第9話 初代様の思い出


 十六世紀のヨーロッパ、シルフ達が住む山脈でティアは泣いていた。


 落ちこぼれ、それが周りからの印象だった。


 もちろん、そんなことをあえて口に出す者はいないし、嫌がらせをする者もいない。


 それでも、ティア自身が自分はみんなよりも遅れているという劣等感にさいなまれ、いつも一人で泣いていた。


 内向的で、みんなと一緒に空を飛ぶことも、花の香りを楽しむこともなく。


 持ち霊を探して時折訪れる召喚術師達に見向きもされず。いつしか術師達の前に姿を現さなくなった。


 風属性の基本であり、人間に友好的なシルフは召喚術師達の間でも人気が高く、人生最初の持ち霊はシルフという召喚師も少なくない。


 周りのシルフ達が、召喚の対価としてもらう霊力の気持ちよさや、自分のマスターの話題で盛り上がっている時も、話には入れなかった。


 そんな彼女だから、今、目の前の現状に大変困惑していた。


「……人?」


 頭から地面に突き刺さり、珍妙なオブジェのように見える人間に顔を引きつらせ、ティアは混乱した。


 遡ること二〇秒前、崖下の草むらで一人泣いていると突如上から男性の絶叫が聞こえたのだ。


 シルフは男が全体の一割未満で、必然として一夫多妻制社会をとっている精霊である。


 当然、ティアの住んでいる山で男の姿を見かけることは少なく、みかけても召喚師だったりする。


 だから男性の声が珍しくて思わず上を見るといきなり人が降ってきて地面にヘッドダイビングをかましたのには度肝を抜かれた。


 ボグッ! と不気味な音は決してティアの幻聴などではなかったはずだ。


 いくら一般人とは比較にならない肉体強度を誇る魔道師でも、崖の高さを考えれば首の骨がへし折れているはずなのだが……


 ティアが恐る恐る足を引っ張ると、ボコッと頭部が地面から引き抜かれて。


「ぶはぁっ! 川の向こうにお花畑が見えたぜ」


 男が肩を鳴らすと頭上から再び男性の、だが今度はやたらと野太い声が聞こえてくる。


「うおおい、時則(ときのり)、無事かあー?」


 そのいでたちにティアはギョッとした。


 燃え立つような赤い髪と真紅の双眸、皮製の服の上からでも分かる筋骨隆々の肉体からは丸太のように太い手足が生え、分厚い胸板は戦車の主砲も防ぎそうな印象を受ける。


 そして背中に羽織った紅い毛皮のマントは、そんな彼の存在感をさらに引き立てる役目をしている。


「ははは、どうやら無事のようだな」


 豪笑する巨人がふわりと降り立つとティアは腰を抜かしてしまった。


 彼の纏う霊力は魔王クラスどころの騒ぎではなかった。


 大魔王クラス、Aランクソルジャーすらもはるかに凌駕する圧倒的な霊力に心臓が萎縮するのを感じた。


「おう、川の向こうで金髪美女達が呼んでいたけど同じような女ばかりで飽きそうだったから帰ってきた」

「そいつは結構、しっかしお前なあ、あの吊橋を渡ろうとするなど無茶にもほどがあるぞ」


 頭をボリボリと掻きながら自分を見下ろす巨漢に時則は上を指して舌打ちをした。


「んなこと言ったってよう、あんなおもしろそうなモンがあったら度胸試しに渡りたくもなるじゃねえか」

「だとしても一歩目から吊橋全体が崩れたではないか」


 言葉につまる時則、よく見ると、彼は見慣れない服装をしていた。


 ティアが昔、話に聞いたことがある東の島国の民族衣装、着物、とかいうものであると思い出したところで、二人の視線が彼女に向いた。


「この娘は?」

「ああ、俺を引き抜いてくれたんだよ、助かったぜ」


 飄々とした口ぶりの男は、おそらく二十歳未満、青年と呼ぶに相応しい年だろう、黒い髪と目をしており、この国ではほとんど見ないアジア系の顔立は割りと精悍な印象を受ける。


「なあなあ俺召喚師なんだけどさ、お前シルフだろ?」

「ふえっ!? あっ、はい、そうですシルフです。ティアって言います」

「契約は?」


 時則の問いに、表情を曇らせてティアは顔を伏せた。


「まだ……なんですけど、わたし、おちこぼれで……契約する価値なんて……」

「ほほう、この娘、まだフリーらしいな」

「ああ、じゃあお前俺の持ち霊決定な」

「はい?」


 なんの悪気もなく、子供のようにニッと笑う青年に、ティアの理解力が及ばない。


「あっ、あの……話聞いてましたか? わたし、シルフとしての力が全然」

「そんなんお前が決めることじゃねえだろ? 俺と組んで使えるかどうかは俺が決めるのそれとも俺がマスターじゃ不服か?」

「そそ、そんなことありません、誘っていただいて、すごい嬉しいですっ!」


 手を体の前で振りながらまくしたてる少女に、時則ともう一人の男は顔を見合わせニカッと笑い合った。


「よし、じゃあシルフも仲間にしたし、あとはこの山を探検すっか」

「ははは、貴様はいつもながら、まるきり子供だのう」


 言いながら自分も子供のように笑いながら男は時則の横を歩いていく。


 状況を詳しく飲み込めないまま二人の後ろをついてくティアはこの後、巨漢の男が伝説のイフリート、ボルファーであることを知り驚愕、さらに夜になると「今までどこをほっつき歩いていたんですか」と冷厳な眼差しを湛えたアリアに会い、本当に今日この日はティアにとって忘れたくても忘れられない日となった。


 だが、一番驚いたのは、ボルファーもアリアも、召喚に応じて馳せ参じるのではなく、常に寝食を供にし、家族同然に暮らしながら旅をしている点だった。


 次の日、ただ劣等感を感じるばかりの山脈に一礼して、ティアは時則について行った。


 その日から、時則はボルファーとアリアの協力を得ながらも、着実にティアを鍛えてあげた。


 決して辛くはせず、優しく、親切に霊力の使い方を根気強く教えてもらった甲斐もあり数年の間にティアはメキメキと実力を伸ばし、時則はティアの力で空を飛ぶのを気にいり彼女は移動の際に重宝された。


 さらに、移動だけでなく、時則の妻となった女性の料理の腕が殺人的だったこともあり、ティアは一生涯、時則の食事の世話をすることにもなった。


 召喚術師協会では「炊事洗濯と家事なんかをやらされて精霊としてのプライドはないのか?」と言われたが、ティアにとっては、自分の存在価値を見出してくれた時則に尽くすのが何よりも生き甲斐になっていたので少しも気にはならず。


 そう言われた時は決まって。


「時則君のお世話をするのが、わたしの生き甲斐ですから」


 と、笑って答えるのだった。


 しかし、鷺澤時則が死んでも彼女が山に戻ることはなかった。


 数百年後の現在も、彼女は毎朝の日課をかかすことはない。


 いつもどおり、寝ぼすけの青年を優しく揺する。


「義徒君、朝ですよ」

「……んっ、ああ、今起きるよ、ホント、いつも悪いな」


 眼を擦り上体を起こした少年に笑いかけて、名前以外は数百年間のままに。


「義徒君のお世話をするのが、わたしの生き甲斐ですから」


 家族には「鷺澤家のお世話をするのがわたしの生き甲斐ですから」と言うのに、彼女は義徒に対しては決まってこう言うのだった。



 

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