第18話 ウンディーネの涙


「なあアリア、俺明日死ぬわ」


 不意に発せられた言葉に一瞬手が止まり、アリアはかぶりを振った。


「失礼ながら、時則殿が死ぬことはありえません、たとえ神が相手だろうと、私が守りますから」


 酷く落ち着いた返答に、時則は微笑んで、静かに口を開いた。


「悪いけど今回の敵は殺せねえよ、何せ敵は俺の体自身だからな……」


 聞きたくないとばかりにアリアは無視して布団の歪みを直す。


「こいつには、お前ら以上に俺のバカ騒ぎに付き合わせちまったからな、もう、休みたいってよ、英国風にいうならドロップアウトってやつだな」


 自身が一番良く分かっていたのだろう、今まで繰り返してきた、生死をかえりみない蛮行の数々に肉体が限界を超えていることに。


 アリアの手練(しゅれん)が乱れる、布団を整えるはずなのに手を動かせば動かすほど彼女の心中を体現するように布団にシワがより、かえって乱れてしまう。


 気付けば、数十年間繕ってきた気丈な仮面は脱げていた。


 呼吸を乱しながら、視界が涙で歪んでくる。


 最初から分かっていた。


 人間の寿命などたかがしれている、一世紀を生きるのが限界だと、そして家族は誰も気付かなかったが。


 時則の睡眠時間が徐々に伸び、瞳の奥で燃え滾っていた力が消えそうになっていることに……アリアも悟っていた。


 時則がもう長くないことを、それでもそんなはずはないと平静さを守ってきたが、本人の言葉をトドメに、ヒビだらけの鎧は打ち砕け、もう直すことは叶わなかった。

 心の中で「嫌だ」と叫び続けた。


 戦場で常に彼の傍らで剣を振るってきたから知っている。


 死ぬのがどういうことか、二度と話せなくなり、二度と視線を交わせなくなり、そして、二度とその温もりを感じられなくなる。


「時則殿!」


 もう踏み止まることなんてできなかった。


 決壊した涙腺は涙を止められず、子供のように時則の胸の中で泣き喚いた。


「死なないでくださいッ! 何百年でも何千年でも生きてくださいッ! 貴方が、貴方だけが私の主ですッ! 貴方に尽くす! 貴方に従える! これからも私を導いて欲しい!

 貴方と同じ道を歩ませて欲しいっ!」


 切望するアリアの頼りない肩を抱いて、時則は語りかけた。


「無茶言うなよ、でも、俺のためにこんなに泣くなんて……やっぱアリアは可愛いな」


 ニッと笑う時則にアリアは涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま赤面してしまい、その夜は来るはずもないのに敵に備えてと言い張り、一晩中、時則の側を離れなかった。





 千を超える精霊達と契約し、それぞれの族長や王との間に人間達との連携がより密なものになるように取り計らうよう約束をさせ、その他、多数に及ぶ、召喚術師としての史上類をみない偉業の数々は魔道の歴史に永遠に名を刻み付け、鷺澤家は彼一代で魔道の名門へと押し上げられた。


 だが、彼には人望がなかった……


 どんなに偉業と成し遂げようと、どんなにすぐれた技術を持っていようと。


 彼の魔道師としてあまりに逸脱した精神性や行為は、周囲の魔道師や協会からすれば、ただ無秩序無計画な無法者にすぎず。


 協会の方針にもことごとく逆らい、異端スレスレの存在とも認識されかねない所業のせいで「実力は認めるが魔道師としては最低だ」などと言われる始末だった。


 彼の子供達はせっかくその地位を高めた鷺澤家を守るため、父のイメージを払拭(ふっしょく)させようと、どこまでも模範のような魔道師に徹し続けた。


 結局、妻や数少ない、かつての仲間達よりも長く生きた鷺澤時則の最期には誰もかけつけず、彼の死は一万を超える精霊幽霊、亜人種怪物、天使悪魔といった者達に見取られた。


 時則の死は世界中のあらゆる人外の存在が悲しんだ。


 人類の歴史上、これほど愛され、これほど惜しまれた魔道師はいないだろう。


 彼のことは、魔術協会の歴史には最強だが失敗したときのことを考えず、魔道師としての嗜(たしな)みも知らない愚者としての側面を持ちつつ描かれたが、精霊協会や亜人種協会の歴史には、史上最高最優の召喚術師としてその名を刻んでいる。


 彼の死後、この屋敷に残り続けると誓った四人は庭で、朝日の光が訪れるのを待った。


 そして主を失って初めての一日が始まると同時に、他の三人と同じくしてアリアは誰よりも気丈に、誰よりも高らかに天上を仰ぎ見て誓った。


「我が主、鷺澤時則への忠義は彼の死を以ってしてもなお不滅! 時則殿への忠節と大恩がため、私は鷺澤家を末代まで守り続けることを誓う!」


 アリアが白銀の剣を天に掲げると、刃は朝日を反射し、彼女の義を象徴するように輝いた。

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