二十二話 特殊訓練

これはいつかの記憶。








 桜の絨毯の上で灰色のコートを着た男性が座っていた。


 彼の目線の先にはここに散らばる桜の花びらの数の何倍もの人口を抱える街がある。彼の手のひらの上へ載った花びらの重みは、無数の命の一つのようだ。




 そんな風情も、強く吹いた風と共に空の彼方へ溶けて消えた。


 足音が彼の横から聞こえたかと思うと、同じく灰色のコートを着た女性が息を切らしながら現れた。彼は自身の手のひらを離れた花びらを惜しみつつも、その迷いは即座に切り捨てた。




「どうしたんだ? そんなに急いで」


「どうしたも何も、Bランクの月晶体の出現まであと三十分ですよ!」


「まだ三十分もあるじゃないか、咲田」


「三十分しかないから急いでいるんです! 鏡野隊長、早く行きましょう!」




 彼は腰を浮かせて歩き始めようとして、何かを思ったのか止まった。




「この桜、私の娘も見ることができるのだろうか…………」


「なんでそこで止まるんですか? お願いなので早く行ってください。大勢があなたを待ってるんですよ」


「人間の万全にはどうせ限界があるんだ。なら、常にもしもは想定すべきだろう。……いや、無意味な想定は人を臆病にするか……」


「一生に一度のお願いです。走ってください…………」




 彼は魔装使いらしい想像力と自分の世界を持ち、時間に追われる彼女の言葉も聞こうとしなかった。




「…………」


「鏡野隊長……」


「……咲田」


「っ、はい」


「いいか、次の大隊長は君だ。その時には、もっと隊長らしくなれ。……そうだな、灰色のコートは目立てないからやめろ。水色あたりにでもしておけ」






 ・・・・・






 咲田が司陰と靄を連れてきた場所は、いかにもビルの間の路地裏というような所だった。




 特殊訓練場、通常の戦闘能力を鍛えるためではなく、『偽装』に備えた素早い出動能力や捜索能力、特殊な異能に対応する能力を伸ばすための場所だ。


 当然、この施設がある場所も地下なので照明はほどほどにしかない。その上、碁盤の目のような単純な配置ではないので、目の暗順応を待たずに進んでも道に迷うのが関の山。まさかヨオスクニ片手に走るわけにもいかないので、事前に覚えるか慎重に進むかの二択。


 もっとも、訓練場の配置を覚えたところで実戦の役には立たないだろう。




 ここで靄に求められるのは緊急時の判断能力。


 月晶体に見立てたターゲットをすべてを素早く破壊するのが目標で、放射攻撃などの訓練場への過度の攻撃以外ならどのようにして破壊してもよい。


 とにかく、手段は問わない。




 一方、司陰に課せられたの靄の補助。


 ただし、いつものように無線で連絡を取ることはできない。


 靄の位置はヨオスクニで把握できるので、彼女の動向を逐一予測して最適に立ち回る必要がある。




 靄がどこかの路上、司陰が彼女から離れたビルの屋上へ位置について、会話しながらスタートを待つ。




「司陰君いい? とにかくビルの上から狙える的を全部壊して、あとはそのまま待機」


「何もしなくていいんですか?」


「これは私の予想だけど、訓練目的から考えるとどこかで緊急任務みたいなのが発生すると思うの」


「なるほど、それを俺が対処すると」




 しばし靄は考えた後、司陰の言葉を否定する。




「いや、そうじゃなくて、それも私が対処する」


「なら何をしろと?」


「私が取りこぼしたものの対処かな」


「……さすがに一人で済ませようとしすぎじゃないですか?」


「今回は、お願い」




 わかりました、と告げる前に無線が切れる。


 どうやら時間が来たようだ。




 それにしても、と司陰は思う。




「靄さん…………信用してないわけではないんだろうけど、一人で抱え込みすぎだと思うけどなあ…………」












 始まりはいつもの警告音だった。


 ヨオスクニが示すには、訓練場の全体にマークが広がっている。




 司陰はビルの並びとターゲットマーカーの位置を照らし合わせ、すぐに最初の一つに狙いをつけた。




【紺黒の銃】をしっかりと構え、目線の先へ銃口を向ける。


【紺黒の銃】は狙撃銃ではないので今一つ正確性に欠け、安定させるための台座もない。そのため、立ったまま微塵も動かずに撃つ必要がある。




 ターゲットはビルの直下付近で、目測で大きさは一メートル直径の球で距離は五十メートルほど。決して当てづらい距離ではない。


 呼吸を整え、落ち着いたところで引き金を思いっきり引いた。




「…………よし」




 風船とセンサでできている球は、引き金を引いたとほとんど同時に弾け散った。












「一」




 風船の破裂を待たずに剣の軌跡は先を走る。


 靄は最短の位置のターゲットへ開始とともに進み、司陰より早く最初のターゲットを破壊した。




 彼女はそのまま足を止めずに次のターゲットへ向かう。


 素直にターゲットの位置を暗記するのは大変だが、頭の中で道筋を創ればそう難しいことではない。




「二」




 直線の開けた通路、斬って戻るには遠いとみると靄はすぐに【熱供の短剣】の一本を投擲した。


 そして、短剣は吸い込まれるように風船の中央を破った。




 この順調さは三つ目のターゲットで途切れかけた。


 地図では普通の道であるところがフェンスで塞がれていたのだ。地図が頼りにならないときはそう珍しいことではないので、それも想定した訓練なのだろう。


 彼女は即座に判断し、一秒もかけずに行動に移す。




 建物の外壁の突起部分に向けて飛び上がり、そこを踏み台にさらに向かいの建物の僅かな足場に足をかける。二回目の足場からの跳躍時にはもはやフェンスは眼下の景色。


 前方へ飛び降りて直線を駆け、横を抜けざまに風船の表面を剣先で撫でて割る。




「三」




 実のところ、街中を駆け回るような激しい市街戦はほとんどないし、月晶体ルナモルファスの少ない第四十支部やその前の第三十九支部では靄はそのような経験は全くないに等しい。


 司陰と共に任務をするようになってからはさらに安全を意識するようになり、任務遂行までの時間にもそれほどこだわらなくなった。




 そんな靄にとって久しぶりの市街戦。


 しかも、訓練なので気負う必要はなく、多少は爽快感を伴うときた。


 彼女に聞けば間違いなく否定するだろうが、確かに彼女の気持ちは舞い上がっていた。








「うん?」




 彼女は目の前の分岐点で足を止めた。


 他の通路より広い道で、直線に訓練場を通っていてよく見通せる。


 彼女が気にしたのは道路を右に進んでしばらくしたところのターゲット。親切に設置されたミラーのおかげで見えたが、少し路地に入っているので破壊するためには近づく必要がある。




 司陰は訓練場の中央にいて、靄は司陰の周りを時計回りで進んでいる。


 ターゲットがあったのは司陰の近く。


 近くといっても微妙な距離で、司陰はまだ気づいていないか射線の通らない位置で諦めたかのどちらか。仮に後者なら靄が破壊しに行く必要がある。




 これは彼女には、司陰を信じるか、それとも信じないかの質問に思えた。




「……任せます」




 彼女はそのターゲットと逆方向へ駆け出した。












「ん?」




 司陰が二つ目のターゲットを二発目で破壊したとき、彼の視界に何かが映った。




「靄さん?」




 白いコート、靄の着ている白色が彼の視界に入り、彼が目線を向けるころにはもう消えてしまった。


 司陰には彼女が一瞬立ち止まったように見えた。




 司陰が一か月で学んだことは、彼女の行動には大抵意図があるということだ。


 これに従えば、靄は司陰に何かを伝えたことになる。




「…………もしかして」




 ヨオスクニを取り出して、ターゲットを確認する。


 そうすれば、彼女の意図はすぐに伝わった。




「建物の裏……あれを壊せってことか……」




 ターゲットまでの距離は百メートルほど。


 だが、ターゲットは路地へおよそ五メートルほどは入った所にある。




 まず思いつくのは反射、だがいい角度の壁がターゲットの近くにない。


 次に貫通、だが訓練場の建物は大体が窓なし鉄筋コンクリートの丈夫な作りで貫通は容易ではない。




 結局、司陰の取れる選択は一つ、弾丸を炸裂させるなどして破片で風船を割ることだった。








「……よし」




 司陰の初発は弾ける弾丸、さしずめ榴弾といったところだ。


 路地への入り口に着弾し、周囲へ破壊をまき散らす。




 だが、ヨオスクニのマップからターゲットは消えなかった。


 おそらく、たまたま弾の破片が命中しなかったのだろう。




「もう一発」




 それから、二発、三発と撃ち込むが、なぜか司陰の端末上からターゲットが消えない。


 そもそも破片の威力は物足りなくはあるが、それでも着弾点付近はすでにかなり荒れている。偶然だとしたらただの不幸だが、そうでないなら何か理由がある。




 司陰は一旦他のターゲットを探し、特徴的なものを一つ見つけた。


 それは、センサ上の破壊対象物が風船でなく、丸くて表面が布のタイプのターゲット。


 おそらく、重量センサで布の玉の消失を感知する方式なのだろう。当然、何発撃っても貫通するだけで破壊できないわけだ。




 司陰は狙いを定めて一射目で命中させたが、弾丸は貫通してしまってターゲットが破壊されたことにならない。


 これはさしずめ月晶体の忠実な再現というところだろう。




「燃やすか、抉るか…………あるいは倒すか」




 弾丸では対象との接触面が狭すぎてターゲットを貫通してしまう。


 センサを直接壊す手段も考えられるが、後が怖い。




「……決めた」




 しばし創造の時間を取り、それが終われば【紺黒の銃】を再び構える。




 そして発射された弾丸はターゲットにあたる直前で内包する火薬を前方へ吹き出して布の玉を焼き切った。




 靄の放射攻撃を模したものの威力は絶大だった。布の玉が月晶体なら確実に仕留められただろう。


 司陰は奇跡的に一発で成功したが、今求められた能力は凄まじく高度なものだった。


 直前で火薬を点火する能力と、発生した燃焼ガスを効果的に収束する能力。特に後者は難しく、司陰の弾丸から出たガスは収束されすぎて、あまり面に対して有効な攻撃になっていない。


 ターゲットが破壊できたのは可燃性の素材であったからにすぎない。




 ヨオスクニを確認すればしっかり破壊されており、さらに、開始時のターゲット数から大幅に数を減らしている。


 司陰がこのターゲットに手間取っていた間に、どうやら靄がかなりの速度で破壊したらしい。




司陰は先ほどの手間取ったターゲットを破壊するために向き直った。


今度はターゲットが斜めにあるので、さらなる緊張を覚える。




「これで…………」




司陰は、感覚を掴むために何度も繰り返し失敗した。


きっと靄がかける時間の何倍もの時間を費やしただろう。




七発目の弾丸、そこから延びたジェットはターゲットを正確に焼いて、ヨオスクニ上から消し去った。


特殊訓練、それは短期間で司陰を成長させた。

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