第5話 美少女とのトレーニング
午後六時、鷺澤家特製、戦闘訓練室、面積二五〇〇平方メートル、高さ五〇メートルという立方体の空間は内向きの結界を十重二十重に張られ、最上級悪魔の一撃を以ってしても屋敷に衝撃が響くことは無い。
その中で二人の戦士が刃を猛り狂わせ、激突音で空間を満たしていく。
一人は義徒、それに対峙するのはウンディーネのアリアだ。
義徒の武器は蛇腹剣、強固な金属繊維で編んだストリングで何枚もの刃を繋げ、まるで鞭のように扱うが、叩くのではなく、切り裂くソレは鞭よりもずっと凶悪な武器である。
対してアリアの武器は西洋風の両刃剣一本、リーチでは圧倒的に不利な武器でありながら、アリアの達人の域に達した剣は義徒の刃を片っ端から弾き、距離を詰めていく。
「くっ!」
咄嗟にストリングを縮め、蛇腹剣を鞭から剣へと変形させてアリアの一撃を防ぐ。
「どうしました義徒殿、まだです……もっと速く、もっと堅く、もっと正確に!」
その瞬間、アリアの右足が義徒のどてっ腹を直撃、プロ格闘家も真っ青のミドルキックは義徒を吹き飛ばし、さらにアリアは追撃する。
「我々が行っているのは戦闘訓練、決して剣道やフェンシングの練習ではありません……」
体が床に着く直前を狙って振るわれたトドメの一撃、それを刹那の間に、それも空中で避けると義徒はその勢いを加速させてアリアの足を払った。
「それでいい」
だがアリアは予期していたように自ら回転し、そのまま一回転して直立する。
「なっ!?」
「ハァッ!」
裂帛の気合とともに打ち込まれた剣撃を弾き、義徒は剣と剣の斬り合いを始める。
人間感覚でいう時速に直せば、時速数百キロで舞う刃はもはや人間の筋力で出せる領域を逸脱している。
世間の僧侶など足元にも及ばない、超常の霊力を持つ魔道師達の肉体は構造が同じでも高い霊力の恩恵として超人的な身体能力を得る。
神話や伝説などの英雄が科学的には在り得ない偉業を成し遂げたのも、全ては高い霊力のおかげである。
そして、生まれついて高い霊力を持つ精霊もまた、その枠に入る存在だ。
アリアの音速の刃が義徒に迫る。
「武器を持っているからといって敵が武器ばかりを使うとは限らない、さきほどの私のように蹴りを使ってくる可能性もある……だから得物だけではなく、常に敵の全身に意識を集中させて……」
義徒の視界からアリアが消え、背後から殺気が迫る。
「甘い!」
振り返って剣を防ごうとする義徒の背を、アリアの剣が切り裂き、赤い血が滲んだ。
「……ッッ!」
驚愕に目を開いたまま、義徒は膝から落ちる。
「まったく……背中を見せてください」
剣を置き、義徒の服を脱がせると傷口に手を当ててアリアは回復呪文を掛け始める。
アリアの手はひんやりとして冷たいが、体の中は少し温かくなった気がした。
「いいですか義徒殿、先ほどのは振り返るよりも背後の殺気に気付いたのならフロントステップで前方へ逃げるべきです。それに、剣にまるで殺気が込もっていません、そんなナマクラでは斬れる物も斬れないでしょう……」
マスターに対して冷厳な態度を取るアリアに義徒は申し訳なさそうに唸る。
「うぅ、ごめん……でも、アリアに殺気とか無理だよ」
「無理?」
冷たさを増した声で、アリアは剣を横に置いたままに殺気で総身を武装する。
「少なくとも、私は義徒殿を殺すつもりでしたよ」
「…………」
返せる言葉がなかった。
練習であっても明確なる殺意を込めて自らの主に斬りかかれるアリア、例え実戦であっても敵に対して殺意を乗せきれない自分、戦士としての圧倒的な格の差を、義徒は戦う度に見せ付けられていた。
治療が済むと立ち上がり、アリアは出口に向かいながら告げる。
「言っておきますが、私はティアやファムのように貴方を甘やかす気はありません、マスターに相応しくないなら、それまでです……」
言葉の意味は、彼女の目が如実に語っていた。
今のまま成長の見込みが無ければ、自分は義徒の召喚獣を辞めるということだ。
伏せた顔を上げて、義徒は静かに問う。
「なあ、アリア、やっぱりアリアが笑わないのって、俺みたいな不甲斐ない奴が主だからか?」
「質問の意味が理解できないのですが?」
足を止めて振り返るとアリアは淡白な声で小首を傾げた。
「だってアリア、俺の精霊になってから全然笑ってないし、昔はもっと……だから……」
「義徒殿は家臣にヘラヘラしていて欲しいのですか?」
眉をひそめ、それでもまったく美貌を失わない麗人に、義徒は慌てて返した。
「いやいや、へらへらして欲しいとかじゃないんだけど、ただ、アリアにはもっと笑って欲しいなって、だって……アリアの笑った顔すごく可愛いから」
「ッッ!?」
途端にアリアは息を詰まらせて、透き通らんばかりの白い肌を一瞬で赤く染め上げた。
「なな……義徒殿、変なことを言うのはやめてください!」
今までとは違う、明らかに動揺したアリアの様子はあまりに愛らしく、思わず頭を撫でたくなってしまうほどだった。
「ああうん、今のも可愛いけど、なんで赤くなってるんだ?」
「……戦闘力は全然なのに、変なところばかり時則殿に似ましたね」
悔しそうに歯を食い縛るアリアから不意に出た初代の名に、義徒の顔に陰りが生じる。
「初代様か……なあアリア、やっぱり、俺には鷺澤家当主……父さんの代わりは無理かな?」
初代鷺澤家当主、鷺澤時則(さぎさわときのり)から続く魔道の超エリート揃いの歴史は義徒も知っている。
彼の父や祖父がなによりもそれを強く体現していた。
偉大すぎる先祖達と比べれば劣等感にうちひしがれても仕方の無いことだろう。
どこまでも自信のない主に見かね、アリアは嘆息を漏らして語り掛ける。
「まあ、義徒殿はまだ十六歳ですし、今回の当主代理とて協会からソルジャーが派遣される予定です。そんなに悩む必要はないでしょう、慌てなくても義徒殿は鷺澤家の当主になれますから」
「本当!?」
目を輝かせる義徒の喉元にアリアの剣が突きつけられる。
「ええ、私を持ち霊にした時点で貴方は魔道の底へと落ちていくのが決まりましたから、逃げることは許しません」
義徒の望んだソレとはかけ離れた冷淡な笑みを浮かべるアリアに義徒の本能が助けを求めた。
「っと、そういえば当主代理で思い出したけど、アリアはここ最近起こっている失踪事件についてどう思う?」
ようやく当主代理の自覚が出たかと嘆息を漏らしてアリアは剣を退く。
「そうですね、やはり魔道師の仕業でしょう、ただの人間が警察にバレずにここまで出来るとは思えませんから」
「魔道師……じゃあ実験のために魔術師が精神操作とかで?」
「それが妥当ですが、魔術師は黒幕で実際にやっているのは戦士の可能性もありますね」
「戦士か……」
そこで難しい表情で唸る義徒にアリアが歩み寄った。
「義徒殿、何かひっかかることでもあるのですか?」
「いや、そういえば俺って魔術師か戦士か曖昧な存在だよなって思って……」
そもそも、魔道師というのは魔道の世界に生きる者の総称であり、霊力や魔力を使う知的生命体はの総称であり、魔道師は魔術師力を魔術の行使を中心に使う者が魔術師、剣や槍などの武器を持ち、武具を媒介とした術を中心に使い、肉体強化で戦闘行為をするものを戦士と呼ぶ。
鷺澤家は魔術師の名門ではあるが、初代の時則のおかげで召喚師でなくともティアやファムは言うことを聞いてくれるので、戦士となり、精霊と組んで戦う少数派もいる。
義徒は召喚術と錬金術を齧(かじ)ってはいるが、どちらも魔術師としての一般教養にちょっと長めの毛が生えた程度で、攻撃呪文に特化した黒魔術はそれなりに使えるが、それも蛇腹剣の補助として使っているにすぎないため、魔道師の中の戦士に該当する。
そして父がそうであったように、人々を魔道の手から守るソルジャー協会に属するため義徒の魔道協会での身分は職業ソルジャー、タイプ戦士となる。
「派遣のソルジャーは予定では今夜中に来るはずです。義人殿は普段は学校へ行っているので、明日の夜は昼間に彼らが集めた情報を元にして街を散策するとしましょう」
アリアの言葉に、義徒は力強く頷いた。
自分は確かにまだ半人前だ。だが今回は仲間がいるのだと自分に言い聞かせて義徒はこの事件を解決しようと決意した。
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