六話 説明&実践
From:真賀丘
To:昼片
件名:人型の月晶体について
例の遺体は浸食痕が見られたことから月晶体が寄生していた可能性が高い。
担当した隣の支部の小隊長が一度逃がしているため統制月晶体にアクセスした可能性もある。
もし今後再びこの異能を持つ月晶体が出たなら異能を「寄生」として登録しようと思う。
また、この異能は「自爆」使用後に生き残ることを可能にする恐れがある。
念のためこれと同様に「自爆」を耐えられる異能について調査してきてほしい。
南極で雪遊びするのもいいが、そろそろ博士の動向が心配だ。
すぐにとは言わないが月晶研のあの人もそろそろ帰国させるべきだと僕は考えている。
押し付けるようで悪いけど、これらは比較的まともな君の仕事だと思う。
残りの未来に向けてお互い頑張ろう。
・・・・・
「はい、これあげる。全部読んでね」
「……鈍器かなにかですか、この本」
実験室で魔装の性能を確かめた後、鏡野が司陰に手渡した本は辞書ほどの厚さがあった。
タイトルは「災害殲滅隊及び関連項目について」。
内容は災害殲滅隊のことから
「やっぱり今いくつか質問してもいいですか」
「どうぞ」
二人は休憩用のソファに座って会話する。
九十度の角度で距離は2メートルほど離れてだ。
ソファの前の机には鏡野のが用意した茶菓子が置かれている。
「まず災害殲滅隊の構成はどうなってるんですか?」
「災害殲滅隊、私たちの間では災害隊と略すからこれからはそう言うよ。対月晶体機関である災害隊は十の大隊とその下の小隊、そして研究部隊と補給部隊からなる組織で、総司令官、大隊長、小隊長などの役職がある。ちなみに私は小隊長。隊員はいないけどね」
「どこかの本でツーマンセルが最小単位と書いてあった気がするんですが……一人で戦いを?」
「えっと……まあそういうこともあったかもね」
「なんというか……こういう組織って人手不足が常ですよね」
「異論ないわ」
災害隊の詳細は「災害殲滅隊及び関連項目について」で確認できるのでひとまず話は置いておき、鏡野は最低限必要な知識を司陰に伝えた。
結晶化式対月晶体ナイフ、通称晶化ナイフ。
鏡野が学校で
晶化コート。
衝撃、温度変化、化学薬品などさまざまな攻撃から装着者を守る。第二研究隊で開発された災害隊の正式装備だ。外出用にも白衣の代わりにもなるが通気性は全くないとのこと。「自爆」対策に耐爆特化仕様の耐爆コート、通称灰色コートがよく用いられる。他には厚みを増し衝撃により強くした耐衝撃コート、通称白色コートもあるそうだ。
「私が普段使ってるのが白色コートよ。自爆にはあまり強くないけど全体的に性能が上だからね」
「なるほど。ところで、自爆ってなんですか? 隊員同士で戦闘があるということで?」
「いや、そうじゃなくて、
「どうと聞かれてもまだ何とも……」
「それもそうね」
話に一区切りをつけて二人は茶を啜る。
冷えた緑茶が彼らの喉を潤している時、不意に背後からガタンと椅子を急に立つ音がした。
「――――それは
真賀丘が電話中に何かで驚いて思わず立ち上がってしまったようだった。
何気にここ第四十支部で司陰が彼に会ってからずっと彼は冷静で
二人が見ていると気づいて真賀丘は座りなおしたが、電話の内容がよほど大事なのか真賀丘は電話に集中している様子だった。
鏡野が顔を正面に戻すと司陰もつられてそうした。
真賀丘に何があったか尋ねたそうな様子だったが、おそらく聞いても答えてもらえないだろうと判断したのか話題にすることはなかった。
「それじゃあ司陰君、夜まで適当に時間を潰してて」
「……わかりました」
月晶体といい災害殲滅隊といい司陰にはまだよくわからないものが多い。
それは知識だけでなく戦いの面でもそうで、爆弾抱えて突っ込むわけではないがほとんど似たようなものだ。勝てば生き残れるが負ければ結局死ぬだろう。逃げるというのも選択肢の一つだが。
それに、習うより慣れろという言葉に従うならさほど気にすることでもないが、初めてのことにはどうしても不安が付きまとう。そういう意味では、練習でできないことは実戦でもできないというのは正しい。
要は恐れを克服することが最初の壁なのだ。
・・・・・
すっかり日は落ち、住宅街は暗がりに包まれている。
普段は街を煌々と照らす明かりも人が消えた家々からは見られず、今は街灯のみが黒い道路に白い楕円を描いている。
夜、すなわち
それらが夜に活動するのは素直には喜べないが、災害隊で本業を別に持つ人間たちには大層都合がよかった。理由は言うまでもない。
真賀丘が言うには、名前に月を冠するのは夜間に活動するから、とのことだ。とはいうものの昼間でも出るときは出るので油断はできないとのこと。
もっとも、昼の
万年人手不足の災害隊にこんな猶予があるかというと、おそらくない。
だが、いくら人手不足とはいえ僅かな心の余裕は持たせようという配慮のためか、あるいは単に未成年に戦わせるのが心苦しいのか、誰も咎める者はいなかった。
鏡野の情報端末から電子音がなる。
統合司令システム、ヨオスクニからの通知だ。
内容は一分後に月晶体が出現するとのこと。
鏡野がそのことを司陰へ伝える
「あなたにはまず脅威度Dの
脅威度、災害隊が設定したものではなく、国際月面開発機関が設定した月晶体の等級だ。
強さではなく、人類への脅威度が設定の基準になっている。
そのため、しばしば強さと合わないという事態が起こる。
SからEまであるが今回はDランク。
Eランクは兆候波も出現波も伴わずに出現するため実態がわからないことに加えて、人的被害もほとんど出さないと考えられている。
そのためDランクは事実上の最低ランクだ。
ましてDランクでは異能も持たないので、実は強いという可能性もない。
要は新入隊員の訓練にもってこいというわけだ。
「今回は最初は魔装で狙って、仕留めきれなければ腰の晶化ナイフできっちり殺して。相手は人型じゃないから躊躇せずにやれるでしょ」
「了解。なにか気を付けたほうがいいことはありますか?」
「そうね……あ、晶化ナイフは刺して一秒ほどで抜いてね。抜くのが遅れると刃がへし折られから」
「すごい重要な情報じゃないですか!」
「大丈夫。初心者なら晶化ナイフの一本や二本折ったところで大目に見てもらえから。それに、抜くことばかり意識してると結晶化する前に抜いて反撃されるよ」
その時、司陰の頭に浮かんできたのは昨日の風呂に入る前のこと。
彼が間違えて入った部屋の中では無数のナイフが壁に掛けられていた。
そんなに折ると思われているのだろうか、そう考えると告げられた一本当たりの値段が頭にチラつく。
必要経費には違いない、だが、金額を考えるとなかなか恐ろしいなと彼は思った。
道路の真ん中で歪みが起きる。
透明な何かがこの世界へ染み出すように漏れ出てくる。
瞬間、その特異点を黒い弾丸が音速を超える速度で貫いた。
弾丸はその空間を通過した後、住宅街のブロック塀に穴をあけた。貫かれた
弾丸の撃ち手はその特異点から十メートルほど離れていた。
撃ち手が両手で抱える銃は突撃銃ほどの大きさで、推測される有効射程を考えるとあまりにも近距離での射撃だった。それは未熟な撃ち手が外すことを恐れたためである。
撃ち手は油断なく紺と黒の銃を構えたまま少し離れたところに佇む女性に尋ねた。
「鏡野さん、仕留められましたか?」
鏡野は目を細めてその特異点を見つめ、彼の問いに答える。
「まだ……かな。押山君、彼らが出てくる瞬間は確かに狙い時だけど、雑魚が相手なら基本的に出てくるまで待ったほうがいいよ」
「わかりました」
「敵の全貌を掴む前に攻撃すると手ひどい反撃を受けることがあるからね」
待つと司陰は言ったものの、焦る気持ちは抑えられなかった。
なにせ月晶体が完全に現れるまでに数分も要するのだ。ランクや個体によって時間は変動するとはいえ、慣れるまではあまりにも長い時間だった。
司陰がなんとか心を落ち着けて待っていると、その時は訪れた。
宙に浮いていたそれが地上へ落ちた。
それはアスファルトで覆われた平らな道路の上を流れ、あっという間に水溜りのように広がった。
「落ち着いて見るととても人類の脅威には見えませんね」
「確かに、こうやって見る分にはただの道路のシミみたいね」
故にどう頑張っても掴むことはできない。そのうえ固相になると鋼鉄すら凌ぐ強度を持つ。厄介極まりない相手だ。
ところで、月晶体はガラスによく似ていてる。非晶質であるガラスは理論上は非常に大きな強度を持つそうだ。
だが、一説には表面の細かい傷がその強度を数百分の一に落とすという。「グリフィス・クラック」なんて名づけられてもいるその細かい傷だが、人間の技術でそれをなくすことは確かに難しい。
それはあくまで人間にはだが。
それが圧倒的な硬さを誇る要因になっている。
司陰は再度地面の月晶体に狙いをつけ、仮想の弾丸を撃ち込んだ。だが、その弾丸は鋭い音を立てて面で跳ね返り、空中へ去っていった。目標を貫くことはなく。
月晶体は既に固相になった後だった。もはや晶化ナイフは刺さらないし、生半可な攻撃は通らない。
道路表面を覆う透明で硬い物質は、さながら道路にできた鏡のようだった。
「これは……どうすれば……」
「こうなったらあとは簡単なことよ」
対処方法が分からず戸惑う司陰を尻目に鏡野は堂々と歩んでいく。
彼女は
「えっ」
「こうするの」
勢いよく振り降ろされた足は地面の月晶体の中央を踏み抜き、そのまま口のない月晶体を有無を言わさずに叩き割った。
かくして司陰の初戦闘は幕を閉じた。
鏡野と司陰はしばらく眺めることにした。
月晶体の散った破片が月光を反射して、闇夜に銀の雪を降らす様子を。
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