四十八話 異を混ぜ惑わすは無貌の者なり
司陰たちが病院へ乗り込んでいるちょうどその時、別の所でも動きがあった。
未雨と継琉が菜小のお見舞いに花でも持っていこうと途中の花屋で見繕っていると、金色の髪を乱して走りこんで来る人間がいた。
それはアステだった。
「お二人!」
「えっ、アステ? どうしてここに?」
「実は――――」
アステはテロ組織に誘拐され、監禁され、やっとのことで逃げ出して二人の元へ来たのだと語った。
「――――、押山と鏡野に助けてもらったけど、代わりに二人が!」
「マジ?」
「今すぐ助けに行かないと!」
話を鵜吞みにした二人の後ろでアステはほくそ笑んだ。
事情を知る人間からしたら安い芝居だ。そもそも司陰も靄もアステに関する手がかり一つ掴めていないし、助けた覚えもない。
さらに質が悪いのは彼女が誘拐されたのは事実ということだ。仮隊員の二人が正確な事情を知る由もなく、あっさりと騙された。
湯川菜小がいたら、あるいは結果は変わったかもしれない。
「早く行きましょう!」
未雨と継琉はまんまと騙され、渦中の病院へ向かう……。
・・・・・
「急げ!!」
「先生、どこへ!?」
「まず咲田のところだ! 合流して炎を突破する!」
菜小を背負った城島が先頭、後ろに司陰、
時折『吸血鬼』と思われる姿が進行方向に現れたが、全て一瞬で足を黒い何かに切断され、苦痛に喚きながら三人を取り逃がした。
やったのは城島の魔装だ。
『黒の結線』、点のように細かい無数の魔装が線と面を形成し、接触したものを素粒子レベルに分解し魔装を通じて虚空に還す。
まさに一撃必殺だが、行使するのに要する能力は朽ちかけの城島の体には重すぎる。
城島の足が止まる。
呼吸が満足にできなくなり、その場で胸を押さえて崩れ落ちた。
「先生!」
「グッ、大丈夫だ。まだしばらくは……」
「一度休んでから、」
「駄目だ!
「でも、まだ一般人が、」
城島は司陰の胸倉をつかみ上げて低い声で言った。
「ここにもう一般人はいない」
「え、でも、重症隊員と『吸血鬼』に捕まった人々は――――」
「仕方ないんだ。仕方ない……」
城島の力はいつになく弱かった。
そして、城島の言葉は自身に言い聞かせるようだった。
組織の上に立つものに要求されるのは目先の利益を追うことではない。
長期的に見て、ここで『吸血鬼』を一網打尽にしないと日本という国の存続が危ういのだ。
世界有数の月晶体大国でありながら少なすぎる魔装使い。原因は少子化か、子供への画一的な教育のせいか、どんな理由でも常に人員不足なのが事実。
それに、『偽装』という昼間も活動可能な月晶体が現れた。
限界だ。
『影入銃士』作戦は潜土砲手という『偽装』の象徴を排して余剰人員をつくるために無理に実行された。結果的に、後顧の憂いは絶てたが、最多の隊員を持つ第一隊ですら余裕がなくなった。
そこでこの追い打ち。
他国の狙いはいっそ清々しいほど成功した。
日本はもう今のままではいられない。
先に咲田大隊長が見える。
「咲田!」
「司令! 早く避難を! 話は聞いております!」
通路は焦げてはいるが、咲田によってほとんど消火済みだった。
ただし、そこそこ瓦礫が散乱して行く手を阻んでいる。
「下まで抜くか」
「先生、私がします」
靄が短剣二本をレール状に構え、斜めに収束された熱と光の束が走る。床を、コンクリートを貫き、火の粉とともに道が開けた。
城島は目で靄をねぎらうと、背の菜小を落とさない程度の速さで下っていった。
脱出してすぐに城島に連絡が入る。
『司令、裏口を守る霞大隊長から連絡が。所属不明の災害隊員二名と一般人が中に侵入しました』
「所属不明? まさか、」
『院内の妨害電波のせいで通信が取れませんが、月日高校の二年湯川未雨と一年白川継琉と推測しています。もう一人は和斗曰く、「災害隊員でない魔装使いで、人間のようなもの」と』
「アステ交換生だ。彼女も『吸血鬼』だったのか」
心配そうにこちらを見つめる司陰と靄を見て、城島も心が揺さぶられた。
『司令、』
「彼らの救助に行く。陽介、【陽炎の大砲】で裏口を援護しろ」
『了解、後一分で着きます。それと、司令、南西から雨雲が近づいてます。その一帯を完全に覆うまであと十二分です』
天罰ですべて焼き払うことができるのは晴れの間だけだ。
城島は天を仰ぎたい気持ちを堪えて咲田を裏口へ先行させた。
ただ、鏡野小隊には、指示を下せなかった。
「鏡野、待機を、」
「先生」
「待機だ」
「先生!」
妙に気迫のある靄に城島は気押された。
戦いのセンス、好戦的な性格、賢いくせに目先の利益を追求するその姿勢。
鏡野靄は所謂あの大隊長の子供なのだ。
妻の引き留めを振り払い、副官の咲田美明の忠告も無視し、激戦地に乗り込み月晶体の『自爆』で遺体も残さず消えた、彼の子供なのだ。
城島は立ち眩みがした。
「先生!」
「……ぁあ、無事だ」
「口から血が……」
城島の体はどうしようもなくボロボロで、この肝心な時に生徒の面倒も見てやれそうにない。
倒れこんだ城島は駆け寄る司陰と靄の手を掴み、引き寄せ言った。
「いいか、ヨオスクニの言うことは絶対だ。警告が出たら逃げろ。あの交換生はきっと強い。
一回頷くと二人は病院内へ逆戻りしていった。
残されたのは城島一人。
無理をして開いた傷で、物品倉庫の陰で地面に伏すより他がない。
足音が近づいてきた。
やけに綺麗な足音だ。
城島が眠気をまとう瞼を開くと、白い髪が見える。
長髪から覗く顔はいつ見ても綺麗すぎて、城島は急いで目を閉じた。
艶美で人を誘うような顔、傾城傾国の美女とは彼女のことを指すのだろうと、城島は何度も思ってきた。
「カミナシ、やってくれたな。何が普通の魔装使いだ。アステ、あれは人外だろう」
「答え合わせがご所望ですか? 彼女は元素機関の八十五番、十二番のマノの妹です。若いのに、強さの探求に節操がない。だから、厄介払いしました」
「魔女が」
「そういうあなたはヴェラ博士にゴキブリと言われてましたね。先生のセンスならファムファタルとでも言うのがらしいですよ」
先生、そう聞いて城島は笑った。
「最初に私の研究室にお前が来た時、私はかなり驚いたものだ。妻子ほっぽり出して研究に心血注ぐ私に、とんでもない美女がやって来たと思ってな」
「どうも」
「嫌味だ。妻が離婚のために不貞の証拠でも撮りに来たのかと思った」
城島は笑うが、やがて肺に異常でもきたしたか、何も喋らなくなる。
カミナシは横たわる城島の体にもたれかかるように座り、心臓に手を当てた。
そして、城島の耳元で囁くように宣告する。
「城島安吾、あなたには感謝しています。その命の灯を全力で使い、元素計画の進捗に大きく貢献した。なので、こうしましょう。あなたの娘の命はこれからも保証します。特別ですよ。本来は処分すべき例外です。そして、あなたには安らぎを。先生、さようなら」
墓はつくらない。
だから遺体は必要ない。
城島安吾はもうこの世にはいない。
【熱供の短剣】が人の腹を輪切りにする。
【紺黒の銃】が肉を穿つ。
そこは地獄だった。
司陰は血生臭い匂いに何度も吐き気を覚えるが、靄の必死に進む姿を見てその度に持ち直す。
『吸血鬼』になった人々は皆、不適合だったとでもいうのか、苦しみと憎しみをその目に抱いていて、目が合う度に司陰の足がすくむ。
ヨオスクニで確認したら、あと残された時間は七分だ。
猶予がもうない。
それが分かっているから靄は人を裂く短剣を振り続ける。
探し人は現れた。
未雨と継琉は呑気そうに階段前で座り眠っていた。
睡眠薬でも飲まされたのか、この地獄の中で深く眠っている。
靄が起こそうと近づいて、案の定妨害が入る。
飛来する瓦礫。靄に一部が掠って赤い血が落ちる。
飛んできた方向には、アステが立っている。
「よくここまで来ましたね。クラスメイト、いや災害殲滅隊員」
「アステ、どういうつもり? 返答次第ではこの場で始末する」
「ふふっ、『Depend on』ではなく、どんなレスポンスでも、ですね?」
靄は熱と粒子で【熱供の短剣】を拡張し、躊躇なしに空間を薙ぎ払った。
融けた瓦礫が飛び散るが、それにアステの血は混ざっていない。
跳び去ったアステは【グレイブスピア】を瓦礫の山に差し、すると瓦礫は等速直線運動で靄を目指した。
未雨と継琉も巻き込まれる位置にあり、靄は逃げられない。
「司陰君!!」
「わかってます!」
爆発弾倉を投げ、飛来する瓦礫に衝突爆散し、相殺する。
靄は跳び上がり天井を擦って爆炎を超え、アステの喉笛を狙った。
「アステ!!」
「訓練とは違いますよ!」
アステが【グレイブスピア】を靄に向けると、靄は重力と逆に天井に浮かんで叩きつけられた。
「殺す!」
「ここではあなたは弱者ですよ。見苦しい」
瓦礫の山が再び浮かび上がり、靄目掛けて集合し、彼女を重量で圧潰した。
直前、靄は司陰に指でサインを送った。
司陰は未雨と継琉を脇に抱えて来た道を全力で引き返した。
いざとなったらこの二人だけでも助ける。
菜小に未雨と継琉の元気な姿を見せる。
司陰と靄が二人で決めたことだった。
『警告:当該区域は三分後に完全消滅します。隊員は速やかに退避してください』
「無茶な」
司陰の脚力では二人を抱えて全力では走れない。
急いでギリギリ間に合うかどうか。
行く手を阻む者もいるというのに。
「押山司陰、見損ないましたよ。仲間を見捨てて逃げるなんて」
「裏切り者のくせに」
司陰の頬を横から拳ほどのコンクリート片が打ち付けた。
司陰は二人分の重さでふらつき倒れる。
「鏡野靄、彼女は見どころがあります。それに引き換えあなたは」
「うる、さい」
【紺黒の銃】を片手で持って狙うが、今度は全身への異常な重力で手を放してしまった。
アステが【グレイブスピア】を向けている。
「私は、力が欲しかった。あの人が私たち姉妹を助けた時、馬鹿な姉と違って私は自分自身こそが強くないといけないのだと実感した。だから、そのためには月の力を使うことも躊躇わない。そして、あなたたち弱者を虐げることも構わない」
「ふっ、力をまだ求めているなら、自分もまた弱者に過ぎないじゃないか――――」
口が強制的に閉じられる。
司陰への重力が一層強まり、声すら出せなくなる。
「強さは維持するもの。ウィークポイントを抱えたままのあなたこそ、まさしく弱者。今の状況こそが証拠です。これ以上あなたと会話はしたくありません。死んでください」
【グレイブスピア】が振り上げられる。
「アステ!! 焼け死ね!!!!」
伏せた司陰の頭上。
収束した熱と光がその廊下を席巻する。
肌が焦げるような熱気が司陰の肌に触れる。
靄が駆けよって、司陰を起こした。
「大丈夫!?」
「はい、なんとか。でも骨が折れてるかも」
肋骨をさすりながら司陰は靄の顔を見た。
珍しく、靄の目には涙がある。
「靄さん、目に、」
「汗だよ。早く行こう」
靄も歩き方が少しおかしかった。
血も出ているし、やはり骨がどこか折れているのだろう。
「早く」
「はい」
また未雨と継琉を背負おうとしゃがむ。
その時、後ろに天井を突き破って何かが降ってきた。
槍が刺さった爆弾。
咲田大隊長が解除した月光火薬の爆弾。
靄はしゃがんだ司陰の腹を掴んで全力で出口へ跳んだ。
司陰は絶叫する。
「二人が!!!!」
「いいから!!!!」
放射攻撃以上の熱気が司陰の背を押した。
「ここは……?」
司陰が目を覚ました時、そこはアスファルトの地面だった。
隣では靄が地面に伏している。
「起きた?」
「咲田さん」
横では咲田が二人を見守るように立っていた。
水色の耐衝撃コートは粉塵を浴びてくすんでいるが、怪我はなさそうだった。
「そうだ、咲田さん!! 二人がまだ!!」
「知ってる」
「そうだ、城島先生なら助けられるはずです!」
「そうね、生きていればね」
咲田は感情を殺すように淡々と言った。
「それはどういう……」
「見てなさい」
咲田は病院を見た。
上空をほとんど雲が覆い、辺りは薄暗い。
周囲はやけに静かで、立ち並ぶ災害隊員たちは皆悲観した顔でいる。報道陣は離れたところでカメラを向けて固唾をのんでいる。
病院が爆ぜる。
窓ガラスが吹き飛び、鉄筋コンクリートの建物がまさに四散しようとした瞬間。
空から降ってきた光の柱が爆炎を封じ込め、全てを滅した。
それは雷光のように強烈で、噴火のように畏怖を起こした。
「あなたたちの先生は死んだ。そして、たった今二人が鬼籍に入ったわ」
司陰は何も直視できなかった。
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