三十八話 砲煙弾雨

 雨の降りしきる路地裏。


 水煙はあたりを覆って数メートル先も見通せない。




 その中を灰色のコートを纏う人間が走り抜ける。


 靴が地面を踏むたびに水しぶきが跳ねるが、それに構わず一心不乱に足を動かす。








「助けてください! 後ろにいるんです!」


『他の隊員は?』


「『電場』で通信がやられたのか、連絡が取れません!」


『なら、一人で誘引しろ。所定の位置だ』


「無理です白澄大隊長! たどり着けません!」


『やれ。やれないなら死ぬだけだ』




 通信が強制的に終了される。


 白澄に隊員の泣き言を聞く余裕はない。




 この隊員はひたすらに走った。


 涙は雨に流され、足は水溜りに取られ、砲撃の余波で耐爆コートはボロボロ。


 足から出血して満身創痍だが、それでも救援は来ない。


 なによりどこから砲撃されるか分からない恐怖が精神を蝕み続けている。


 死が目前に迫っていた。




 角で曲がった時、耐晶コートの影が見えた。


 雨のカーテンの向こうに他の隊員がいる。




「助けて!」




 精一杯叫んでも影は動かない。


 そして、ほどなくしてその影と気配は消えた。


 一縷の望みが絶たれた。




 その時、気の緩んだ一瞬に足を地面に取られた。


 態勢を崩して派手に転び、衝撃のせいで頼みの足もまともに動かなくなる。




 悪寒が背中を走る。


 潜土砲手の砲撃がくる。


 だが、避けられない。








 終わり。




 その隊員がそう認識した時、


 水色のコートが滲む視界に飛び込んできた。






 ・・・・・






【冷渦の細剣】と光沢のあるエネルギーの弾が激突する。


 細剣を取り巻く螺旋に触れた箇所から弾は瓦解して、一際強い輝きを放ったかと思うと消失した。




 咲田は後ろの隊員を射線から守りながら、指示を出していく。




「鏡野、押山、潜土砲手の誘引を私が引き継ぎます。その援護をお願いします」


「了解です!」


「俺はポジションを取ってきます!」




 咲田は注意深く水煙の先を見つめ、一方、後ろの負傷者を早急に退避させることを決めた。




「未雨、菜小、白川、あなたたちはそこの隊員の移動を。誘引に混じりつつ途中で地下鉄ホームの入り口に飛び込みなさい」




 三人は隊員を起こして支え、司陰と靄の後を追った。




 しばらく追加の砲撃がないことを確認すると、咲田は雨路の先の五人と一人を追走した。
















 雨が小康状態に近づき、少し辺りも明るくなってきた。


 走る靄の視界は徐々に広がり始めた。




 向かう先が見通せるようになる。


 そして、敵も靄のことを発見した。




 悪寒と同時に靄は全力で飛び退いた。


 刹那、飛来した砲弾がアスファルトにめり込み、辺りに土砂をまき散らした。


 めくれたアスファルトが立ち並ぶ店のショーウィンドウを砕いてガラスの破片が散乱する。




「すごい被害……。司陰君、場所は?」


『靄さんから見てちょうど北の方角です。報告しておきました』


「了解。次のポイントに移って」




 コートに着いた土砂を払い、靄はまた移動を開始する。




 誘引役は命の危険に晒される仕事。


 だからこそ、靄は全力で全うすることに決めた。




 建物の陰から這い出る推定Dランクの月晶体ルナモルファス


 それを靄は【熱供の短剣】を投げて一撃で屠り、何事もなかったかのように走り出した。








 一方、司陰は靄のいる位置の先を走って引き寄せられた潜土砲手の位置特定、そして反撃を行っていた。




 とはいえ司陰は【紺黒の銃】を使ってもせいぜい百メートル程度が精密射撃の限界である。


 音で居場所が暴露されて自身の射程外から砲撃を受けるのが考えうる最悪のシナリオだ。


 なので、迂闊に撃てはしない。




 それより、とにかく狙われる靄を見て砲撃の方位を報告するのが最優先だ。


 もし月晶体に優先攻撃目標の概念があるなら、彼女はそれに違いない。


 司陰は今度朱柚に聞いてみようと思いつつ、靄に追いつかれないよう足を速めた。








 四回目の砲撃。


 悪寒がはしったのは司陰の背中だった。




 振り向けば迫る砲弾。


 司陰はあらため作って腰に付けていた爆発弾倉を急いで投げた。


 エネルギー塊である砲弾は爆風で威力が拡散、減衰し、司陰は耐衝撃コートの表面に少しすすがつく程度で済んだ。




『大丈夫!?』


「防ぎました! 大丈夫です」




 司陰は急に自身が狙われた原因を探し、空に答えを見つけた。




「靄さん」


『なに?』


「台風の目に入ってます。雨があがって、潜土砲手の有効射程が伸びたんです!」




 嵐の中敢行された作戦。


 その山場はすぐ目前に迫っている。
















 高層ビルの屋上。


 日頃は眺望を楽しむために人の訪問が絶えない場所は、今は気象庁の警報のために閉鎖されている。




 白色のコートが強風に煽られ激しくたなびく。


 ここにいる唯一の人間は無線に耳を傾けており、雨が上がって僅かに見えた虹にも全く気にも留めずに手すりに手を置きながら立っている。




『――――小鳥遊小隊、誘引完了しました』


『南西方面、誘引の進捗状況八十パーセント達成』


『北東方面、避難誘導が未完了です』


『夜霧小隊、誘引位置の変更を要請。東南東、二百メートル』




 混雑する無線の中。


 白澄は一つ一つを聞き分け、この状況を俯瞰し、頃合いだと判断した。




 手を掲げ、【陽炎の大砲】を展開する。








『――砲撃開始』
















 空から落ちてきた光の弾は空中で屈曲し、司陰が潜土砲手を確認したビルの中層へ直撃した。




 衝撃でガラスは酷く湾曲し、次の瞬間には強烈な破砕音とともに弾け飛んだ。


 地上にはガラス片が降り注ぐが下に人はおらず、ビル自体は支柱構造物が無事なようで倒壊の恐れはないようだ。




 司陰は今の攻撃に目を奪われた。




「……っ、オペレーター、今の砲撃は!?」


『白澄大隊長の砲撃です。そちらから対象の撃破は確認できますか?』


「視認はできませんが、直撃です」


『了解しました』




 さらに多くの白く輝く弾が司陰の頭上を越えたかと思うと、次の瞬間には轟音が辺りに響いた。


 地面の水溜りには波紋が浮かんでいる。


 砲撃の余波は最小限でありながら凄まじかった。








 司陰はその時、背後に気配を感じた。


 振り向けば乗用車ほどのガラスの化け物、ヨオスクニに反応はない。


『偽装』持ち、推定Cランクの月晶体だ。




「ここで!?」


『司陰君どうしたの!?』


「Cの月です、『偽装』持ちの! 構わず行ってください!」


『了解!』




 遠くで靄が交差点を通過するのが見えた。


 少し目線には心配が混ざっていたように見えた。








 路肩に駐車されていた乗用車が質量の塊に押し潰される。


 間一髪転がって車の屋根から落ちた司陰はプレスされずに済んだ。




 ただ、その拍子に漏れ出た燃料に偶然引火して月晶体は火に包まれる。


 だが、月晶体はそれをものともしない。


 燃え盛る炎の中でうごめくそれはむしろ見るものに恐れを抱かせる。




 司陰は走りながら【紺黒の銃】を連射した。


 鋼板も容易く貫通する弾丸の驟雨しゅうう。それを正面から受けた月晶体はハチの巣にされ、炎とともに苦しそうに震えた。




 次の瞬間、司陰へ向けて多数の棘が射出された。


 狙いは雑だがそれゆえ避け辛く、司陰は近くの大型トラックを盾にして難をしのいだ。




「『射撃』、厄介な相手だ」




 高耐久で高威力の弾を放つ月晶体。


 それはまさしく戦車だ。魔装と耐晶コートがあるとて正面から戦っても勝算は薄い。




 靄の魔装なら話は違う。


 短剣を刺すか、放射攻撃で直接エネルギーを放てば月晶体は為すすべなく消滅する。


 それは司陰の高威力だが貫通する弾丸では真似できない。




 司陰は白澄大隊長の砲撃を思い出し、自分の無力さをひしひしと感じた。








 トラックの運転席のドアが吹き飛んだ。


 あの棘はどうやら生半可なものではないらしい。




 司陰のやることは一つ。




 最後の爆発弾倉をトラック下部から滑らせ、月晶体のいるであろう場所を爆破した。


 その瞬間、司陰はトラックの陰から飛び出した。




 走り、【紺黒の銃】の全力で連射する。


 月晶体は穴だらけとなり、貫通した弾は背後のシャッターも穿つ。


 司陰は隙だらけだ。


 だが、今の月晶体には反撃できない。




 全力で晶化ナイフを投擲した。


 第四十支部から持ち出した最後の晶化ナイフだ。


 司陰が最初に受け取って、壊し続けた最後の一本。


 今使うことに躊躇ためらいはない。


 この時のために磨いて、刃は鋭く研ぎ澄まされている。








 晶化ナイフで固相へ変化させられた月晶体。


 この世で最も堅い物質の一つ。




 それを、【紺黒の銃】の弾丸は粉々に砕いた。

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