三十七話 磑風舂雨
「おい新入り! さっさと詰めろと言っただろ!」
「まだ時間がかかる!」
「さっさとしろ!」
薄汚い倉庫内で男が怒鳴り散らかしていた。
怒鳴られた女は密閉した箱を大型のケースに急いで詰めるが、なかなか終わらない。
「まだか!」
「あと少し!」
大型ケースに詰め終わると電子ロックがかかって電子音が倉庫内に響いた。
「遅ぇ! 五分も待たせやがって!」
男はそのケースを確認してから女に詰め寄った。
殴りかかろうとしたところで、横から別の手が受け止めた。
男はハッとしてその手の主を見た。
華奢な手だ。
だが、その手は力強い。
手の主は白い髪を長く伸ばした美貌の女だ。
男は息を吞んで拳を引っ込めた。
「待った待った。女性に手を挙げるのはどうなのかな? それに、月光火薬の取り扱いなら、慎重になり過ぎることはないよ」
「ファスさん、あんたの言う通りだ。だが、遅れると災害隊に見つかる可能性が高くなっちまう。罰を与えねぇとまずいだろう」
「新人の教育は私の担当なんだから、そこは任せてくれない?」
「あんたがそう言うなら……」
男は明らかに鼻の下を伸ばしていた。
美人に諭されて心変わりしたようだった。
だが、そこにもう一人女が来た。
「待ちな。ファス、甘い対応は私らの組織のやり方じゃない。シールには罰がいる」
「アヴァ……」
よく日に焼けたその女は悠々と三人の前に歩いてきた。
「私にはいつも優してくれるのだから、その慈悲を彼女にも少し分けてあげるのはどう?」
「ファスは特別、私のお気に入りだからな。でも、こいつは違う」
アヴァという女はシールと呼ばれた女の目の前までいき、彼女を右手で思い切り突き飛ばした。
「……アヴァ」
「手加減はした。本当は殴りたいところだがな、災害隊はどうやらこの倉庫には気づいていないらしいな。シール、ファスの情報のおかげだ。感謝しな」
「…………」
「チッ」
舌打ちとともにアヴァはシールの髪を掴んで引っ張った。
「ッ!」
「なんだぁ? この薄汚ねぇ金髪は。ファスの銀の髪に遠く及ばねえな。切っちまえよ。いっそ剃るのもいいな、おい」
「……断る」
「ああ?」
「アヴァ、止めて」
ファスにの制止でアヴァは髪を掴んでいた手を離した。
もう一回舌打ちをしてからアヴァはシールからようやく離れた。
そのままファスに近づき、その長い髪に触れる。
「何回見てもいい髪だ」
「気は収まった?」
「ああ。ところでファス、たまには私の所に来いよ。いつでも歓迎するぜ」
「考えとく」
「楽しみにしとくよ」
アヴァは満足したのか去っていった。
男もケースを抱えてそれに続く。
倉庫内にはファスとシールが残された。
シールは立ち上がって埃を払うと、ファスに一直線に走って抱き着いた。
「うう、カミナシ様! あいつ私の髪を侮辱しました! 許せません!」
「落ち着いて。ここでは元素機関のカミナシとマノではなくて、魔連のファスと新入りのシール」
「でも!」
「マノの髪は綺麗だよ。私が保証する」
「ありがとうございます……」
シールは慰められた後もファスに引っ付いて離れようとしないので、ファスも剝がすのを諦めてそのまま会話を続けた。
「それにしても、国際条約で輸出入禁止の月光火薬を日本に持ち込むなんて、何考えてるんだか。金に目がくらんだのかな?」
「そうです! 久しぶりに触ったので焦って大変でしたよ!」
「お疲れ様」
「もっと褒めてください」
シールはファスの背に回した手にいっそう力を入れた。
胸部を密着させて肌の温もりを感じ、さらに首筋に鼻を近づけて匂いを鼻腔いっぱいに吸い込む。
「……あの、私の部下が段々変態に近づいてるように感じるなぁ」
「いいえ、正当な報酬です。ネイト、ではなくてシャットに聞いてもそう答えるはずです」
「本当に……?」
ファスは困惑しているが、同時にシールの腕の締め付けが強すぎて振り払おうとした。
その時、シールはファスを近くのソファに押し倒した。
二人は数センチの隙間を挟んで顔を見合わせる。
「……なにしてるの?」
「上書きってやつです!」
「……魔装革新連団の内部調査に必要?」
「もちろん!」
シールはファスの服に手をかけて……
そして蹴り飛ばされた。
ファスは無抵抗のふりをして不意の一撃を決めた。
シールは地面でお腹を押さえてうずくまっている。
「酷い……」
「無理矢理押し倒す方が酷いから。それに、私はまだこれから仕事があるの」
ファスがそういうと、シールは跳ね起きた。
「まさか、あの女のところに!?」
「違う」
「じゃあ……?」
「『影入銃士』、災害隊の作戦の手助けをしてくる」
カンカンと倉庫の天井のトタン屋根を大粒の雨が打ち始めた。
風と雨が首都に迫っていた。
・・・・・
鏡野小隊の暫定拠点。
そのリビングに司陰が眠たげに目をこすりながら入ってきた。
朝ごはんを作っている靄は驚いた様子で、一旦料理の手を止めた。
「今日は早いね司陰君。朱柚ちゃんもまだ起きてないよ」
「早いも何も、聞いたこともない音楽が大音量で流れてきたら跳ね起きますよ」
「どう? いい目覚めでしょ?」
「そう見えます?」
司陰が顔を洗ってからリビングに戻ると、朝食がテーブルに並んでいた。
靄の作ったフレンチトーストをかじりながら、司陰は靄に尋ねた。
「それで、こんな時間に起こしてどうするんですか?」
「それはね、作戦日時が変更になったの」
靄は自身の端末のヨオスクニを開き、司陰に画面を見せた。
「『影入銃士』の開始時刻を土曜午前九時に繰り上げ……今日じゃないですか!」
「急遽決まったらしくてね。さっき咲田さんから連絡があって、八時半に集合場所に集まれって」
「開始時刻繰り上げの理由は?」
「外でも見れば」
靄はカーテンの閉められた窓を指さした。
司陰がカーテンの隙間から外を覗けば、外は真っ暗でバケツをひっくり返したような大ぶりの雨が降っている。
「台風がヘアピンカーブして直撃したって。この時期の台風が上陸するなんて珍しいよね」
「これは……作戦はどうするんですか? 傘でも持ちます?」
「まあ、カッパでも着ていくしかないよね」
「ですよね……」
雲行きが怪しいどころではない。
司陰は作戦に参加したことを今更ながら少し後悔した。
豪雨の中、駅前の広間に司陰と靄は向かった。
耐衝撃コートを着てビニールのカッパをその上に重ね着し、だというのに暑くないのだから異常というものである。
地面には水溜りが多数できており、その水面を雨粒が激しく打ち付けている。
鞄を傘に走るスーツの人間たちから少しばかり離れたところに水色のコートを纏う人が立っている。
二人はそれを見て、すぐに駆け出した。
「おはよう。十五分前に来たのね」
「「おはようございます」」
咲田も頭だけ透明な覆いを被って雨を防いでいた。
彼女は横殴りの雨で濡れた自身の髪を気にしながら、自身の端末を開いていた。
「あと三人は……あそこね」
手を大きく振ってアピールしている未雨が、咲田のヨオスクニのマップ上で確認できた。
咲田の端末では既に高校組五人全員が指揮下に入っていた。
「事前の説明通り、これから潜土砲手以外の月の対処を行います。第一隊は白澄大隊長指揮下の五百人が潜土砲手を誘引、撃破。他の五百人で『偽装』を用いて潜伏中の月を掃討します」
「質問いいでしょうか」
「どうぞ、押山隊員」
「作戦時刻は夜から朝にかけてのはずでしたが、どうして急に午前九時からに変更されたのですか?」
「それは思い込みを捨てればわかりますよ」
咲田はそういって黒々とした雲を見上げた。
「月の活動時間は夜に限りません。日の光の届かない地下や、このような濃雲の下では同じように活動できます」
ただし、と咲田は付け加えた。
「詳しい原理はわかっていません。なので、そういうこともあると納得してください」
最初の目的地は地下の空間だった。
地下鉄の退避路線。
まさに人の目の届かない場所。
「司陰君、」
「いますね」
照明のない闇の奥。
「おそらくCランクでしょう」
「押山、わかるのか?」
「はい」
先を見ながら司陰は言った。
「直感ですよ。『自爆』の月晶体と同じ雰囲気があります」
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