三十五話 海千山千

 災害殲滅隊本部の駅前のレストラン。


 味はいいのに人の少ないレストランの奥の席で小声で電話する人間が一人。




『――――真賀丘さん? 『影入銃士』のことですけど、』


「聞いてるよ。上の許可は出てるから、大隊長からよく学ぶといい」


『ありがとうございます。それで聞きたいことがあって――――』


「ちょっと待って」




 真賀丘は背後から近づく人物に気づいて電話を中断した。


 振り向けば、水色のコートの凛々しい女性。




「何か用ですか? 咲田大隊長」


「……用件はわかっているでしょう?」


『真賀丘さん? どうかしましたか?』


「鏡野君、後でかけなおすから一旦切るよ」


『えっ――――』




 一方的に電話を切って真賀丘は席を立った。


 一人掛けの席から対面できる席へ移動する。咲田は何か喋ることもなく彼についていったが、それがますます不気味である。


 そもそも、レストラン内に耐晶コートを着て入ってくること自体が普通でない。




「『影入銃士』、第一隊が主導なのに、第二隊も参加することになったとか。そちらも大変ですね」


「……さっきの会話、鏡野靄ですね?」


「それが何か?」


「私にお守りをしろと言っているわけですね」


「この件、あなたにとってそう悪い話ではないはずですが?」




 戦力補強に加えて後身の育成も兼ねているのだ。


 いかに忙しい大隊長といえど、疎かにできることでもない。




 理屈は咲田にも理解できる。


 それでも、咲田の表情は冷たい。




「『影入銃士』作戦の日、とある国際テロ組織が首都圏で何かするという情報を掴んでいます。その対処が私の仕事でした」


「その情報に信憑性は?」


「あなたには関係ありません。ただ、相手に魔装使いがいる危険も鑑みて、私抜きではこちらの作戦がうまく進められません」




 要は、第二隊が個別に考えていた作戦と予定が被ったのだ。


 それを意図的なものではないかと、咲田は疑っている。




 真賀丘はしばし考えてから返答した。




「……少なくとも僕が知る限りでは、月装研とその組織に一切の関係はない。あなたの考えは全部邪推だ」


「その言葉、信用しておきましょう」




 咲田は何も頼まずに店を退出した。


 ここに来たのはあくまで確認だったのだろう。


 そもそも真賀丘より先に城島が彼女に頼み込んだので、断ることなどできないだろう。








「それにしても、飲み物すら頼まずに出るなんて、迷惑な客だ」




 真賀丘は手元のカプチーノを飲み干して、もう一杯注文した。






 ・・・・・






「あっ、飲み物がない」




 帰宅してすぐ冷蔵庫を開けた司陰を待っていたのは、空のペットボトルだった。




「靄さん、ちょっと買い物に行ってくるんで、必要なものありますか?」


「えっと、味噌とネギと玉ねぎ。魚もあればお願い」


「あとヨーグルト!」


「わかりました」




 靄は今洗面所で朱柚に絆創膏を貼ってもらっている。


 学校内では実技の訓練中はいつも一人で教室に残されているのもあって、朱柚は不満なのか、ああしてスキンシップで何かを満たしているらしい。




「そういえば司陰君、色、覚えてる?」


「色? 何の色ですか?」


「覚えてないならいいよ」




 色に関することは司陰の記憶にない。




「……? 行ってきます」


「行ってらっしゃい」


「気を付けて」




 靄の行ってらっしゃいはいいが、月晶体朱柚の気を付けては怖いのでやめてほしいと思う司陰だった。
















「結局暗くなったな」




 寄り道を重ねすぎてすっかり日が沈みかけている。


 司陰にとって夜の買い物からの帰路は不運の象徴だ。


 こういう時は首都の明るさが司陰にとっての救いになってくれる。




 重たい買い物袋も今の司陰なら楽々持てる。


 いろいろ変わったことを司陰も実感せざるを得ない。


 もう恐れる必要はないのだ。








「――――あの」


「は、はい!」




 いきなり背後から話しかけられて司陰は心臓が止まりかけた。


 決意の瞬間の不意打ちは反則だ、と司陰は思ったが、顔に出さずに話しかけてきた人物を見る。




 体型的に男性だろうと司陰は推測した。


 あやふやなのは、その人の顔が少し中性的だからだ。


 おしゃれな燕尾服のような装いで、一般人ではないのは明らかだった。




「驚かせたなら申し訳ありません。私はシャットというものです」


「は、はあ。どうも、シャットさん。俺は押山です」


「ご丁寧にどうも。私はこの付近で白い髪で若い見た目の女性を探しておりまして、なにか心当たりはございませんか?」


「あっ、カミナシさん……」




 司陰がそう呟いたらシャットという男性はすぐに反応した。




「まさしくその方こそ私の探している女性です。お知り合いなのでしょうか?」


「知り合い、といえばそうですね」


「ふむ……」




 司陰が曖昧に答えたら、シャットは何か考え込み始めた。




 カミナシの知り合いなら警戒しなくてもいいか、そう思っていた矢先。


 司陰は即座に飛び退いた。




「おや、早いですね」


「どういうつもりですか!」




 司陰がさっきまでいた場所にはナイフが突きつけられていた。


 所謂バタフライナイフというやつだろう。


 それを司陰の首筋に当てるつもりだったようだ。




「これは失敬。あなたは災害隊の人間のようですね」


「なっ……」


「そんなわかりやすい反応をしてはいらぬ情報を与えますよ?」


「鎌をかけたのか……」




 相手に敵対の様子はない。


 ここは一度冷静にならねばならない。




「まあそう警戒しないでください。彼女を知っているなら私たちは仲間のようなものです。そうですね、ここは一つこの縁を祝していい情報をあげましょう」




 シャットはナイフを仕舞ってから続けた。




「『影入銃士』作戦の日、私たちの関係組織がよからぬことを企んでいるそうです」


「関係組織……?」


「暴走はしないよう抑えておきますが、くれぐれも関わらないように。首を突っ込むと痛い目を見ますよ」




 シャットはそう言い残して去ろうとした。




「止まれ!」


「それでは」




【紺黒の銃】の銃口の先、シャットの体が傾いた。


 司陰はすぐに標準を再度合わせようとしたが、その頃には地面にはシミ一つ存在しなかった。












「ただいま帰りました」


「お帰りなさい! ヨーグルトある?」


「ありますよ。どうぞ」


「ありがと!」




 朱柚はヨーグルトを渡されるとすぐに走っていった。




 入れ替わりで靄が出迎えに来た。


 靄は心配が表情に表れていた。




「遅かったね。顔色も悪いけど、大丈夫?」


「ええ。寄り道し過ぎて疲れただけです」


「本当? 風呂で背中でも流そうか?」


「一緒に入ったことありませんよね」


「じゃあ入る?」


「えっと……今日は止めておきます」




 どうやら司陰は靄に真顔で冗談を言われるほど疲れて見えるらしい。




「……今日なら一緒に入ってあげたのに」


「なんですか?」


「なんでもない。ほら、荷物渡して。夜ご飯冷めるよ」


「ありがとうございます」




 明日も学校だ。


 切り替えていかなくてはならない。




 シャットという人の件は心にしまっておこうと司陰は決めた。












「靄」


「なに?」


「司陰、元気ないね」


「そうだね」




 靄が彼と同居を始めてかなりの時間が経った。


 靄も流石に最初は抵抗があったが、今では一番心を許している人間は彼に違いない。




「あのままでいいの?」


「良くないかなぁ。明日は大事な日だしね」


「私が二時間ひとりぼっちになる日……」


「大丈夫。先生は朱柚ちゃんに付き添うってもらうよう頼んでおいたから」


「やった!」




 ソファの上で朱柚は跳ねて喜ぶ。


 城島は家に帰れないことが多々あるらしく、今はこうして朱柚はこの家で預かっているが、彼女の親離れはまだらしい。




「それで靄、サプライズはいつするの?」


「今日は元気なさそうだから、明日の朝にするよ」


「寝起きドッキリ?」


「とっておきのね」




 ふふふっ、と靄と朱柚はほくそ笑む。




 司陰が買い物に出かけている間に準備は整っている。


 あとはいいタイミングで彼を驚愕させるだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る