第16話 トラウマ


 涼やかな声のあとに部屋の障子がスッと開いた。


「ほら、ティアが焼いたケーキだぞ」

「えへへー、アリアちゃんありがと」


 皿を受け取って嬉しそうにチョコレートケーキをほお張るファムの甘党ぶりに嘆息を漏らしながら義徒は視線をアリアに戻した。


「アリア、そのとおりってどういうことだ?」


「なにせ、ネクロマンサーほど人体を知り尽くした術師はいないからな、自分の体を改造するのだって簡単だ、中には自ら半アンデットと化して延命を図るリッチという種類のネクロマンサーまでいるぐらいだ。このさい顔や年齢はあてにならないと思って欲しい」


「ってことは今年引っ越してきた人は全員怪しいのか?」


「まあ、死体を同居人のようにすれば家族連れも装えるが、被害者の年代を考えれば、情報を手に入れやすい、学校などで働いている可能性は十分にある、確か義徒殿の担任である山下殿は今年赴任してきたばかりでは?」


「地球が砕けてもありえません」


 軽く右手を上げて真顔で義徒が答えるとアリアは腕組みをして溜息を吐いた。


「フム、だが人種が近いほうが変装しやすいのも事実、一応はそのロベルトとか言う者を警戒しておきましょう、ですが、社会に溶け込まず、どこかに秘密のねぐらでも構えている場合も考えられます。それと、ネクロマンサーの力なら知らない間に誰かとすりかわっていることもありますから、知り合いだからと言って決して油断しないでください」


 それだけ言ってアリアは退室し、その後で義徒の脳裏には山下の代わりに朱美の顔が浮かぶ。


「税金が正しく使われてもありえないな」


 自分が持つ日本国への不信感を暴露しつつ苦笑して、義徒も退室しようとすると不意に足の動きが止まる。


 見れば、ファムが自分のズボンの裾を小さな手でキュッと掴んでいた。


「んっ、どうしたんだファム?」


 するとファムは朱美のように擦り寄ってきて見上げてくる。


「ねえねえ、ファム頑張ったんだから霊力ちょうだーい」


 本来、召喚術師とは精霊の召喚後の働きに応じて精霊に霊力を与える。


 だが鷺澤家は必要に召喚するのではなく、常に家で暮らしている、そのため、鷺澤家はファム達四人に部屋や必要に応じた飲食物や衣服を与え、働きに関係なく週末に霊力を与え、何かの任務でいつも以上に働いた場合は臨時報酬として霊力を与えている。


 今はマスターも当主も義徒が一人で担っているため、霊力を与えるのは義徒の役目である。


「いいよ、ファム頑張ったもんな」

「わーい」


 と、見た目どおりに子供っぽく喜んで義徒を座らせると思い切り抱きついて義徒の肩に顔をうずめた。


「やっぱり義徒ちゃんの霊力気持ちい」

 ファムは満開の笑みで必要に以上に強く抱きつき、まるで朱美だと義徒は感じた。

「ほんと、鷺澤家の霊力って最高だよね」


 超常の存在たる精霊が人間なんかに強力するのは、ひとえにこの霊力供給のおかげである。


 昔から、世界中には人間を食べる怪物の話や人間の魂を求める悪魔の伝説が残るが、それは人間の霊力は質がよく、非常に美味だからだ。


 美味、といっても精霊に与える影響は召喚師や精霊によってことなり、味のように感じる者やファムのように漠然とした快楽を感じる者など様々であるが、良い結果をもたらすのは確実である。


 そして鷺澤家の霊力の質は人間達の中でも最高の部類に入り、その効力たるや精霊達に「一〇分の一の量でもいいからそこらの術師よりも鷺澤家の霊力が欲しい」と言わしめるほどであった。


 しばらくしてファムに霊力の供給を終えた義徒はそのまま台所と訓練場へ行き、ティアとアリアにも霊力を供給してから自室に向かった。





 自分の部屋に戻り、ドアを閉めると義徒はティア達の前で作っていた表情を歪ませてベッドに倒れ込んだ。


 今でも、今夜の被害者のことが頭を離れない、みんなに悲しんで欲しくなくて願った理想は、逆にみんなを悲しませるのか、自分の願望は何故逆の効果をもたらしてしまうのか、苦悩で頭が割れそうだった。


 熱い涙でベッドを濡らしながら義徒はむせび泣いた。


 枕もとに飾ってある写真が眼に入る。


 そこに写っているのは幼い頃の自分と、二人の少女だった。


「香奈(かな)、お兄ちゃんな、今日アンデットに攻撃できなかったよ、やっぱりお兄ちゃん駄目だな……」


 鷺澤義徒には二人の妹がいた。


 一人は母と一緒にイギリスへ言った美香、そしてもう一人が末の香奈、幼い頃、義徒に連れまわされ、森の奥で偶然出会った異端の魔術師に殺された少女である。


 自分達を不安にさせないようにと、両親は義徒を叱らなかったし、決して涙を見せなかった。


 それどころか、泣き喚き義徒を罵り続ける美香を止めたほどだ。


 だが、とうの義徒は騒がなかった。否、騒げなかった。


 幼い少年の心に、自分せいで妹が死んだという事実はあまりに強烈すぎて、感じる心本体が壊れてしまったのだ。


 義徒は香奈の葬式が終わっても壊れた人形のように涙を流しながら、廃人のような日々を過ごし続けた。


 ファムがおどけても、ティアが抱いても、アリアが語りかけても、ボルファーが叱責しても、義徒はその全てに無反応だった。


 果ての無い悲しみと後悔は、壊れて何も受け止められない義徒の精神から溢れ続け、溢れても溢れても消えることはなく、義徒という存在が悲しみを感じているのか、それとも悲しいという概念に義徒という破片がこびりついているのか、それすらも曖昧(あいまい)でわからなかった。



 だから、きっと義徒の精神が復元したのは本当の奇跡だったのだろう。


 しかし、立ち直ったこと自体が奇跡なのだから、さすがに正しく直るなどという都合の良いことまでは起こらなかった。


 はたして、涙が枯れ果てた後の彼は酷く矛盾した精神を持ってしまっていたのだ。


 幼いうちに妹を失い、誰よりも誰かを失う悲しみを知ったがために、もう誰も失いたくはないと、全てを守り抜く力を手に入れるがため、彼が文字通り、死力を尽くした修練に励んだのは良かった。


 だが、誰かを失う悲しみを知ってしまった彼は、大切な人を守るために敵を殺せば、その殺した相手を大切に思っていた人が悲しむのではないか、自分と同じような人間を生み出してしまうのではないか?


 そう考えると、誰も殺せなくなってしまったのだ。


 大切な人を救うということは、自分にとっては大切ではない誰かが悲しむということ、だが義徒はこの悲しみを誰にも感じて欲しくなかった。


 まして自分が元凶となって誰かが悲しむど断じてあってはならないことだ。


 もう、自分でもどうしたらいいのかわからず、義徒は深いまどろみの中に溶けていった。

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