四十二話 今を蝕む

 国際月面開発機関。


 国連本部の近くに位置する、表向きは月面開発の推進に向けた国際協力、裏では月晶体ルナモルファス殲滅のための技術開発を行う機関だ。




 ここが定期的、あるいは開催権を持つ国のタイミングで開くのが月面開発推進特別会議、略して特会だ。


 日本を含め、参加国はこれに外交官と魔装使い――――日本で例えるなら大隊長クラス以上――――を出席させなければならない。


 そういう規則はないが、不文律というものだ。








 特会の扉の前でしきりに時計を確認しているのは日本の外交官。


 怪我で出席不能の災害殲滅隊司令官に代わる魔装使いを待つが、開始時刻が目前に迫ってもなかなか姿が現れない。




 と、そこに足音が近づいてきた。




「羽賀大使殿、遅れて申し訳ない。何分忙しいもので」


「いえいえ、よくお越しくださいました、白澄殿。仕事も忙しいでしょうに。それにしても、司令官が負傷したとの噂は本当だったのですな」


「ええ、ちょっとした事故ですよ」


「ちょっと、ですな」




 羽賀は裏の事情に精通している。


 白澄に司令官のことは問わなかった。




「それより、早く入りましょう。特会の開催権を握る国の外交官様と魔装使い遊び人がお待ちですよ」


「はは、白澄殿から見れば確かに彼らは遊び人ですな。仕事の一部でも代行してくれたらいいものですが」


「彼らには荷が重い。我々の練度は他の国のひよっこが比類しようなど考えるのもおこがましいほどだ」




 白澄はいたって真面目に話したが、羽賀は苦笑した。




「本日の話題はご存知ですかな?」


「魔装使いの国際交流、でしたか。随分平和なことだ」


「平和なのは表向き、ここは水面下での攻防を繰り広げるところですよ。さて、次期司令官のお手並み拝見といきましょうか」


「買い被り過ぎですよ。……あの方なしに災害隊は動きませんから」




 羽賀は「ご謙遜を」と返したが、白澄の言葉を否定はしなかった。






 ・・・・・






「はい、私の勝ち」


「また負けた……!」


「靄さんインチキやめてくださいよ」




 ババ抜きで何回目かのリベンジマッチ。


 結果的には靄の連勝記録が伸び続けている。




 朱柚が立ち上がって靄の全身をくまなくチェックするが、当然何も怪しいものは見つからない。




「むむ……サングラスも試したし、こうなったらもう目隠しぐらいしか……」


「それは試合じゃなくてただのおみくじ。真面目に考えるならビデオ通話でオンライン対戦形式とかどうでしょう」


「あの……ババ抜き一つにそこまでするの?」




 靄も勝負事で手加減する性格ではないが、それでもいい加減うんざりしていた。


 なにせ試合中は喋ることすら許されないのだ。


 私語厳禁の試合とはもはや家ですることではない。




 あちこちまさぐってくる朱柚を靄は持ち上げてどかし、リビングを離れようとした。




「どこ行くんですか?」


「勉強! 二人とも勉強道具持ってきなよ」


「靄、私はまだ高一」


「それは理由じゃないですよ……。ほら、行きましょう」








 テーブルの前で勉強に悪戦苦闘している朱柚を尻目に、司陰は靄へ尋ねた。


 靄は朱柚と対照的にペンを止めていない。




「靄さん、今日の十九時からの任務、早めに行きますか?」


「どうして?」


「いや、確か駅の地下辺りの通路で、人避けをしないといけないんですよ。帰宅者で混むでしょうし、念を入れてもいいのかなって」


「ふーん」




 靄は司陰の話にのってこなかった。


 珍しく思って司陰がノートを覗けば、高一の司陰でもぎりぎり分かる問題と永遠に格闘しているようだった。


 見られていることに気づいて靄はノートを胸元に引き寄せ隠し、消しゴムを司陰めがけて投げた。


 そして司陰のおでこに命中。




「痛っ。怒らなくても」


「怒ってない! 私は問題一つ一つをじっくり考えるタイプなの!」


「それって物は言いようってやつですか?」


「ふん!」




 靄はクッションを投擲、司陰がそれを手で弾くと、クッションは放物線を描いて知恵熱で唸っている朱柚の頭上に衝突した。




 朱柚が頭を上げて司陰を睨み、司陰が首を振ると視線は靄へ。




「何するの!」


「ごめん、流れ弾」


「納得しないから!」




 朱柚は月晶体と『同化』した時に一般人を超える域の運動能力を獲得している。それを遺憾なく発揮して靄へ飛び掛かった。




 おふざけ半分本気半分の取っ組み合いの攻防はしばらく続いた。


 二人の見えてはいけないところの露出に居た堪れなくなった司陰はすごすご自室に退散した。
















 現在時刻は十九時。


 場所は都内路線の乗り換え駅の一つで、まさに帰宅ラッシュの最中だった。




 封鎖が行われたのは乗り換えるための通路の一つ。


 朝ほど混まないとはいえ、急な通行止めに不満を持つ客は多くいたようで、駅員はその対応に追われていた。


 駅員からしたら災難である。




 もちろん、任務にあたる司陰と靄だって楽なわけではない。


 任務は常に命懸けだ。遠回りしたって死ぬわけではないのだからそれぐらいの労力で文句を言われる筋合いはない。




 ただ、それで納得する者ばかりでないのが人間である。








「どいてくれよ! 次の電車を逃したら帰宅が二十分は遅れるんだ!」


「そう言われましても、ここは通行止めですので他の通路を使用していただくしか……」


「どうして!? 別に何もないんだろう!」


「そこは私共にはさっぱり……」


「ならいいじゃないか!」




 予想出現時刻数分前になにやら口論が近くで行われていた。


 駅員も本当は門前払いすればいいのだが、そもそも災害殲滅隊を知らないので詳しい説明ができずに男を納得させられない。


 男は話している間にも時間が過ぎているので強引に通ろうとした。




 そこで、靄が仕方なく持ち場を離れて男を止めに行った。




「そこの人、ここは通行禁止です」


「は? おい駅員、俺は通れないのにこのガキは通れるのか? おかしいだろ!?」


「だから私共には……」


「駅員さん、私が話すので」




 これ以上話がややこしくなると困るので靄は駅員を黙らせた。


 すると、靄を明らかに見下した目で見ている男は露骨に靄を無視して通ろうとした。




 それを見て、靄は即座に男を背後から掴んで地面に押し倒して拘束した。


 靄の尋常ではない力で男は抑え込まれる。




「おい! 何するんだ!」


「実力行使です。あなたが私の制止を聞き入れないので無理矢理止めました」


「警察呼ぶぞ!」


「どうぞ。これは正当な行為ですから」


「くそっ!」




 書類上は災害殲滅隊は警察などとそう変わらない立場にある。


 身分は公にはできないが、任務妨害をする者に対しては実力行使が許されている。


 それを知っていれば男も納得したかもしれないが、諦めの悪い男はまだこの通路を諦めていなかった。




 男は靄が解放した後、元通りに進もうとした。


 そこで靄がとどめの一声をかけた。




「もう間に合いませんよ。あなたが全力で走ってもあなたの帰りが遅れるのは確定です」


「なっ」


「よかったですね。この道を使う理由がなくなりました。なのであちらからどうぞ」




 靄も多少の苛立ちはあったのでここぞとばかりに晴らしておいた。




 男はそれで呆然として立ち尽くした。


 何をたった二十分でそんなにショックを受けるのか分からないが、ここに固執する理由は消失した。








「こちらも忙しいので、早く去って――――」


「――――ガキが」




 何が男をそうさせたかは分からない。


 靄の煽りが効いたのかもしれないが、会社勤めである男が暴力を使うのは社会的タブーのはずだった。


 だが実際現実として男は凶行にはしった。




 靄は男の拳を紙一重で躱したが、態勢が崩れて転びかけた。


 相手は一般人、月晶体と違って迂闊に反撃すれば殺しかねない。


 そんな躊躇で靄は次の瞬間におとずれるだろう衝撃を覚悟した。








「止まれ」


「ぇ……」




 男の額に突きつけられる晶化銃拳銃


 靄の顔寸前で止まった拳。


 靄を後ろから優しく抱き留めて支えたのは司陰だった。




 司陰は靄をお腹で支える左手に力を込めて男から引き離し、暴力の権化たる拳銃に驚き硬直した男を睨んで言った。




「迂回に納得せず、逆上して暴行未遂、どういうつもりですか?」


「そんな、つもりは、」


「なかったとでも? 今の状況で?」




 男は黙り込んでしまった。


 そのまま放心状態になって腰が抜けて座り込んだ。


 もう抵抗する気は起こさないだろう。




 いつになく強気な司陰に後ろから靄が指でつついて尋ねた。




「司陰君、持ち場は?」


「あっ」




 ヨオスクニのアラームが鳴った。












 鏡野小隊が油断している間。


 月晶体にとってチャンスともいうべき時間だったが、Dランクの異能なしの月晶体、スプリンクラーが発動しない程度の弱火で【熱供の短剣】に焼かれた。




 司陰と靄はその後急いで男の場所に戻ったが、男は何故かおらず、代わりに高級そうなスーツ姿のいかにも会社員といった男に変わっていた。


 彼は二人に気づくと歩み寄ってきた。




「任務お疲れ様、鏡野小隊のお二方」




 二人は困惑して顔を見合わせた。




「誰でしょうか?」


「今はただの会社員です。まあ、これから近くのホテルで仮眠をとってから任務ですけどね。なにせ大隊長不在なもので非番の私に任務が回ってきてしまった」


「あっ、もしかして」




 司陰は特会開催で日本にいない白澄のことは知らないが、これから任務と聞けば立場はすぐに分かった。


 彼はネクタイを外してから改まって二人に話しかけた。




「どうも、第一隊霞小隊小隊長の霞和斗です。会ってすぐで申し訳ありませんが、諸事情あってあの男はこちらで身柄を押さえましたので、もう帰っていいですよ。駅員にも話は通しておきました」




 霞は二人に一切話に入る隙を与えずに続けた。




「ちなみ、詮索無用です。今日のことは忘れてください。あなたたちは任務を受け、偶然私に会い、そして帰宅した。いいですね? それではさようなら、お二人さん」

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