第30話 見慣れた天井

 ゆっくりと瞼を開けると、そこにはいつも見慣れた天井が広がっていた。


 横でティアの声がする。


 どうやらみんなを呼んでいるらしい、ぼやけた意識と記憶が鮮明になりながら、義徒は上体を起こした。


「……今何時?」

「次の日の五時です。学校には風邪だと連絡を入れておきました」


 第一声としては、まあ妥当な問いにティアは丁寧に答えてくれたが、それに義徒の意識が一気に覚醒した。


「って、風邪!? 朱美の奴なんか言ってきたか!?」


 義徒の声には鬼気迫るものがあった。


 確かに、義徒には会った人間に彼の家に行こうという気を起こさせない自動催眠魔術がかかっているし、屋敷にも同タイプの結界が張られている。


 しかし、それにも限界というものがある。


 元々一般人専用の結界だけに、何かの偶然、もしくは一般人よりも霊力が高い人だと結界を看破される場合もある。


 実のところ、岡崎朱美の霊力は普通の人よりも遥かに高い、それでも今まではなんとか誤魔化せたが、普段の義徒への固執ぶりを考えれば、彼女がお見舞いに来たがるのは必然、高い霊力と義徒の家に行く確かな理由があれば、もしかすることもある。


「あっ、それは大丈夫です、最初はごねていたんですけど、風邪が移るといけないからと言ったら納得してくれました。まあ、催眠魔術がかかっているのにごねるだけで十分すごいんですけどね……」


 ティアの苦笑に安堵して義徒が息を漏らすと義徒の私室にボルファー達が入ってくる。


「義徒殿、ようやく気付かれましたか」

「義徒ちゃんおはよう」

「……」


 アリアとファムの登場に義徒は頭上に疑問符を浮かべた。


 次にティアも含めて三人の顔を順番に見ていってしばらくすると、爆発したように顔を赤くして飛び上がり、着地した時には土下座の姿勢を取っていた。


 どうやら記憶が完全に復活したらしい。


「ごごご、ごめんなさい、いや本当にもうどんな罰でも受けますから許してくださいっ!」


 ベッドのシーツに頭をこすりつけて謝罪するマスターにティアとアリアはほのかに頬を染めつつ気にしていないと首を振り、ファムは一人だけ臆面もなく「もっとあのままでいてほしかった」などと言っていた。


 すると、不意に巨大な質量が義徒の横に座り、彼の頭を上げさせた。


「小僧、これはいよいよ男としてのケジメをつける必要が出てきたな」

「って、えええ!?」


 義徒が素っ頓狂な声をあげた時はボルファーも豪笑していたが、すぐに。


「まあそれは置いといて」


 と言う風に切り出し、表情を改めた。


「小僧、貴様極限体になったらしいな?」

「…………」


 言葉を返せない義徒にボルファーは嘆息を漏らした。


「確かに、それは貴様の切り札となる、だがその力は貴様の肉体に多大な負担を与える諸刃の剣、この程度のことで使って良い代物ではないし、心の奥底でピンチになったら極限体になって勝てる、などと思い込んでも困るのだ」


 義徒は顔を伏せ、静かに頷いた。


 魔道師には時折、極端に高い霊力を持つが、それに対する肉体の耐性が追い付いていない者がいる、そのため、そういった魔道師は無意識的に霊力を押さえ込み、普段は本来の力の数分の一の霊力で過ごしている。


 そして人間でいうところの、火事場のバカ力のように、生命の危機などの時に一時的に抑制がはずれ、常軌を逸した霊力を誇ることになる。


 こういった魔道師を抑制者と言うが、何せ耐性が追いつかないのだから、抑制がはずれて極限体になれば、戦闘後にその反動で肉体がボロボロになるのは必然である。


 だが、ただの抑制者ならば、希少ではあるが、特別驚くほどのことでもない、だが、こと鷺澤家の抑制者だけは特別だった。


 簡単に言ってしまうと、鷺澤家の抑制者は極限体になると人外のオンナに極端にモテるのだ。


 理由はフェロモンと似たようなもので、鷺澤家の霊力は女性好みの質を持っている。


 この効果は絶大で、実際に行われた実験で、一〇個の椅子のうち一つに一滴だけ男性フェロモンの液を垂らしたところ、好きな椅子に座るよう言われた女性は何の迷いも無く液を垂らした椅子に座ったほどだ。


 性格や外見、実力などを全て無視し、およそオンナという精神概念を持つ者全てを魅了する霊力の質に加えてその圧倒的な霊力量を前にしては鷺澤に惚れない人外の女は皆無と言って差し支えない。


 何故人外に限るかと言えば、当然、一般人は霊力を感知する力が無い上、魔道師でもその肉体は完全に実体のみの原子的構成体だからだ。


 逆に全身が霊子で構成されている精霊や天使、神や悪魔はこれの影響をモロに受けてしまう。


 これぞ鷺澤家が最強たる所以(ゆえん)、その力には個人差があるものの、義徒には鷺澤家でも稀代の天才と言って差し支えないほどこの性質を受け継いでいた。


 彼のように極限体になると性格が変わってしまう者は珍しいのだが、霊力に加えてその全身に充溢する自信と余裕、無意識のレベルで行っている甘い笑みが合わさり、よほどの強い意志や既に意中の相手がいない限りは霊的な存在の女性で義徒に落とされない者はいないのだ。


 さらに問題なのは、魅了の魔術と違い、回避が不可能であることである。


 魔術的な技であれば魔術耐性の高さや魔除けで防げるが、義徒のそれは魔術でもなければ催眠術などでもない純粋な魅力、あくまでも男としての実力でモテているのだから、それを防ぐ術(すべ)などあるはずもないのだ。


 救いは義徒自身の性欲が薄いのと極限体の時しか効果が発揮されないこと、そしてその極限体は長く続かないことである。


「まあ、体のほうはだいぶ回復したようだし、今夜にもまた捜査へ行けるだろう……夕食までもうしばらく眠っておけ……」


 ボルファーが背を向けて真っ直ぐ退室すると義徒はまだベッドに横たわり、ティアが手際よく掛け布団を整えた。

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