ばないでください。この部屋響くんです」
男のお腹に見えない何かが当たって内臓ごと潰れる。
霞は自身の銃型魔装に飛び散った血を拭い、再びそれを男へ向ける。
男は死に物狂いで後退するが冷たい壁が行く手を阻む。
「最後に一つ聞いておきましょうか。あなたに接触した人間の容姿、年齢は?」
「わ、わからない!」
「はあ?」
「覚えてないんだ!」
男の顔は本気。
まさか自分の命で賭けはしないだろう。
情報がないなら霞にとっては用済み。
「捨て駒か、敵も狡猾だ……。さようなら、『吸血鬼』がもう少し体に馴染んでいたら抵抗もできたでしょうに、哀れなことだ」
「お願いだ、情報は全部話す……」
「知っていますか? 死人の脳から情報を読み取る魔装があるんですよ」
「ああ……」
「来世では人として死ねるといいですね」
血潮は排水口に流れ、頭蓋、肉塊、そして骨がその場に残された。血中の透明な液体は既に空中に溶けて消えた。
「やはり『吸血鬼』ではないですか。よくもまあ命乞いができたものだ」
霞は全身に返り血を浴びながら狂気を楽しむ。
「血の温かさ、鉄の匂い、肉の崩れる音。どれも月晶体にはないものだ。とてもいい。殺人でない殺害、これこそ魔装の存在意義でしょう」
魔装使いには狂気に侵されて精神が変じる者がいる。
正気と狂気の同居状態。
それが霞和斗だった。
・・・・・
夏休み。
月日高校特別クラスに与えられた一週間の休暇。
短すぎて未雨は「ないほうが精神的に楽」と言っていた。
靄は任務に集中するそうだ。
短い期間でも修練になるから、と彼女は未雨と継琉を誘っていたが、あっさり断られていた。
ちなみに司陰は強制参加。朱柚は「頑張れ」と他人事。
しかし、最終的には参加人数は三人になった。
アステ、彼女は任務への参加を望んだ。
都内では家族連れに人気なことで知られる公園。
夜のそこは今警戒態勢をひかれていた。
『――――そう、許可は私から出しました。ただし、特別な配慮を。アステ、彼女は災害隊の人間ではありませんから。ヨオスクニ等、機密は保護するように』
「ありがとうございます」
『ところで、なぜ押山隊員、あなたが私と話しているのでしょう? 小隊長はどこへ?』
「えっと、人払いに忙しそうでして」
夜の公園、人は少ないが無人ではない。
建物がない分視線が通り、そのため人払いには気を抜けない。
電話の向こうの咲田は人手不足を嘆息すると、司陰に伝言を託した。
『本当は私が言うべきことではありませんが……任務中、一般人が近づいてきたらすぐ取り押さえなさい』
「えっ? 災害隊員でも一般人への危害はご法度では?」
『何事も例外はあります。あなたの身近にもいるでしょう?』
咲田は明らかに朱柚を指して言っているようだった。
「……気を付けます」
『あなたは小隊長の参謀的立場でしょう。なら、彼女以上に用心していなさい。……災害隊
も一枚岩ではありませんから』
警告音。
歪みは司陰の身長の三倍ほどの高さ。Cランクとしてはかなり大きい。
兆候波から出現波まで五日で『偽装』はなし、今時珍しい正当な
「司陰君、手筈通りに」
「了解!」
「アステは待機」
「オッケー」
開幕から【紺黒の銃】の弾幕だ。
弾が貫通した後の穴はすぐに塞がるが、かなりの体積を削り取っている。
背後の木がハチの巣にされて軋んで倒れると同時に、出現の勢いが激しくなった。
司陰の出番は一旦終了である。
「交代!」
「了解!」
司陰は最後に炸裂弾を月晶体の足元にお見舞いしてから下がる。
爆風と煙をかき分け月晶体から透明の手が伸びる。突起も指もなにもないただの棒だがしなりながら司陰のいた場所を叩いて地面ごと抉った。
司陰への攻撃は靄によって中断される。
放射攻撃、公園を眩い光が覆って月晶体は中心部をごっそりと失った。
いまさら靄を脅威存在と認定するがもう遅い。
「終わり!」
靄が二回目の放射攻撃を行おうとしたところで月晶体に異変が生じる。
「靄さん『自爆』です!」
「わかってる! 止めて!」
公園のど真ん中で自爆されては流石にたまったものではない。
まして司陰も靄も耐衝撃コート、重く厚いくせに耐爆コートと違って『自爆』に耐性がない。
司陰が【紺黒の銃】を一度降ろして晶化銃で敵の支持部分へ二発弾を撃ち込み、続けて魔装で砕いて月晶体を地に落とす。
高エネルギーの収束は止まらないが、月晶体は固化して自ら的になった。
地面へ高さ一メートルで広がったホットケーキのような月晶体。
薙ぎ払えばすべて蒸発する。
「今です!」
「いくよ!」
司陰が飛び退いたのと同時、エネルギーを与えられた粒子、あるいはエネルギーそのものが空間を横薙ぎにする。
熱刃攻撃、焼かれた月晶体は『自爆』の前に砕けて散った。
ヨオスクニに任務完了報告をして、それから帰宅。
その時、司陰が先に、続けて靄が異変に気付いた。
「囲まれている?」
「確かに……でも、人間だね」
ヨオスクニに表示はない。
探知できないものはヨオスクニには映らない。
だが、雰囲気は異様だった。
不安を隠して司陰は靄に尋ねた。
「どうします? 強行突破してもよさそうですけど」
「それもよかったんだけど、止めたほうがいいかもね。アステ、彼女がいない」
「えっ、あれ、さっきまで」
慌てて見回しても近くには見当たらない。
焼き切られて折れた木が横たわっていたりもするが、血の匂いはしない。
いや、血の匂いが僅かにする。
徐々に距離を詰めてくる人の輪にその匂いの発生源はあった。
姿を見せたのは一人。
暑さ故かラフな格好の女だった。
その腕のうちにアステがいなければ気にも留められないほど普通。顔を隠す気もなければ体を保護するものもない。アステの首に当てているナイフがおそらく唯一の凶器。
あからさまに怪しかった。
女は被った帽子のつばを上げて特に感情の感じられない声で話した。
「この娘を解放してほしければついてきなさい」
沈黙が訪れる。
靄は様子をうかがっており、司陰もここでついていこうとは思わない。
アステは脅されているのか、何も話そうとしない。
ただ、目で何か――――救出の願望の類――――を訴えている。
しばらくその沈黙が続いた後、靄がまさに助けにいこうと動いたとき。
「止まりなさい」
「靄さん、」
女は靄を制止した。
司陰はそれを無視しようとした靄を止めた。
ナイフの当て方、人質の扱い、どれを見ても女は素人のようだ。ただ、二人を囲んでいる誰かも素人であるとは限らない。
任務についてきたのはアステだが、命には細心の注意を払う必要がある。
自分たちが国際問題の火種にはなりたくないというのは司陰の偽らざる本音だった。
案の定、女は腰のペットボトルへ目線を誘導し、また感情のない声で告げる。
「これは月光火薬、この量でもこの公園を更地にできる」
女の言ったことは本当かどうか分からない。
靄曰く、「あれはただの小麦粉に見えた」、司陰も月光火薬は初耳だが靄の視力を信用した。
後で公園に残されたペットボトルを調べてもらうとやはり小麦粉だったようで、それを聞いて靄は珍しく苛立っていた。
結局、あの場では判断しかねた。
何の因果か、
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