第13話 出陣準備



 鷺澤家、洋館の後ろに建てられた武家屋敷にある、ボルファーの私室にて二人は言葉を交わしていた。


 一人は当然、この部屋の主であるボルファー、圧倒的な存在感と威厳の前に義徒やティアは気圧されてしまうが、彼に対峙する女性は別のようだ。


 流れるような青い髪を畳の上に垂らし、正座する玲瓏(れいろう)な女性はアリアに他ならない。


 白く、たおやかな指先で湯飲みを下に置き、小さな唇を開いた。


「ボルファー殿は……義徒殿をどう思いますか?」


 茶を半分ほど飲み干し、「ふむ」と言いながらボルファーも湯飲みを畳の上に置く。


 二メートルを軽く超えるボルファーの私物である湯飲みは、女性としては長身の部類に入るアリアの手でさえ、両手でないと手に余るサイズだが、この炎の魔人の浅黒く、岩のようにゴツゴツとした巨大な手にあっては、やたらと小ぶりに見えてしまう。


「素質だけなら、おそらくは時則に迫るモノを持っておるな、だが問題は……」

「精神面……ですね……」


 いつになく神妙な面持ちのアリアに、ボルファーは小さく頷いた。


「時則のやつの子孫は皆、魔道師らしい魔道師であったが、どうして今の代になってあんなお優しい洟垂(はなた)れ小僧が生まれたのやら」

「確かに、義徒殿は鷺澤家の歴史の誰よりも魔道師らしくはありません、ですが、鷺澤家の歴史上、最も時則殿に似ているのも義徒殿です」


 そう呟くアリアの声はとても優しく、普段の義徒に対する厳しい顔は慈愛に満ちている。


「あの方は、誰よりも優しくて、真っ直ぐで、いつも無茶ばかりで、本当に苦労が絶えない方でした。魔道協会から日の本の大うつけ、なんて言われても、決して人助けをやめなかった」


 遠い過去、自分が生涯で最初に仕え、全てを捧げた人に思いを馳せるアリアの顔は、いつもの清爽な美しさではなく、聖母のような、温かみのある美しさを放っていた。


「だがなアリア、時則のやつは無茶をしてもそれに実力が伴っていた。小僧のように出来もしないことをほざいたり、矛盾した理想論を描いたりはせんかった」

「……彼は……誰よりも人を失う悲しみを知っている……殺されること以上に、相手を殺すことが……殺した相手の大切な人を悲しませるのが恐くて仕方ないのでしょう」


 視線を落として語るアリアにボルファーは鼻を鳴らして言葉を返す。


「ふん、魔道師の分際で殺すのも殺されるのも恐いとは情けない、もしもあの小僧がその考え方を曲げないのであれば、それこそ時則モドキだな、奴はそんなことは考えん、仲間のために向かってくる奴は残らず倒す。根っからの悪でなければ殺さず盃を交わして朋(とも)となる、できる限り人を殺さず、みんなと笑いながら暮らしたい、奴の理念は甘いが筋は通っている、だが小僧のはただの絵空事ではないか」


「誰も失いたくないけど誰にも失わせたくない、確かに義徒殿の言っていることは矛盾です。誰も失わないなら、敵を排除しなければならない、でも失わせたくないなら排除できない、毎回、追い払うだけに留めれば可能でしょうが……」


「そんなことできるわけなかろう、自衛しかせぬなら敵が攻めてこないと動けん、だが攻められるとは被害が出るということ、現にこの街では日々犠牲が出続けている。連鎖を断ち切るには諸悪の根源を絶ってしまうのが一番なのだがな、まあ、死にそうになるたびに霊力の抑制が外れるようなガキにそんなことができるとも思えんが」


「……わかっています」


 見れば、アリアの手は震えていた。

 うつむいた顔は悲しみに歪み、いつのまにか涙が溢れそうになっている。


「私だってわかっています……義徒殿の言っていることが矛盾していることも、それが不可能であることも……あの方には、一日も早く魔道師としての心構えをもっていただかなければいずれは……死んでしまうことも……ですが私は……」


 最後のほうはもう、涙で声が掠れていた。


 一人の騎士として、義徒の家臣として、誰よりも義徒が大切であった。


 義徒の夢は自分の夢であり、その大望を果たすためなら自分は義徒の剣となり鎧となり主の望んだ理想のためにどこまでも凄絶に駆け抜けようと誓った。


 だが、騎士の役目にはそれと同じくして、主を守りぬくというのもある。


 義徒の夢は、いずれ彼自身を滅ぼすだろう、彼を支え、彼の夢をともに目指しながら彼を守る。


 そんな方法は……一つしかない……


 日頃の余裕は消え、大粒の涙を流しながら、それでもギリギリのところでなんとか踏み止まるアリアの頭に、大きくて堅い、だが温かい手がそっと置かれた。


「鷺澤家への忠節、大儀である、貴様の心意気、初代鷺澤家当主、鷺澤時則よりこの家を任されたこのボルファーが賞賛しよう、そして、今はあの小僧もおらん、そんなに気を張らんでもよい、数百年も昔より共に戦場を駆けし盟友と悲しみを分かち合うのも武人の心得である」


 言われた途端、アリアの眼からさきほどまでの倍に値する涙が溢れ、少女のように泣き崩れた。


 気がつけば、彼女はいつのまにかボルファーの腕の中で泣いていた。


 冷たい水の精霊にとって、火の精霊のぬくもりは温かすぎるが、今のアリアにはそれがちょうどよかった。


 彼女の総身を、義徒の思念が包んだのはその時だった。


「ボルファー殿」

「うむ、行って来い」


 泣き腫らした弱い顔を一瞬で戦士のソレへと切り替え、彼女の闘争心に反応して彼女の霊力が紺碧(こんぺき)の鎧を形作る。


 彼女の呼びかけに呼応して青と銀に彩られた剣が手に収まり、水の騎士は次元の彼方へ消え去った。


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