十三話 駅地下戦
深夜、第四十支部と第三十九支部の間の公園内。
一人の人間が居た。
白く長い髪が特徴の若い女性だった。
公園のベンチに腰掛けながら缶コーヒーをちびちびと啜っているようで、誰かが見ればすぐに何か事情があるのかと疑われる様子だった。
その公園に一人の人間が入ってきた。
灰色のコートを着た男性で、右手は武骨な籠手で覆われている。
男性はゆっくりと女性の方へ足を進める。
女性は気にすることなく缶コーヒーを啜り続けている。
とうとう二人の距離はわずか二メートルまで縮まった。そして女性は仕方なくという風に口を開いた。
「何か?」
「……いいえ、どこかでお会いしたことがあると思ったのでね。ですが、人違いだったようだ」
「そうですか」
それからしばらく沈黙が続く。
そして、それを破ったのは男性が予備動作なしに繰り出した右の拳だった。
たった二メートル、籠手に覆われた拳は一瞬でその距離を詰め、女性の居る空間を普通の人間ではありえない破壊力で圧壊した。
普通の人間ならミンチになるが、土煙が晴れればそこには血もなにもなかった。
コートの男性が油断なく辺りを見れば、白髪の女性は公園の真ん中に立って粉々になったベンチを見ていた。
「ちょっと、酷くない? 無罪の民間人に暴力を、ましてや魔装を使うなんて許されないよ? しかも公共物まで破壊して。災害隊だからって何をしても言い訳ではないんだよ?」
「無罪の民間人、ならな。お前が言うな犯罪者。ここで何をしている?」
「厳しさは相変わらずだね。別に私がここで何をしていようと勝手だろう? 君たちと違って私は何も壊していないよ?」
白髪の女性があまりにもうざったく話すもので、コートの男性は思はず舌打ちした。
同時に、あの不意打ちが決まらないなら有効打はない、そう分析してあのふざけた態度を改めさせる策を練る。
「そんなことをしていると――――」
「あっいけない。そろそろ時間だ。それじゃあ、またね」
「あっ、待て! 逃げるな!」
逃走を図る女性を男性は止めようとして駆けだすが、すかさず女性はなにかを素早く男性に投擲した。
爆弾、あるいは毒物ならそのまま突っ込むわけにもいかず、男性はそこで一度コートでそれを防いだ。
コートで防がれた何かがカランと音を立てて地面に落ちる。
再び見れば、もう女性はそこにはいなかった。
地面に落ちたのは缶で、黒い液体が飲み口から溢れていた。
「なんであいつがここに……何が狙いだ? ……いや、本当に意味がないのか、それとも…………」
・・・・・
「改めて確認すると、Bランクは一か月前、Cランクは三日前、Dランクは一日前に兆候波が観測できる、これはいいね」
「はい。その討伐任務がそれぞれ支部の担当区域に割り振られて、それを行うのがヨオスクニというシステムですね」
「そう。で、任務の量が多いとか、学生であったり負傷だったり任務の量に限界がある時は、隣の区に任務が回るの。今第四十支部を助けてるのは、私が元々いた第三十九支部だね」
「古巣ですか」
「戻ることは多分ないけどね」
司陰と鏡野が話している場所は高校への通学路。二人とも制服を着ていて見ればすぐにそうとわかる。
学校での絡みがない二人だが、登校中はこうして話しながら登校している。もちろん、災害隊に関係ない話題もする。
帰りも待ち合わせをするのは気が引ける、ということで行きの道だけが彼らの雑談場だ。もちろん、支部に帰れば一つ屋根の下ではあるが。
「ちょっと
「あ――、この前の電話の。今度会ったら謝らないと」
「この前はすぐ帰っちゃったからね。まあ、必然的に会うだろうからその時はね」
人と話す時間は体感短く感じる。
話し相手が自分と親しければ親しいほど。
「じゃあ、ここらで。また放課後」
「はい、また」
信頼の醸成、それは長く過ごせば自然に起こるもの。
二人の隙間は着実に埋まってきている。
「押山、ちょっとこい」
「……はい? えっと、わかりました」
日は昇って今は昼休み。
先生に呼び出されることはなくはないが、司陰に心当たりはない。
教室を出れば鏡野が待っていて、どことなく彼女には落ち着きがなかった。
彼女の普段を知っている人間が見ると、明らかに何かあるとわかる様子だった。
「押山に何か用事があるらしい。教室を尋ねられたから連れてきた。知り合いか?」
「はい、そうです」
「そうか。それじゃあもう行くからな」
「はい、ありがとうございました」
「私からもありがとうございました」
二人は先生に感謝を伝え、改めて向き合った。
だが、昼休みの廊下は生徒でいっぱいだ。まして高校二年生の鏡野が一年生の教室前にいると注目は集まってしまう。
「場所、変えようか。ついてきてくれる?」
「わかりました。事情はそこで説明するんですね」
「そう。早く行こう」
二人は
「…………猫?」
「あっ、間違えた。ごめん今のは忘れて。見せたいのはこっち」
「ヨオスクニ……任務ですか。でも今は昼ですよ」
「でしょ。それで拒否しようとしたんだけど、代わりは呼べないって。なんでも隣も今全員任務中らしい。昼間に
「なるほど。で、どうするんですか? 早退? 人命に関わるかもとはいえ、授業を休むのはちょっと……」
「大丈夫。そこはもう解決してるらしい。権力は偉大だね」
権力。
とにかく今は現場に急ぐべきだ状況だった。
鏡野小隊への任務は駅の地下街での月晶体の捜索だった。
今回もやはり異能は「偽装」。
兆候波も出現波も誤魔化され、さらには探知も難しい地下での捜索。もちろん、月晶体の捜索を警察に頼んだりなどできず、二人でしらみつぶしに探すしかない。付け加えると、接敵してもたくさんのお店があるので破壊も最小限にとどめる必要がある。
これは紛れもない高難易度の任務だ。
「任務の振り分け方が最近変だな……」、と鏡野がぼやいているところを聞いて、司陰も心の中で強く同意した。
もともと鏡野小隊というのは名ばかりの鏡野一人のチームだった。
だから一時的な措置として、第四十支部の担当区域は支部周辺や学校周りのみに縮小され、司陰の元の家やこの駅は第三十九支部の管轄になっていた。
それが司陰の加入で元に戻された。担当区域は鏡野一人の時と比べて五倍以上になっている。到底人数が二人になったところでカバーできる範囲ではない。
この状況の原因は、鏡野の性格的問題もあるが、災害殲滅隊の仕組みの欠陥が最も影響を与えている。
「鏡野小隊長。これ、店の中で潜伏されたらどうすればいいんですか? それからこの前みたいに水道管を使われたりしたら」
「そんなもしもは考えなくていいよ。とにかく今は見つかることを祈りましょう」
「……?」
今日も今日とて司陰の直感は冴えている。
不思議なことに、司陰がいると思えばだいたい月晶体はそこにいるのだ。
居場所に意識が向くのではなく、意識が向いた場所に月晶体がいる。
「鏡野小隊長、上です」
「上? ……ああ、通気口ね」
月晶体にそんな知能があるかは分からないが、鏡野は月晶体に気取られないよう、関係ない方向を見ながら真下に移動する。
「ああ――どこかな――見つからないな――」
「……落ちてきますよ」
鏡野のわざとらしい演技に苛立ちでもしたのか、潜伏していた月晶体はあっさり姿を現した。
真上からの奇襲。
異能が「偽装」の月晶体の常套手段だ。
鏡野は気づいてないふりこそしているが、その実、手に沿わせて隠すようにして【熱供の短剣】を展開している。
しかも、両手に。
空中の月晶体に回避手段はない。
「ふっ!!」
ここは地下とはいえそこそこ広い。なので大胆に振るわれた短剣は、一瞬固相になった月晶体をバターにように切り裂いて塵芥へと変えた。
すぐに散った月晶体だが、どうやら無策で突っ込んできたわけではないらしい。
司陰の直感がまたしても働き、鏡野の足元の金網の下に月晶体がいると分かった。
あの位置の月晶体は鏡野に察知されたと気づけばおそらく逃げるだろう。そして任務が三十分延長になってしまう。
災害隊は基本給プラスの能力制だ。研究員はともかく、一般の隊員は勤務時間が伸びても給料は増えない。逃げられることにデメリットしかないので、逃がす必要は全くない。
「これで任務完了かな。お疲れ司陰君」
「そうですね。ところで鏡野さん、左足にゴミがついてますよ」
「え、本当」
「はい。月が見えてます」
月は月晶体の略語で隠語だ。
鏡野はすぐに理解して、左足を上げた。月晶体への射線が通る。
司陰は【紺黒の銃】を仕舞うふりをして持ち上げ、威力を最大にして撃った。
無反動ながら凄まじい威力の弾丸は金網を突き破って月晶体を貫通した。
瞬時に衝撃が駆け抜け、地下街を揺らす。
鏡野は撃った瞬間に飛びのいて始終を見ていたが、なかなか驚いているようで珍しく顔に表れている。
「前より強くない? もうこんな弾が撃てるようになったの?」
「まあ、なにかコツを掴んだみたいで。必殺技もそろそろ完成しそうなんです」
「ふーん……」
ヨオスクニから二つの通知が来る。
任務達成の報告と任務外の月晶体の撃破確認。
鏡野はスマホで手早く報告を済ませながら司陰に尋ねた。
「私、結構早く強くなれて、それで、自信があったんだけど……もう教える必要もないのかな……」
「えっ、いやいやそんなことはないですよ。近距離での戦闘とか、閉鎖空間での立ち回りとか、半分も真似できないですよ」
「できないわけじゃないんでしょ。なら、そのうち……」
上には上がいる。
至極当然で当たり前のことだが、人はそれを突き付けられた時に激しく自分の心を揺さぶられる。
司陰の急成長が鏡野に与えた影響は、奇しくも鏡野が昔他人に与えたそれと全く同一のものだった。
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