十六話 本部行きの彼ら
司陰と靄が二人だけの生活を始めた頃。
満員電車の中、スーツを着込んだ男性が立っていた。
その男性は電車を降りると人混みと共に駅内部を進み、やがて人混みから離れて『関係者以外立ち入り禁止』の扉へ入った。
扉内部にはセンサーが設置されており、彼が手をかざすと何もない目の前の壁が左右に分かれ、エレベーターが現れた。
そのエレベーターでしばらく地下に潜れば、扉が開いたときに広がる景色はまた駅のプラットホームになる。
そのプラットホームは本来の駅とは異なり閑散としていて、彼の他には華やかに飾り付けられた水色のコートを纏う女性が一人。
その女性は彼に気づいた様子だったが、彼の方を向くことはなかった。
そんな彼女の様子を見て、彼は彼女から少し離れたところに立った。
しばらく駅上部から響く列車の走行音のみが辺りを包んでいたが、その女性が横目で男性を確認し、諦めて話しかけた。
「どうしてあなたがここにいるのでしょうか。あなたの今の担当は第四十支部、そうでしょう? 則人さん」
「別に僕は本部の研究者なんだからここに居てもおかしくないだろう? それに、君こそ自分の隊の状況を把握するべきだ、第二隊の
「あなたに言われるまでもなく把握していますよ。少なくとも鏡野小隊の現状は」
真賀丘と咲田は決して短い付き合いではないが、性格の問題で関係は微妙だ。
さらに言えば、そもそも真賀丘の所属する災害殲滅隊直属対月晶体装備開発研究隊、通称月装研が第二隊とあまり仲が良くない。
不仲の原因は、大隊長である咲田が月装研の秘密主義を嫌っていることではあるが、真賀丘からすれば一方的な因縁である。
ホームに電車が入るアナウンスが流れる。
「私は別の車両に乗りますので、いつもの秘密ごとなら勝手にどうぞ」
「そちらこそ、あんまりお堅いとしわが増えますよ」
咲田は真賀丘の余計な一言は聞き流して去っていった。
ホームに入ってきた電車には時間帯の問題で誰も乗っていない。
真賀丘は咲田が開いた扉の中に入るところを見ながら呟いた。
「まあ、彼女も自分の部下が危険な橋を渡ってると知ったら当然怒るか。災害隊の中では情がある方だからね。でも、上からの指示だ。彼女にはまだしばらく苦しんでもらおうか」
真賀丘も電車に乗り、自動運行の本部行き地下鉄は駅を発った。
彼の呟きは誰もいなくなったホームに溶けて消えた。
・・・・・
司陰と靄がくつろいでいるのは第四十支部の大部屋。
彼らが座るソファは相変わらず部屋でかなりの存在感を有しているが、他のものはかなり少なくなっている。机の上の荷物やキッチンの周りも片づけられ、生活感がなくなった。
極めつけは玄関付近の大量の段ボール箱だ。
「引っ越し準備も終わってひと段落と。それで、これからどうするんですかね」
「さあね。私の記憶だと本部に居住施設はなかったような気がするし、付近のマンションでも貸してくれるんでしょ。まあ、いずれにしても引っ越しだね」
「ですよね……」
司陰の入学からひと月以上が経って、彼にも学校の友達がいる。部活に入ってないので迷惑はかけないにしても、彼らと別れることはなかなかに寂しい。
それは靄にとっても同様で、高校二年生の靄にはなおさら別れの辛さがのしかかる。
「お別れはね、つらいよ。それがひと時の別れでも、永遠の別れでも。確かな意志がないと立ち直れなくなる。司陰君も少しはわかるんじゃない?」
靄は真っすぐ司陰の目を見つめながら言った。
彼女の言葉には実際に大きな別れを経験したような重みがあった。
「それはそうなんですけど……俺にはまだ何とも言えないです」
司陰は初めて月晶体に会う前に親に引っ越された。
だが、その後の出来事が彼からその悲観を流し去ってしまった。
それに、司陰の別れはひと時の別れとはいえ、何も初めてのことではない。
彼が両親の引っ越しへの動揺が少なかったのはそれなりの理由がある。
「――――司陰君? 大丈夫?」
「……えっ、あっ、大丈夫です……」
「本当に? 似たような境遇なんだし、相談ならいつでものるよ」
「……ありがとうございます」
自身の事情を話した靄に対し、ほとんど何も明かさないままの司陰だ。
彼女の優しさは心にしみるが、少し心苦しくもある。
「話したくないならそれでいいよ。私のことは私が勝手に話しただけだから。でも、その、ぱっ、パートナーとして、いつか教えてね」
先ほどまで司陰の方を見ていた彼女はそう言うとそっぽを向いてしまった。
司陰が向いても目を合わせない。
気恥ずかしさか、それとも彼への不満か。
「靄さんに隠し事はしませんよ。とはいっても、秘密は守りますけどね」
「そこは嘘でもいいから全部暴露するって言ってよね」
今日の第四十支部には笑いが響いている。冬の残り香たる寒さは消え、春の陽気は人の和み合う様子を祝福している。
二人の心の間にもはや壁はない。
お互いのパーソナルエリアに踏み込めるようになること。
それは確かに達成されたのだった。
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